日本人は、死後の世界をどんなふうに考えてきたのだろうか。


柳田国男は『先祖の話』の中で、次のように書いている。
第一に、死んだ後は、一人一人が別々の霊魂として存在するのではなく、ご先祖様全員の霊魂が一つの塊となっていると考えていたらしい。
以前の日本人の先祖に対する考え方は、(中略)、人は亡くなってある年限を過ぎると、それから後は先祖さま、またはみたま様という一つの尊い霊体に、融け込んでしまうものとしていたようである。

第二に、「みたま様」は、あの世に去るのではなく、ずっとこの世の近く、家族の側にいると考えていたらしい。
日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。
私たちがお墓参りをして、ご先祖様の霊に手を合わせるのは、霊が安らかに眠ってほしいという願いもあるが、もう一つには、家族を見守り、幸せに暮らせるように守ってほしいという気持ちも含まれている。
それは、こうした日本人が古来から持ってきた信仰に由来しているのだろう。
すると、ふとこんな疑問が浮かんでくる。
自分が死に、お葬式をしてもらった後で、成仏して、極楽浄土に行くことはないのだろうか?
こんなふうに自分のこととして考えると、死後にはご先祖様の一人となって家族の側にいたいと思うのか、それとも、苦の娑婆であるこの世に未練を残さず、成仏して極楽浄土に行くことを願うのか。
面白いことに、「成仏できない」というと、死後もその人の霊魂が現世をさまよっていることになる。とすると、ご先祖様は、成仏できない可哀想な魂ということになってしまう。
こう考えると、日本には二つの考え方があることがわかってくる。
一つは、日本古来の先祖観。
もう一つは、仏教の死生観。
仏教に関して、柳田は、高野の明遍僧正(みょうへん・そうじょう)という高僧が、父親の十三忌をすることに断固として反対したという話を紹介している。
死んで五年も七年も六道の巷に流転し、仏果を得ることもならぬように心得るのは、仏の心にも背くことだというのが理由で、彼等の信仰ではもう夙(と)くのむかしに、浄土に往生していなければならぬのであった。
六道というのは、仏教において、すべての生き物がその生前の行い(業=カルマ)に応じて、死後も生まれ変わりを繰り返す六つの迷いの世界、つまり地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天のことである。そこから抜け出すことが救いであり、浄土に往生することにもつながる。
明遍僧正は、毎年念仏を唱えて霊を供養しているのだから、十三年も経っていたら、六道から抜け出しているはずだと考えたのだった。逆に言えば、もし父親がまだ成仏していないと考えるとしたら、それは父の霊が仏の道を外れたままだということになり、かえって失礼なことにもなる。
とすると、現在の仏教で、月供養とか、三回忌とか十三回忌とか、いつまでも供養を続けるのは、実はお寺の都合なのではないか。そんな疑問に、柳田国男は、少し嫌味を込めて、こんな答えを用意している。
盆の場合でも同じことだが、一方に念仏供養の功徳によって、必ず極楽に行くということを請け合っておきながら、なお毎年毎年この世に戻って来て、棚経(たなぎょう)を読んでもらわぬと浮ばれぬように、思わせようとしたのは自信のないことだった。
「自信がない」というのは、仏教の念仏をしても霊魂を成仏させられないのか、という詰問にも似た言葉だと考えられる。
柳田国男は、仏教に少し厳しいようだ。しかし、ここで興味深いのは、こうした仏教の教義と、日本人が実際に抱いてきた死者への思いとの間には、必ずしも一致しない部分があることである。
日本人は、六世紀に仏教が日本に伝わって以来、古来から伝わる先祖の霊への信仰と仏教の信仰を巧みに融合し、明確に区別することなく受け入れてきた。
それは決して悪いことではない。ある時にはご先祖様を身近に感じ、ある時には極楽浄土を願う。そのあり方は、一見すると折衷的、あるいは柔軟すぎるようにも見えるかもしれない。しかし、それによって日本人は、異なる信仰を互いに排除しない心を育んできた。
今でも、私たちは神さまと仏さまをあまり厳密に区別しない。お寺にも神社にも足を運び、自然に手を合わせ、祈りを捧げる。それが日本の信仰のあり方なのだろう。
自分自身のこととして考えると、死後にご先祖様になるという実感はあまり持てない。しかし、子が親を思い、親を慕う気持ちがあれば、親は自然にご先祖様となる。その一方で、死後には極楽浄土でのんびりと暮らしたいと願う気持ちもある。無理にどちらか一方を選ぶ必要はない。
伝統と新しい思想が互いに排除し合うのではなく、ほどよい距離を保ちながら共存する。それが、日本人らしい心の持ち方なのではないだろうか。