
日本の歴史を振り返ったとき、663年の白村江の戦いから1894年の日清戦争まで、約1200年の間、日本が外国へ軍を派遣して戦争を行うことは、ほとんどなかった。16世紀末に豊臣秀吉が朝鮮半島へ出兵したことは、唯一といっていい例外だった。
国内においては、672年の壬申の乱、12世紀末の平家と源氏の戦い、戦国時代など、いくつかの大きな戦乱があった。しかし、江戸時代の約260年間には、徳川幕府の統制によって大名同士が戦争をすることはなく、いわば「パクス・トクガワーナ」とでも呼べる時代が続いた。
日本が外国に進出して戦争を行ったのは、1894年の日清戦争から、第二次世界大戦が終結した1945年までの約50年間だったといえる。
そして1945年以降、日本は再び対外戦争を行わない時代に入った。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などにおいても、日本が直接の戦争当事国として参戦することはなく、2026年までこの状態を維持してきた。
このように振り返ってみると、日本は飛鳥時代から現在まで、明治から昭和にかけての約50年間を除けば、外国へ軍を派遣して戦争を行うことが比較的まれだった国だといえる。その意味で、日本人のDNAには、「平和の精神」が刻み込まれているといってもいいだろう。そして、そのことは、日本が世界に誇ることのできる最も大きな美徳の一つだと言っても、決して間違いではない。
もちろん、ここでいう「DNA」は生物学的な意味ではない。長い歴史の中で形成され、日本人の社会や文化に深く刻み込まれた性質を、あえて「DNA」と呼んでいるのである。外国との大規模な軍事的対立を繰り返すことなく、戦争を避ける方向を選択してきた歴史的な知恵と伝統は、日本に深く根付いているはずだ。
ところが近年、外交努力によって平和を維持しようとする姿勢に対して、「平和ぼけ」「お花畑」「ポエム」といった言葉を投げかけ、軍事力を強化することこそがリアルな政策であるという主張が受け入れられる風潮が強まっている。
しかし、軍備の増強が、本当に戦争の抑止につながるのだろうか。リアルはいったいどちらの側にあるのだろう。
たしかに、「ポエム」という言葉は、「リアル」の反対語だと思われるかもしれない。
「ポエム」という言葉を皮肉を込めて使う際には、「中身が伴わず、雰囲気だけ」「具体性や客観的根拠が欠如している」「情緒に訴えかけるだけの言葉遊び」といった意味が込められている。
しかし、私は文学を深く愛する者なので、詩、つまりポエムは、言葉の精髄だと考えている。中原中也やランボー、ヴェルレーヌたちのポエムを理解できないとしたら、それはひどく悲しいことだ。
戦争に関しては、反戦のポエムがある。例えば、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」、ポール・エリュアールの「自由(Liberté)」。美術であれば、ピカソの「ゲルニカ」がある。スティングの「ロシア人」という歌も、対立ではなく融和を訴えている。
そのため、「ポエム」という言葉を相手の主張に対する批判や皮肉として使うことには、どうしても違和感が拭えない。むしろ、「ポエム」こそが、表層的な現象を超えて、人間や社会の本質を伝える言葉ではないのか。
もしかすると、防衛力の強化や軍事的抑止力こそが唯一の現実的な解決策であると主張する人々、国際政治における「パワー・ポリティクス」を重視することが冷徹なリアリズムに基づいていると考える人々にとっては、芸術作品など意味のないものかもしれない。しかし、芸術や文学という視点を取り入れることで、私たちは「何が本当のリアルなのか」を問い直すことができるのではないだろうか。
「お花畑」も、「ポエム」と同じように、実質的な中身のないきれい事、宙に浮いた理想論、結果を考えない楽観論を意味し、ひどい場合には、「考えの浅い脳天気な人たちに貼り付けるレッテル」として使われる。つまり、「現実主義」や「冷徹な現状認識」の欠如を揶揄する言葉になっているのだ。
しかし、ここでも私は「ポエム」と同じことを思ってしまう。
美しい花が咲き誇る草原を見て、つまらないと思う人がいるのだろうか。たとえ苦しく、悲しい時にも、美しい花畑が目に入れば、一瞬だけだとしても心が安らぐ。
「そんな気休めはいらない。問題解決にはならない」と考える人々もいるだろう。しかし、美しいものを見たら美しいと感じる感受性こそが、人間が平穏を求めるための根底にあるのではないかと、私は思う。
そして、最後に「平和ぼけ」という言葉について考えてみよう。
まず「呆け」とは、加齢や脳の障害などの原因によって記憶力や判断力が低下し、日常生活に支障が出る状態を指す。したがって、「平和ぼけ」とは、戦争や安全保障などについての判断力が低下し、現実離れした空想的な理想論に入り浸っていることを意味することになる。ポイントは、「ポエム」と「お花畑」と同じく、「非現実的」という点にある。
日本は長い間、戦争のない平和を享受してきた。それなのに、あるいは、それだからこそなのか、近年の日本では、リアルな安全保障とは軍事力であり、その軍事力の増強に反対することは「平和ぼけ」だと見なす傾向がある。なぜなのだろうか。
しかし、ここで歴史を振り返ってみたい。
日本は、663年の白村江の戦い以降、豊臣秀吉による朝鮮出兵などの例外はあるものの、19世紀末の日清戦争に至るまで、外国に対する大規模な戦争を恒常的に行う国家であった期間は極めて限られていた。
13世紀には二度の元寇があり、日本は外国勢力の侵攻を受けた。しかし、これは日本から外国へ軍を派遣した戦争ではなく、日本列島に侵攻してきた外国勢力に対する防衛戦だった。
もちろん、日本の歴史に戦争がなかったわけではない。国内では長い間、数多くの戦闘が繰り返されてきた。しかし、それらの多くは国内の政治的・社会的対立に起因するものであり、外国との戦争とは性格が異なる。
では、日本の歴史的経験から見たとき、日本の伝統とは何なのだろうか。
1200年近くにわたって対外戦争を恒常化させなかった歴史なのか。それとも、軍備を増強して自国を防衛する一方で、他国へ侵攻し、植民地化を含む戦争を行った近代日本の歴史なのか。
日本列島がユーラシア大陸の東端に位置し、海によって大陸と隔てられているという地理的条件が、外国からの侵攻を受けにくくしたことも間違いない。しかし、地理的条件だけで歴史を説明することもできない。
日本は、長い歴史の中で、外国との関係を維持し、交易を行い、文化を受け入れ、ときには外国との衝突を避けるための政治的な選択を行ってきた。
ところが、現在、「軍事的脅威」や「現実的なリスク」を強調する人々が仮想敵国として想定するのは、中国、ロシア、北朝鮮であり、いずれも日本の周辺国である。時には、韓国に対してさえ敵意が表明されることがある。
そうだとすれば、日本は国土を取り囲むほぼすべての国を仮想敵国としてしまうことになる。
防衛力という軍事力の強化こそがリアルな国防策だと唱える側の仮想敵国が、このような隣国であるとしたら、なんと不幸なことだろう。
もちろん、軍事力が国家の安全保障において重要な役割を果たすことを否定するつもりはない。国家には、自国民を守るための現実的な安全保障政策が必要である。しかし、軍事力だけが「リアル」なのではない。
外交も、経済関係も、文化交流も、相互依存も、国際的なルールも、そして戦争を避けようとする意思も、すべて国家の安全を左右する現実的な要素である。
むしろ、戦争を避けることこそ、国家にとって最も現実的な課題の一つではないだろうか。
「日本人のDNAには平和が刻まれている。」
その意味は、日本が1200年近くにわたって対外戦争を恒常化させることなく、社会や文化の中に、外国との戦争を避け、平穏な状態を維持しようとする価値観を形成してきたということだ。
それは決して「平和ぼけ」を引き起こす要因ではない。むしろ、戦争を避け、隣国との関係を安定させようとすることが、日本の長い歴史の中で培われてきた一つの知恵であると考えることもできる。
現代では、私のこうした意見が、「ポエム」「お花畑」「平和ぼけ」と批判されるのかもしれない。
しかし、短いフレーズで相手にレッテルを貼り、論破したような気分になることこそ、論理的な思考を省略する現代の病ではないだろうか。
「ポエムだから非現実的だ」
「お花畑だから現実が見えていない」
「平和ぼけだから安全保障が分かっていない」
こうした短く断定的な言葉を並べて反対意見を断罪するだけでは、何も証明したことにはならない。本当に必要なのは、まず歴史の事実を振り返り、そこから現実を直視することだ。
何が「リアル」で、何が「ポエム」なのか。その境界を決めるのは、誰かが貼り付けたレッテルではない。
繰り返すことになるが、まずは歴史の事実を振り返り、「現実」を直視すること。そこから始めないといけない。
フランスでは今年(2026年)の夏から、18~19歳を中心とする18~25歳の若者を対象に、有給の志願制軍事奉仕制度が始まった。志願者には軍人の身分が与えられ、月額最低800ユーロの給与が支給される。
この制度を取り上げたフランスのテレビ番組で、ある元軍人は「2030年にはプーチンのロシアとの戦争が想定されており、兵士の増員が不可欠だ」と語った。さらに、「兵士の死は無駄な犠牲ではなく、国を守るためのものだ」と述べ、一定以上の年代が徴兵や戦争という言葉に拒否感を示す一方で、若者たちが「積極的に国を守る」と語る姿勢を頼もしく評価していた。
仮想敵国を設定し、戦争に備えるメンタリティがどのような世界をもたらすのか。こうした動きからも、その兆候を見て取ることができる。
「仮想」を「リアル」と錯覚し、集団殺人である戦争へと突き進む幻想は、やがて現実の悲劇を引き起こしかねない。