ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 3/5 今はもうユーカリの時代じゃない

Manet, Polichinelle
Théodore de Banville

第3セクションでは、再びテオドール・ド・バンヴィルに対して直接的な呼びかけがあり、彼の芸術がすでに今の芸術ではないと言い放つ。

その際にアルシッド・バヴァが持ち出すのは、バンヴィルを中心とした高踏派詩人たちの詩句の断片とも考えられる。
しかしその一方で、バヴァの詩句は、耳に奇妙に響く音を繋げて遊んでいるだけのようにも聞こえる。

音が意味に先行する詩句。
例えば、Pâtis panique。
子音 [ p ]が反復して弾け、母音[ a ]と[ i ]がそれに続いて繰り返される。
その後で、牧草地が意識され、パニックの意味を考えていくことになる。

続きを読む

ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 2/5 写真的詩の上にクソを垂れる

「花について詩人に伝えること」の第2セクションを構成する九つの4行詩では、前のセクションに続けて、ロマン主義詩人たちの末裔にあたる詩人たちが批判の対象になる。
その中には、高踏派詩人の一人になりたいと望んだ一年前のランボー少年自身も含まれると考えてもいい。

実際、アルシッド・バヴァの詩句には、以前にランボー少年が綴っていた青春の息吹に満ちた若々しい詩句はなく、ほどんど意味不明と言わざるを得ない内容になっている。
そうした詩句の中で、これまでの詩の本質を端的に表す言葉が取り上げられる。
その言葉とは、「写真家(photographe)」。
第2セクションを通して、その意味と意義を解明していきたい。

続きを読む

ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 1/5 ロマン主義を浣腸する

「花について詩人に伝えること(Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs)」は、ランボーが新しい時代の詩はどのようにあるべきかを語った、詩についての詩。

第1詩節は、ロマン主義を代表するラマルティーヌの「湖(Le Lac)」のパロディー。
しかも、ランボーらしく、読者を憤慨させるか、あるいは大喜びさせるような仕掛けが施されている。

Ainsi, toujours, vers l’azur noir
Où tremble la mer des topazes,
Fonctionneront dans ton soir
Les Lys, ces clystères d’extases !

意味を考える前に、「湖」の冒頭を思い出しておこう。

Ainsi, toujours poussés vers de nouveaux rivages,
Dans la nuit éternelle emportés sans retour,
Ne pourrons-nous jamais sur l’océan des âges
Jeter l’ancre un seul jour ?

こんな風に、いつでも、新たな岸辺に押し流され、
永遠の夜の中に運ばれ、戻ることができない。
私たちは、決して、年月という大海に、
錨を降ろすことはできないのか。たった一日でも。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

「こんな風に、いつでも(Ainsi, toujours)」と始まれば、当時の読者であれば誰もがラマルティーヌのパロディーであると分かったはずである。
ランボーはその後もロマン主義的な語彙を重ねるが、最後は音による言葉遊びをし、とんでもないイメージで詩節を終える。

こんな風に、いつでも、黒い紺碧の方へ、
そこではトパーズの海が震えている。
その方向に向かい、夜の間に機能するのは、
「百合の花」。恍惚感を吐き出させる浣腸。

続きを読む

ネルヴァルの宗教的・哲学的思想 Une pensée religieuse et philosophique de Gérard de Nerval

とても残念なことに、ジェラール・ド・ネルヴァルという作家は日本でもあまり知られていず、紹介される場合があったとしても、狂気と幻想の作家とか神秘主義などというレッテルが貼られてしまう。
そのために、最初から色眼鏡をかけて読まれることになり、現実を描写した美しい文章で綴られた作品でさえも、複雑でわからないとか、意味不明などという感想を持たれたりする。

彼の作家としての実像は、現実に興味を持ち、その時々に話題になっていることを取り上げ、ユーモアと皮肉を交えて機知の利いた話にする名手だった。
しかし、何度か狂気の発作に襲われたことがあり、最晩年にはその時の体験記的な物語を公表し、最後はパリの場末で首を吊って死んでしまったために、夢と狂気の作家に祭り上げられてしまうことになった。

そうしたことのもう一つの理由は、彼の思想が「超自然主義(surnaturalisme)」と呼ばれる傾向のものであり、現実主義的、合理主義的、実証主義的思考から見ると、非理性的だと見なされること。
「超自然主義」自体は、ロマン主義の時代には多くの文学者に共有されたものであり、とりわけ不思議なものではないし、古代ギリシアから連綿と続く伝統に基づいている。
しかし、精神病院に入れられた事実やギュスターブ・ドレの版画に見られる自死の怪しげなイメージといった要素が相まって、夢と狂気の作家というレッテルが形成されていった。

続きを読む

フロベール 『ボヴァリー夫人』 Flaubert Madame Bovary エンマとロマン主義

 『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』は1852年から1856年まで書き継がれたが、この時期は、ロマン主義から写実主義、象徴主義、モデルニテへと向かう転換期にあった。

 そうした芸術観の転換を象徴的に表すのが、1857年の『ボヴァリー夫人』と『悪の華(Les Fleurs du mal)』の裁判。フロベールの小説とボードレールの韻文詩集が、公衆道徳に反するという理由で裁判にかけられ、詩集の方は有罪になった。

 興味深いことに、二人の作家は、出発点では19世紀前半に主流だったロマン主義に深く傾倒していた。その後、ロマン主義を内部から解体することで、新しい芸術観を創造していった。

ボードレールに関しては、美術批評「1846年のサロン」の中で、「ロマン主義とは何か?」という問いかけを行い、そこからモデルニテのコンセプトとなる概念を発展させた。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

フロベールは、『ボヴァリー夫人』の中で、エンマの少女時代がロマン主義一色だったことを示し、その中に皮肉な視線を溶け込ませる。そのことによって、ロマン主義文学の概略を素描し、その上でほころびを作り出し、エンマの運命がロマン主義の行き着く先と重なり合う前兆とする。

注意しておきたいのは、フロベールの小説家としての姿勢。
彼は、語り手として物語の中に介入し、登場人物の心の中や様々な状況を説明することをほとんどしない。ただ淡々と出来事を物語っていく。
出来事の意味を読み取るのは読者の役割なのだ。
ただし、時に、こっそりと彼の視点を示し、読者の読み方に対して指針を示すことがある。

続きを読む

サン=テグジュペリ 星の王子さま Saint-Exupéry Le Petit Prince apprivoiserの実践練習

「星の王子さま」の中で、王子さまがキツネから教えてもらう最も大切な秘密は、apprivoiserという言葉で表される。
日本語にピッタリする言葉がなく、「飼い慣らす」「手なずける」「仲良しになる」「なじみになる」「なつく、なつかせる」等々、様々な訳語が使われてきた。

日本語を母語とする私たちと同じように、王子さまもapprivoiserがどういうことかわからず、キツネに質問する。
キツネの答えは、「絆を作ること(créer des liens)」。
そして、意味を説明するだけではなく、王子さまに次のように言い、apprivoiserの実践練習をしてくれる。

– S’il te plaît… apprivoise-moi ! dit-il.

「お願い・・・、ぼくをapprivoiserして!」 とキツネが言った。

続きを読む

フロベール 純な心 Gustave Flaubert Un cœur simple 卓越した散文

フランス語を勉強したら、フランス語で会話をするだけではなく、文学作品を原文で読んでみたいという気持ちが自然に湧いてくる。
そんな時、質が高く、しかも読みやすい作品として最初に推薦できるのが、ギュスターブ・フロベールの「純な心(Un cœur simple)」。

小説としての素晴らしさは言うまでもないが、フロベールの散文は、端切れのいい言葉の塊が、リズム感よく続く。
フランス語を前から順番に読んでいくと、単語さえ知っていれば、自然に意味が頭に入ってくる。

他にも数多くの優れた小説家がいるが、フロベールほどクリアーでありながら工夫に富み、言葉によってもう一つの現実世界を作り上げた作家はいないと思われるほど、卓越した散文を紡ぎ出した。

「純な心」は中編小説であり、一つの作品をフランス語で最初から最後まで読み通すためにも、最適な長さ。
しかも、内容が素晴らしい。
事件らしい事件は何も起こらないのだが、オバン夫人(Mme Aubain)の女中フェリシテ(Félicité)の姿を通して、人間の心の持つ素直さ、単純さ、純粋さ、そして神秘性が描き出されていく。

まず、冒頭の一節(Incipit)を読んでみよう。

続きを読む

ランボー 黄金時代 Arthur Rimbaud Âge d’or 詩句の音楽性

「黄金時代(Âge d’or)」は、ランボーの音楽性に富んだ詩の中でも、最も音楽性を感じさせてくれる詩。
詩句を口に出して発音すると、口の中に円やかな感覚が広がり、とても気持ちがよくなる。

他方で、何を言いたいのか考え始めると、訳が分からなくなる。
フランス人のランボー研究者でこの詩を大変に難しいという人が多くいる。
無理に解釈しようとすると、訳が分からなくなり、読むのが厭になるかもしれない。

詩句が奏でる音楽に身を任せ、Voix(声)という言葉が出てきたら、voixという音を口ずさみ、「声」と思うだけ。現実にある何かの声を探す必要はない。
詩は言葉によって成り立ち、詩の世界だけで自立している。「黄金時代」はそのことを実感させてくれる。

続きを読む

恋愛の誕生 Naissance de l’Amour 12世紀フランス文学における恋愛観の転換

Gustave Moreau, Sapho à Leucade

恋愛は12世紀のフランスで誕生した。

恋愛は人間に備わった自然な感情なのだから、恋愛が発明されたなどと言うのは馬鹿げていると考えるかもしれない。
実際、古代ギリシアの時代から、抒情詩人たちは激しい恋の感情を詩にしてきた。

柏の梢に吹き下ろす深山の嵐の如く
恋はわが胸を掻き乱す。(サッポー)

黄金なす愛欲の女神なくして何の人生ぞ、何の歓びぞ、
死なんかな、かの美わしきことどもの、過ぎにし夢と消え去れば、
秘めし恋、心込めたる贈り物、愛の臥床。 (エレゴス)

こうした詩句を読めば、恋愛がいつの時代にも存在したと考えるのが当たり前だろう。

では、12世紀にフランスで恋愛が発明されたというのは、間違った言葉なのだろうか。

続きを読む

詩をフランス語で味わう Savourer de la poésie en français

フランス語で詩を味わうことなどとてもできない、と思い込んでいる人が多くいるかもしれない。
しかし、実際に口の中に美しい詩句を含んでみると、自然に味覚を感じる。

例えば、ヴェルレーヌの詩句:

Les sanglots longs des violons de l’automne / blessent mon cœur / d’une langueur monotone.

最初に lo とlonの音が連続し、lが舌で上の歯茎の後ろを叩き、o とonが雨粒のように細かな響きを立てる。
次に、œの円やかな音が、cœur, langueurと心の物憂さを感じさせる。
最後に、monotoneの中に o の音が再び回帰し、3度反復する。

「秋のヴァイオリンの長いすすり泣き」「私の心を傷つける」「単調な物憂さで」といった意味がわかろうとわかるまいと、一連の詩句を口ずさんでみると、口の中で詩句の味覚を感じていることがわかる。

続きを読む