ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 3/8

サン・ジェルマンの散策は3章でも続き、今度は秘密結社であるフリーメーソンに関係する集会の様子が描かれ、そこで歌う男性歌手の様子から、1810年にナポレオンの遠征に参加したネルヴァルの父親の思い出が思い出され、シレジアの地で亡くなった母親のことにも言及される。
さらに、若い時代に感じた恋愛感情が思い出され、「彼女たちへの愛が、私を詩人にした。」といった作家としての自己を語る試みがなされていく。

3.「歌声結社」

 管理人が最も愛情を込めて見せてくれたのは、一列に並んだ小さな部屋だった。「独房」と呼ばれ、監獄で働く何人かの軍人が寝泊まりしている。本物の寝室で、風景を描いたフレスコ画で飾られている。ベッドは馬の毛で作られ、ゴム紐でとめられている。全てが清潔で可愛く、船室のような感じ。ただし、日光が欠けていて、パリで私に提示された部屋と同じだった。——— 日光を必要とする「状態なら」、そこに住むことはできないだろう。私は守衛長にこう言った。「私なら、もう少し飾り付けが少なくていいので、窓に近い部屋の方が好きですね。」——— 「夜明け前に起きる時には、それはどうでもいいことです。」と彼は答えた。確かにその考察は正解だと思う。

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ジャン・ジャック・ルソーの宗教感情

現代では教育の書として知られる『エミール』が1762年に出版された時、神学者や教会から告発され、著者であるジャン・ジャック・ルソーに逮捕状まで出されたという事実は、私たちからすると不思議に感じられる。
そして、事件を引き起こした原因が、第4編に含まれる「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」の中で主張された「宗教感情」だったことを知ると、その感情がどのようなものなのか知りたくなるのも当然だろう。

そこで実際に『エミール』を手に取ってみるのだが、ルソーの思想はかなり込み入っていて、それほど容易に宗教感情の核心を捉えることはできない。感覚、理性、知性、自然、神などといった言葉が絡み合い、自然宗教、理神論などといった用語も、理解をそれほど助けてくれない。

その一方で、ある程度理解できてくると、ルソーの神に向かう姿勢が、日本の宗教感情とかなり近いことがわかり、親近感が湧いてくる。
そこで、論理的な展開は後に回し、彼の宗教感情がすぐに理解できる一節をまず最初に読んでみよう。

その一節は、「サヴォワ地方の助任司祭の信仰告白」ではなく、『告白』の第12の書の中にある。
ルソーは人々から孤立し、スイスのサン・ピエール島に滞在していた。

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ルソー 告白と夢想 永遠の現在を生きる

ジャン・ジャック・ルソー(1721-1778)の後半生は、自己の人生を回想する作品に費やされたといってもいいだろう。
死後に出版された『告白』(第1部、1782年、第2部、1789年)や『孤独な散歩者の夢想』(1782)は、思想書、小説、戯曲等の執筆状況を含め、私生活を隠すところなく語った自叙伝となっている。
そのために、ルソーの著作を解読しようとすると、読者は自然に彼の告白から理解を始めようとする傾向が生まれた。例えば、ディジョンのアカデミーに応募した論文、書簡体恋愛小説『新エロイーズ』、『エミール』などに関して、『告白』の関係箇所に目を通し、彼の思想や私生活に基づいた解釈をする。
そこで、ルソーは、自分の「伝記」を書くことによって、彼の著作の死後の読み方を指定したとさえ言うことができる。

ここで注目したいのは、人生を振り返り、それを語る作業は、「記憶」に基づいているということ。
普通に考えれば、思い出には確かなこともあれば、不確かなことも、間違っていることもある。しかし、ルソーはとりわけ「真実性」に力点を置く。

 私が試みることはこれまでに決して例がなく、今後も真似する人はいないだろう。私は、一人の人間を、自然の真実のままに仲間たちにお見せしたい。そのようにして描かれることになる人間とは、私である。(『告白』第1巻)

このように、彼の自画像には決して嘘偽りがなく、真実であることを強調する。そして、その試みは、これまでに誰もしたことがないし、これからも真似る人はいないであろう、唯一のものだとする。

アウグスチヌスの有名な『告白』とも、モンテーニュの『エセー』とも、歴史上に名前を残す人々の「回想録」とも違う。
そうした言葉は、自分の告白を価値付けるための宣伝文句という面も否定できない。しかし、実際にルソーは、その独自性を確信していたと思われる。
エピグラフ(銘句)として引用される古代ローマの詩人ペルシウスの句が、その確信の源泉を示している。

内面に、そして、肌の下に。 Intus, et in Cute.

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ルソー 『新エロイーズ』 記憶の作用と「感情」の高揚

1761年に出版されたジャン・ジャック・ルソーの『ジュリ、あるいは新エロイーズ』は、18世紀最大のベストセラーになり、18世紀後半の読者を熱狂させた。
美しいスイスの自然を背景として、主人公のサン・プルーとジュリという「美しい魂」たちを中心にした書簡のやり取りを通して表現される恋愛の喜びと苦しみは、当時の読者の感受性と共鳴し、人々がおぼろげに求めていた心情に明確な形を与えたのだった。

しかし、21世紀の読者にとって、それがフランスであろうと、日本であろうと、全体で163通からなり、6部に分かれ、時には何ページにも及ぶ手紙が含まれる長大な書簡体小説を、最初から最後まで読み通すことは難しい。

話題は恋愛だけではなく、社会制度、哲学思想、宗教、音楽等に及び、『百科全書』的な知識に対する興味がなければ、ルソーが何を目的に手紙の主たちにそのような話題を語らせているのか理解できないことも多い。

さらに、語り口がスローテンポで、18世紀の簡潔な文体とはかなり違っている。
ルソーは、その点について、表現が単調なことも、大げさすぎることもあり、言葉の間違いもあったりするので、パリの洗練された社交界で読まれるようなものではない。手紙の主たちは田舎に暮らす人々で、「小説じみた想像力の中で、彼らの頭が生み出した誠実ではあるが狂気じみた妄想を哲学だと思い込んでいる」のだと、あえて言い訳めいたことを書いている。

実際には、ルソーのフランス語は血が通い、生命の鼓動が感じられるような温かみを持っている。音楽的で、詩的散文といった印象を与える文も多い。
しかし、21世紀のフランス語ともかなり違っていて、現代フランスの若者にとっても馴染みが薄いもののようだ。

しかし、『新エロイーズ』には、読みにくいという理由で読まないでおくにはもったいない価値がある。
では、どうすればいいのか?

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ジャン・ジャック・ルソー 「内面」の時代へ 心の時代の幕開け

ジャン・ジャック・ルソーが後の時代に与えた影響は、18世紀の全ての思想家や作家と比べ、圧倒的に大きなものがある。

1712年生まれのルソーは、18世紀を代表する哲学者・文学者であるヴォルテール(1694-1778)よりも後の世代であり、『百科全書』の編集者ドゥニ・ディドロ(1713-1784)や感覚論の中心人物コンディヤック(1714-1780)と同世代に属する。

彼が生きたのは、デカルト的な「理性」を人間の中心に据え、観念から出発して真理を追究する観念論の時代から、生まれながらの観念は存在せず、人間は白紙状態(タブラ・ラサ)で生まれ、全ては「感覚」を通して得られる「経験」に由来すると考える経験論や感覚論が主流となる時代へと移行する時代だった。

ルソーはその流れを踏まえながら、新しい一歩を踏み出した。そして、その一歩が、19世紀のロマン主義の本質となっただけではなく、現代の私たちにまで影響を及ぼしている。

日本でも、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の有名な言葉はよく知られている。
「心で見なくては、ものごとはよく見えない。大切なものは、目には見えない。」

目で見て、手で触れることができる物質世界こそが現実であり、科学的な実験によって確認される物理的な事実が正しいと見なす世界観が一方にはある。
しかし、それ以上に大切なものが、人間にはある。それは心の世界。人間にとって物よりも心の方が大切だと見なす方が人間的と見なす考え方もある。

「感覚」から「感情」へと進み、人間の価値を「内面」に置く世界観。その道筋を付けたのが、ジャン・ジャック・ルソーなのだ。

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モリエール 人間嫌い Molière Le Misantrope 17世紀後半の二つの感受性 オロントのソネットと古いシャンソン

「人間嫌い(Le Misantrope)」の中で、オロントが自作のソネットを読み、アルセストとフィラントに率直な意見を求める場面がある。(第1幕、第2場)

この芝居が上演された17世紀後半は、人と合わせることが礼儀正しさと見なされ、相手に気に入られるように話すことが、宮廷社会に相応しい行動だった。

フィラントは、そうした「外見の文化」の規範に従い、ソネットを誉める。

その反対に、アルセストは、心にもないことを言うのは偽善だと考え、思ったことを率直に伝えるのが正しい行為だと考えている。
そこで、オロントに意見を求められた時、最初は遠回しな言い方をするが、最後には直接ソネットは駄作だと貶してしまう。
https://bohemegalante.com/2020/10/11/moliere-misantrope-sonnet-oronte/

その際に比較の対象として、古いシャンソン「王様が私にくれたとしても(Si le roi m’avait donné)」を取り上げ、その理由を説明する。
その時の詩とシャンソンに関するアルセストの批評から、私たちは、17世紀後半における2つの感受性を知ることができる。

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ルソー エミール Jean-Jacques Rousseau Émile Profession de foi du vicaire savoyard 自然宗教 Philosophie naturelle 

ジャン・ジャック・ルソーは、五感を通して感じる「感覚(sensation)」と、その感覚が引き起こす「感情(sentiment)」を人間存在の中心に据え、個人と社会のあり方について様々な思索を展開した。

1762年に出版された『エミール』では、子供から成人に至るまでの人間の成長を見据えた教育論であるが、青年時代を扱う章の中で、宗教感情について論じている。

その際に、「サヴォワ地方の助任司祭(vicaire savoyard)」を登場させ、助任司祭の「信仰告白(profession de foi)」という形式で、「自然宗教(la religion naturelle)」がどのようなものかを定義する。
「自然宗教」とは、キリスト教の人格化された神や教会の儀礼を否定し、人間が生まれながらに持っている感受性や、聖なるものを信じる気持ちに基づいている、普遍的な信仰心と言えるだろう。

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ジャン・ジャック・ルソー 『告白』 Jean-Jacques Rousseau Confessions 誰とも違う自己を語る

18世紀後半を代表する文学者ジャン・ジャック・ルソーは、『告白(Confessions)』の中で、これまで誰もしたことがない新しい試みをすると宣言する。
その試みとは、自己を語ること。

もちろん、それまでに回想録は数多くあったし、私的な自己を語るというのであれば、モンテーニュの『エセー』も同じだった。
では、ルソーは何をもって、新しい試みと言うのだろうか。

ルソーは、彼の自己(moi)は、誰とも違っていると言う。
現代では、「私」は他の人とは違う唯一の存在と考えるのが普通だが、彼以前には他者と同じであることが「私」の価値であり、違う私に価値を見出すことはなかった。

そして、ルソーの言う「人とは違う私」の中心は「私の内面」。
彼は、個人の価値を、社会的な役割ではなく、心が感じる感情に置いた。

現代の私たちの価値観ではごく当たり前になっていることの始まりが、ルソーの『告白』にあるといっても過言ではない。

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パリの北 エルムノンヴィルの森とシャーリの僧院 Ermenonville et l’abbaye de Chaalis

2020年5月20日、France 2の20時のニュースで、エルムノンヴィルの広大な緑の森や、シャーリの僧院が紹介されていました。ジャン・ジャック・ルソーが最後の時を迎えた小さな小屋も見ることができます。

France : le charme de la forêt d’Ermenonville

https://www.francetvinfo.fr/sante/maladie/coronavirus/france-le-charme-de-la-foret-dermenonville_3971965.html

950 amendes ont été infligées à ceux qui s’étaient éloignés à plus de 100km de leurs domiciles, mardi 19 mai. Le 20 Heures fait le pari de faire découvrir des destinations et ballades près des grandes villes.

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