おもてなし 日本の良き伝統

「おもてなし」は、日本的な美徳として、とりわけ接客の分野で語られることが多いのだが、もともとの意味が見失われていたり、現実の言動と矛盾していても、それに気づかなかったりする場面も散見される。

「おもてなし」が「もてなし」に「お」を付けて丁寧にした表現であることはわかるのだが、「恩を持って事を成す」とか、「物を持って成し遂げる」といった説明が語源として語られても、今一つピンとこない。

言葉遊びのように「なし」とされ、表裏のない心でお客様を迎えることが「おもてなし」の語源だという説明が見られることもある。

また、歴史的な例が提示されることもある。聖徳太子の「十七条憲法」の第一条に「和を以て貴しと為す」とあり、そこから「もてなす」という言葉が派生したとする説明である。

ネット上のこうした説明をそのまま信じるのは少し不安なので、岩波書店の『古語辞典』に手を伸ばし、「もてなし(持て成し)」の項目をのぞいてみる。

そこでわかるのは、「モテ」が接頭語であり、「対象の性質や様子を変えずに維持して……する」、「対象を大事にし、また特に相手にして……する」という意味を持つことである。
そして、「持て成し」は、「相手の状態をそのまま大切に保ちながら、それに対して意図的に働きかけて処置する」というのが、最も根本的な意味だとされている。

つまり、まず最初に、対象となる相手を尊重する気持ちがあり、そのうえで相手に対して何かを行う。これが、日本古来の「もてなし」に通じる精神だったことがわかる。

そのことは、辞典の第一の定義からもはっきりとうかがえる。

物に手を加えず、あるがままに生かして使う。相手を傷めないように大事に扱う。

次にその定義と、『枕草子』と『源氏物語』から取られた例文を見ていこう。

「あるに従ひ、さだめず、何事ももてなしたることこそ良きにすめれ」(『枕草子』49)

「やむごとなきさまにはもてなし給はざなれど」(『源氏物語』「浮舟」)

「今はなほ昔に思ほしなずらへて、うとからずもてなしさせ給え」(『源氏物語』「柏木」)

最初の『枕草子』の例では、「あるに従ひ、さだめず、何事ももてなしたることこそ良きにすめれ」とある。「あるに従ひ」とは、物事を一定の型にはめるのではなく、その場にあるもの、そのものの状態に従うということである。つまり、対象を自分の都合に合わせて変えるのではなく、そのもののあり方を尊重し、それに応じて扱うことが「もてなす」ことになる。

『源氏物語』「浮舟」の「やむごとなきさまにはもてなし給はざなれど」では、人に対する扱いとして「もてなす」が用いられている。ここでは、相手を身分の高い人として特別に扱うわけではない、という意味である。逆に言えば、「もてなす」は必ずしも相手を過剰に遇することではなく、相手との関係や置かれている状況に応じて、その人を扱うことを意味している。

そして『源氏物語』「柏木」の「今はなほ昔に思ほしなずらへて、うとからずもてなしさせ給え」では、相手を「うとからず」、つまり疎遠に扱わないようにすることが「もてなす」と表現されている。ここでは、相手とのこれまでの関係を踏まえ、その人を遠ざけることなく接するという、より明確な対人的な意味が現れている。

この三つの例に共通しているのは、「相手を自分の思いどおりに扱う」という発想ではない。むしろ、相手や対象がすでに持っている状態をまず受け入れ、それを尊重したうえで、状況に応じた働きかけをするということである。

そう考えると、現代の「おもてなし」という言葉に含まれる「相手のために何かをしてあげる」という意味だけでは、「もてなす」という言葉の核心を十分に捉えられないことがわかる。何をするかという行為に先立って、まず相手をどのような存在として受け止めるかという姿勢がある。その姿勢こそが、「もてなす」という言葉の古い意味を支えているのである。


こうした「もてなし」が、日本の良き伝統であったことは、それが対象となる相手のためだけではなく、実は自分たちのためでもあったことを、ここで強調しておきたい。

その典型が、「漢字」という外来の文字である。
古代の日本には文字がなく、日本語は無文字言語だった。そして、古代の日本人は、自分たちで新たな文字を作り出すのではなく、中国大陸で使われていた文字を日本に受け入れた。
現在では、漢字が外来の文字であることを意識することなく、私たちはそれをごく普通に使っている。しかも、日本人は漢字をそのまま受け入れただけではない。漢字を変形させ、ひらがなやカタカナを作り出したのである。
(参考:日本における漢字の導入と仮名の発明 1/4 最初の漢字から普及まで
日本における漢字の導入と仮名の発明 2/4 『古事記』『万葉集』の漢字表記
日本における漢字の導入と仮名の発明 3/4 仮名の成立から確立へ
日本における漢字の導入と仮名の発明 4/4 漢字仮名併用の意味と意義

仏教も外来の宗教だが、そのことさえ忘れてしまうほど、日本人にとって親しいものになっている。
仏教の伝来は、6世紀半ばの欽明天皇の時代、朝鮮半島の百済の聖王から仏像や仏典が贈られたことから始まったとされている。
その後、日本古来の神々と仏教の仏は、互いを排除し合うのではなく、たとえば、「日本の神々は人々を救うために仏が仮の姿となって現れたもの」とする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が説かれるなどして、「神仏習合」という形で融合されていった。
だからこそ、現在でも私たちは、神様と仏様を厳密に区別することなく、お寺にも行き、神社にも行き、さまざまな願い事をする。そして、それが私たちの宗教心のごく自然な表現になっている。
(参考:日本人の死後観 ご先祖様はどこにいるのか

このように、漢字も仏教も、中国大陸や朝鮮半島からやって来た外来のものだった。しかし、古代の日本人は、それらを排除するのではなく受け入れ、その本来の性質を尊重しながら、日本の文化や生活に合うように変化させていった。その結果、外来のものであった漢字も仏教も、日本文化の一部として定着し、現在にまで受け継がれているのである。
(参考:加藤周一 「日本文化の雑種性」とその土壌

ここに、「もてなし」のもう一つの側面を見ることができる。
「もてなし」は、相手のためだけに何かをしてあげることではない。相手の存在や性質を尊重し、それを受け入れることによって、自分たちの世界そのものを豊かにしていくことでもある。
漢字と仏教の二つの例は、「おもてなし」が相手のためだけではなく、結果として自分たちのためでもあるということを、よく示しているのではないだろうか。


漢字や仏教と同様に、十七条憲法の第一条にある「以和為貴(和をもって貴しと為す)」も、中国からやってきた言葉を「もてなした」ものだったことが知られている。
実際、前漢時代の経書『礼記(らいき)』の「儒行」に「礼之以和為貴(礼は之れ和を以て貴しと為す)」とあり、『論語』の「学而」にも、「礼之用、和為貴(礼の用は、和を以て貴しと為す)」という言葉が出てくる。

聖徳太子は、こうした中国由来の言葉を受容し、「倭国」を統治するための規約集の第一条に置いたとされる。『日本書紀』によれば、「皇太子親ら肇めて憲法十七条を作りたまふ」とあり、604年(推古天皇12)に制定されたとされている。その記述に従えば、1400年以上にわたって、「和」の精神を伝えていると言ってもいい。そして、儒教という外来の思想を「もてなし」、熟成させたのだと考えられる。

そうした長い伝統にもかかわらず、「おもてなし」を実践するには難しい一面もあることを、ここで指摘しておきたい。

もう10年以上も前になるが、ある新聞に、「和を以て貴しとなす」を取り上げ、「和とは平和の和である。平和を尊ぶ日本の国家基本法の冒頭には、わが国古来の言葉で理想を謳いたい」と主張しながら、『日本国憲法』前文を変更し、軍備を拡張すべきだとする論が掲載されていた。

では、平和を望みながら、なぜ軍事力の強化を訴えるのか。その理由は、邪悪な敵がいるからだ。著者はこんな風に書いている。
「政治が慰霊をも支配する中国や朝鮮では、今もなお政敵の墓を爆破したり(例、汪兆銘)、あばかせたり(李完用)する。(中略)急速に軍備を拡大し、海洋進出を図る隣の大国が、日本の安全と生存を保持してくれるとは私たちは思わない。私たちは、実際は、自衛隊と日米安保体制に依存して国の平和を維持してきた。近隣諸国の『公正と信義に信頼して』きたわけではない。だが日米同盟に依存するあまり、自助努力を怠り、いつまでも他力頼みのおめでたい国であっていいはずはない。」

この一節を読めば、中国や朝鮮に対しては「和を以て貴しとなす」という原理は働かないし、まして両国を「おもてなし」することなど思いもよらないと、著者が考えていることは明らかだ。
「和を尊ぶべきことを広く世界に訴え、かつ私たちの行動の指針としたい」という著者の頭の中では、「世界」の中に「近隣諸国」は入らないらしい。
このように、ある一つの思いにとらわれてしまうと、自分の言葉に、これほど明白な矛盾があることに気づかなくなってしまうのだ。

「おもてなし」を口にするのは易しい。しかし、相手を尊重し、その存在を受け入れることは、それほど容易ではない。だからこそ、相手を受け入れることによって、自分たちの世界もまた豊かになるという視点を、失わないようにしたいものだ。
(参考:日本的とは?

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