カミュ 『ペスト』 Albert Camus La Peste 疫病や戦争を前にして、人はどう生きるべきか?

アルベール・カミュが1947年に出版した『ペスト』は、アルジェリアのオラン市を舞台にし、ペストが一つの町を外部の世界から隔離し、人々の生活を一変させてしまう様子をドキュメンタリー風に描いた小説。

実際、人類の歴史の中で、ペストは人間に何度も大きな災禍となってきた。カミュがそうした歴史を参照したことは確かだ。
それと同時に、この小説の中で、ペストはナチス・ドイツの象徴でもあった。そのことは、カミュ自身が証言している。
疫病と戦争には自然災害か人災かという違いはある。しかし、一般市民に甚大な被害をもたらすという点においては変わりがない。

ここでは、市中に広がる不安な病について、最初に「ペスト」という言葉が使われた時の記述をたどり、カミュがペストと戦争をどのようなものだと捉えていたのか探っていこう。

最初に出てくるベルナール・リューは、ペストに罹った多くの患者の治療にあたる医師であり、また、出来事の推移を綴る語り手でもある。彼は「私」という代名詞を使わず、三人称を使うことで客観的な視点を確保し、ペストの発生から収束までを年代記風に語っていく。

 Le mot de « peste » venait d’être prononcé pour la première fois. A ce point du récit qui laisse Bernard Rieux derrière sa fenêtre, on permettra au narrateur de justifier l’incertitude et la surprise du docteur, puisque, avec des nuances, sa réaction fut celle de la plupart de nos concitoyens. Les fléaux, en effet, sont une chose commune, mais on croit difficilement aux fléaux lorsqu’ils vous tombent sur la tête.

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古典主義絵画の美意識 1/2 アカデミー系の画家たち プッサン ル・ブラン 等

ヨーロッパ芸術は、16世紀後半から18世紀半ばまで、バロック様式が主流となった。それ以前のルネサンス様式の特色が均整と調和だとすると、バロックは情動性と運動性によって特色付けられる。
フランス古典主義は、バロックの時代にあって、ルネサンス様式への回帰を模索し、理性によって情念を制御することで、秩序ある空間表現を美の基準とした。

ルネサンス→バロック→古典主義の流れを視覚的に把握するために、3つの時代の代表的な作品を比べてみよう。

ルネサンス→バロック→古典主義

古典主義絵画を代表するニコラ・プッサン、フィリップ・ド・シャンパーニュ、シャルル・ル・ブランの作品。
1631年、1652年、1689年の作だが、どれも、秩序ある画面構成が行われ、ある情景の最高の一瞬を永遠に留めているという印象を与える。

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モンテスキュー 『ペルシア人の手紙』 新しい時代精神の確立

モンテスキューは1689年に生まれ、1755年に死んだ。
その時代には、1715年のルイ14世の死という大きな出来事があった。
大王の死後、オルレアン公フィリップの執政時代(1715-1723)、次いでルイ15世が1723年に国王としての実権を握るといった政治の動きがあった。

それと同時に、時代精神も大きな転換期を迎えていた。
ルネサンスから17世紀前半にかけて成立した合理主義精神が主流となり、神の秩序ではなく、人間の秩序(物理的な現実、人間の感覚や経験)に対する信頼が高まっていた。

そうした時代の精神性は、18世紀前半に生まれたロココ美術を通して感じ取ることができる。
そこで表現されるのは、微妙で繊細な細部の表現であり、見る者の「感覚」に直接訴えてくる。17世紀の古典主義芸術の壮大さ、崇高な高揚感に代わり、ロココ芸術では、軽快で感覚的な魅力に満ちている。
非常に単純な言い方をすれば、神を崇めるための美ではなく、現実に生きる人間が幸福を感じる美を追求したともいえる。

モンテスキューは、17世紀の古典主義的時代精神から啓蒙の世紀と呼ばれる18世紀の時代精神へと移行する過程の中で、新しい時代精神の確立を体現した哲学者・思想家である。

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18世紀の時代精神 幸福を求めて

フランスの18世紀は、ルイ14世の治世が終盤を迎えるところから始まり、フランス革命からナポレオンの登場で終わりを迎える。
一言で言えば、血縁に基づいた貴族の時代が終わり、ナポレオンという個人が能力を発揮して国家を支配できる時代が到来した。

こうした変化は、16世紀において「人間」という存在に価値があるという認識が行われ、17世紀になると全ての人間に「理性」が備わっているというデカルトの確認に続いて、実現されたのだと考えられる。
そして、18世紀に確立した人間観や世界観は、21世紀においても支配的な時代精神であり続けている。

その精神の根本にあるのは「幸福」の追求であり、「個人の自由」、「科学の進歩」等がその手段を支える思想となる。
しかし、興味深いことに、合理主義精神や科学主義が中心となる中で、「理性」よりも「非理性」に、「文明」よりも「未開」や「自然」に、「進歩」よりも「原初」に、「科学」よりも「神秘」や「超自然」に、価値を置く精神性が忘れられることはなかった。

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ルソー エミール Jean-Jacques Rousseau Émile Profession de foi du vicaire savoyard 自然宗教 Philosophie naturelle 

ジャン・ジャック・ルソーは、五感を通して感じる「感覚(sensation)」と、その感覚が引き起こす「感情(sentiment)」を人間存在の中心に据え、個人と社会のあり方について様々な思索を展開した。

1762年に出版された『エミール』では、子供から成人に至るまでの人間の成長を見据えた教育論であるが、青年時代を扱う章の中で、宗教感情について論じている。

その際に、「サヴォワ地方の助任司祭(vicaire savoyard)」を登場させ、助任司祭の「信仰告白(profession de foi)」という形式で、「自然宗教(la religion naturelle)」がどのようなものかを定義する。
「自然宗教」とは、キリスト教の人格化された神や教会の儀礼を否定し、人間が生まれながらに持っている感受性や、聖なるものを信じる気持ちに基づいている、普遍的な信仰心と言えるだろう。

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ヴォルテール 理性で神を捉える 『寛容論』 Voltaire Traité sur la tolérance 理神論(déisme)と友愛(fraternité)

フランスの18世紀は啓蒙主義と呼ばれる時代。
フランス語では、Siècle des lumières(光の世紀)。光とは、一言で言えば、人々の「無知」を照らす「理性の光」。

合理的な思想が支配的になるに従い、科学による証明が真理の条件となり、物理的に確認できないものは疑いの対象となる。
そうした物質主義的な哲学思想の発展は、キリスト教が支配的な社会の中で、信仰を問題にすることにつながった。

キリスト教では、神の啓示や奇跡を信じることが前提となる。
理性的に考えると認められない事柄が、超越的な神によって行われたことを信じることが、信仰の基礎である。神の言葉や奇跡を疑うことは、信仰からはずれることになる。

他方、啓示や奇跡は、理性的な思考では受け入れることができない。科学的に証明することも不可能である。
そこで、神の存在を否定し、「無神論(Athéisme)」を主張する人々がでてきても不思議ではない。
実際、18世紀フランスの思想家の中でも、ディドロやドルバックは無神論者と呼ばれた。

もう一つの考え方は、「理神論(déisme)」。
理神論では、創造原理としての神の存在は認めるが、創造された後の世界は、ネジを巻かれた時計のように、自然の法則に従い活動を続けると考える。
その結果として、人格を持った神(例えばイエス)の存在を認めず、啓示、予言、奇跡等を否定し、、理性に基づいた信仰を模索した。

その理神論を代表するのがヴォルテール(1694—1778)。
彼の『寛容論(Traité sur la tolérence)』(1763)の第23章「神への祈り(Prière à Dieu)」は、汎神論を最もよく表現している著作として知られている。

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18世紀的批判精神の基礎 フォントネル 神託の歴史 Fontenelle Histoire des Oracles 理性による事実の確認

Fontenelle

17世紀前半、デカルトは、「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis.)」と述べ、「考える(penser)私」の中心にある「理性(raison)」が人間の本質であるとした。
https://bohemegalante.com/2020/05/13/descartes-discours-de-la-methode-1/

その時代以降、理性を中心とした思考法が重視されるようになり、18世紀には知識によって人々を照らすことを目指す啓蒙思想が発展し、科学の進歩が人類の幸福につながると考えられる時代になった。

そうした流れの中で、17世紀後半から18世紀前半に活躍したフォントネル(1657ー1757)は、批判的な精神を発揮し、それまで権威の言うがままに信じてきてきたことを、理性的な思考によって見直そうとした。

『神託の歴史(Histoire des Oracles)』(1687)では、古代の神々への信仰(異教)で語られる超自然な出来事、神秘や奇跡を取り上げ、それらが幻影(illusion)にすぎないことを証明しようとした。

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ラ・フォンテーヌ 影のために獲物を逃す犬 La Fontaine « Le Chien qui lâche sa proie pour l’ombre » 想像力について

17世紀のフランスにおいて、想像力(imagination)は、人を欺く悪いものだと考えられていた。
例えば、ブレーズ・パスカルは『パンセ(Pensées)』の中で、「人間の中にあり、人を欺く部分。間違いと偽りを生み出す。(C’est cette partie décevante dans l’homme, cette maîtresse d’erreur et de fausseté […]. B82)」とまで書いている。

ラ・フォンテーヌは、わかりやすい寓話の形で、その理由を教えてくれる。
その寓話とは「影のために獲物を逃す犬(Le Chien qui lâche sa proie pour l’ombre)」。
獲物(proie)が実体(être)、影(ombre)が実体の映像=イメージ(image)と考えると、イメージを作り出す力である想像力(imagination)が、人を実体から遠ざけるものと考えられていた理由を理解できる。

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パスカル 考える葦 Pascal Roseau pensant その2 

「人間は考える葦である。」や「クレオパトラの鼻がもっと低かったら、世界の歴史も変わっていたであろう。」という言葉を通して、日本でもよく知られているブレーズ・パスカル。
彼の考えたことを少しでも理解したいと思い、『パンセ(Pensées)』を読んでも、なかなか難しい。

『パンセ』が、キリスト教信仰のために書かれたものだというのが、大きな理由かもしれない。
神のいない人間の悲惨(Misère de l’homme sans Dieu)
神と共にいる人間の至福(Félicité de l’homme avec Dieu)
そう言われても、キリスト教の信者でなければ、実感はわかないだろう。

想像力(imagination)や好奇心(curiosité)は人を過ちに導くという考えは、現代の価値観とは違っている。

パスカルと同じ17世紀の思想家デカルトと、「考える(penser)」ことに価値を置く点では共通している。
https://bohemegalante.com/2020/05/15/pascal-pensees-roseau-pensant/
しかし、パスカルには、デカルトの考え方は許せないらしい。デカルトは役に立たず(inutile)、不確かだ(incertain)と断定する。(B. 78)
その理由は、理性(raison)について価値判断の違いから来ているようだ。

こうしたことを頭に置きながら、パスカルの書き残した断片を読んでみよう。

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シャルル・ペロー 「赤ずきんちゃん」 Charles Perrault « Le Petit chaperon rouge » 子ども用の昔話 1/3

赤ずきんちゃんの物語は誰でも知っている。
しかし、その話が世界で最初に活字になったのはルイ14世の時代のフランスだった、ということはあまり知られていない。

フランスに古くから伝わる民話を、パリのサロンやヴェルサイユ宮殿の貴族の娘たち向けに語り直したのは、シャルル・ペロー(Charles Perrault)。

ペローの「赤ずきんちゃん(Le Petit chaperon rouge)」では、物語は、狼が赤ずきんを食べたところで終わる。
狩人が現れ、狼のお腹の中から赤ずきんちゃんを助け出される結末は、19世紀前半にドイツのグリム兄弟が付け足したもの。

結末の違いは、物語が伝えるメッセージに関係する。
ペローでは、最後に教訓(moralité)が付けられ、読者として対象にするのは誰か、物語から何を学ぶできかが、明らかにされている。

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