徒然草「仁和寺にある法師」―吉田兼好が私たちに伝える教訓

『徒然草』第52段で、兼好法師は、仁和寺(にんわじ)の僧侶の話を取り上げ、現代にも通用する一つの教訓を提示している。

その挿話を、兼好の語り(1)、仁和寺の法師の言葉(2)、教訓(3)という、三つの部分に分けて、読み解いていこう。

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Desireless Voyage Voyage デザイアレス ヴォワイヤージュ ヴォワイヤージュ フランス人にとっての昭和ノスタルジー? 

フランスのニュースを見ていたら、Lilleの町の骨董市で、Les années 80(80年代)のものを求める人々が話題になっていた。日本で言うと昭和ノスタルジーのようなものだろう。
そして、そのニュースの背景で流れているのが、Desirelessの« Voyage Voyage »だった。

昭和の懐メロを聴くような気分で、歌詞を辿ってみよう。

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「おもてなし」とは何か ― 日本の良き伝統と「和」の精神

「おもてなし」は、日本的な美徳として、とりわけ接客の分野で語られることが多いのだが、もともとの意味が見失われていたり、現実の言動と矛盾していても、それに気づかなかったりする場面も散見される。

「おもてなし」が「もてなし」に「お」を付けて丁寧にした表現であることはわかるのだが、「恩を持って事を成す」とか、「物を持って成し遂げる」といった説明が語源として語られても、今一つピンとこない。

言葉遊びのように「表なし」とされ、表裏のない心でお客様を迎えることが「おもてなし」の語源だという説明が見られることもある。

また、歴史的な例が提示されることもある。聖徳太子の「十七条憲法」の第一条に「和を以て貴しと為す」とあり、そこから「もてなす」という言葉が派生したとする説明である。

ネット上のこうした説明をそのまま信じるのは少し不安なので、岩波書店の『古語辞典』に手を伸ばし、「もてなし(持て成し)」の項目をのぞいてみる。

そこでわかるのは、「モテ」が接頭語であり、「対象の性質や様子を変えずに維持して……する」、「対象を大事にし、また特に相手にして……する」という意味を持つことである。
そして、「持て成し」は、「相手の状態をそのまま大切に保ちながら、それに対して意図的に働きかけて処置する」というのが、最も根本的な意味だとされている。

つまり、まず最初に、対象となる相手を尊重する気持ちがあり、そのうえで相手に対して何かを行う。これが、日本古来の「もてなし」に通じる精神だったことがわかる。

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加藤周一 「日本文化の雑種性」とその土壌

加藤周一(1919-2008)は、フランス留学のため、1951年11月に羽田空港から出国し、1955年3月、貨物船で神戸港に帰国した。彼は本来医師であり、アメリカへの留学も視野に入れていたのかもしれない。しかし、一高時代から「フランスに行きたい」という思いが強く、フランス政府の留学生試験を受け、フランスで文学研究を行う道を選んだ。

フランス留学を経て帰国した加藤は、敗戦から10年を経た日本を、ヨーロッパでの生活体験を踏まえて見つめ直し、日本の文化について思索をめぐらせ、その成果を次々と発表していった。

1955年6月に発表された「日本文化の雑種性」は、明治維新以降に近代化された日本のあり方を問い直すものであり、翌1956年9月の「果たして『断絶』はあるか」の一節では、日本が外国の文化を受容する土台について論じている。

ここでは、この二つの日本文化論を通して、加藤周一が提示した日本文化のあり方を探っていこう。

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知の民主化? 「専門家の知見」 vs 「一人の個人の意見」

SNSでは、誰もが自由に自分のオピニオンを発信することができる。その意味では、とても民主的な対話の場であるということができる。
しかし、その一方で、専門的な分野で研究を重ねた上で発信される情報と、何の知見もないままに発信される感想とが、一つの土俵の上で相撲を取るように対峙するといった状況も生じている。

例えば、地球温暖化について、専門分野の研究者は、観測データ、物理学的理論、気候モデル、過去の研究との整合性などを積み重ね、「現在の地球温暖化は人為的な温室効果ガス排出による」と論証する。

その論証に反対するのであれば、データ、方法論、論理という同様の手続きに基づいた論証が求められる。実際、「地球はもともと温暖化と寒冷化を繰り返している」、「気温の変化は太陽活動や宇宙線の影響を受けている」といった説が提示されることもある。

しかし、それ以上にSNSでは、「そんなものは嘘だ」、「昔も暑かった」、「CO₂が増えたから温暖化したという証拠はない」、「科学者は金儲けのために言っている」などと、短い言葉で結論だけを提示し、いかにも「論破」したかのような姿勢を示す。

一見すると、とても不思議な現象である。しかし、インターネットという仮想空間では、こうした「専門家の知見」と「一人の個人の意見」が、選挙の投票にたとえれば、同じ一票であるかのように扱われ、流通している。

図示すると、次のようになる。

「発言する権利の平等」
↓
「意見の価値の平等」
↓
「根拠を示さない断言でも、一つの有力な意見として受け入れられる」

このようにして、SNS上では、誰もが発言できるという言論の平等が、「誰の意見も同じ価値を持つ」という認識へと変質していると考えられる。

しかし、こうした状況が続くことは、地球温暖化対策などを考える上で、近未来どころか、現在においてすでに大きな問題を引き起こすことにつながっている。

では、短い言葉で専門家や権威を断罪する発信者たちは、何を求めているのだろうか。

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