ラ・フォンテーヌ 影のために獲物を逃す犬 La Fontaine « Le Chien qui lâche sa proie pour l’ombre » 想像力について

17世紀のフランスにおいて、想像力(imagination)は、人を欺く悪いものだと考えられていた。
例えば、ブレーズ・パスカルは『パンセ(Pensées)』の中で、「人間の中にあり、人を欺く部分。間違いと偽りを生み出す。(C’est cette partie décevante dans l’homme, cette maîtresse d’erreur et de fausseté […]. B82)」とまで書いている。

ラ・フォンテーヌは、わかりやすい寓話の形で、その理由を教えてくれる。
その寓話とは「影のために獲物を逃す犬(Le Chien qui lâche sa proie pour l’ombre)」。
獲物(proie)が実体(être)、影(ombre)が実体の映像=イメージ(image)と考えると、イメージを作り出す力である想像力(imagination)が、人を実体から遠ざけるものと考えられていた理由を理解できる。

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ラ・フォンテーヌ 「女に姿を変えた雌猫」 La Fontaine « La Chatte métamorphosée en femme » 自然なままで

猫は人間にとってとても近い動物なので、様々な文学作品に出てくる。
ラ・フォンテーヌの寓話の中にも、「女に姿を変えた雌猫(La Chatte métamorphosée en femme)」がある。

この寓話は、イソップの「猫とヴィーナス」が下敷きになっている。

  猫が若い素敵な男性に恋をした。そこで、ヴィーナスに自分を人間の女に変えてくれるようにとお願いした。ヴィーナスはその願いを承知すると、彼女を美しい娘に変えてやった。
  こうして若者は、娘に一目惚れすると、彼女を家に連れ帰ってお嫁さんにした。ヴィーナスは姿を変えたネコが、性質も変わったかどうか知ろうとして、二人が寝室で横になっているところにネズミを放した。今の自分をすっかり忘れてしまったネコは、ネズミを食べようと寝椅子から跳ね起きネズミを追い掛けた。ヴィーナスはこの様子に大変失望して、ネコをもとの姿に戻した。
  悲しいことだが、生まれ持ったものは変えられない。

この話をラ・フォンテーヌはどのように変形し、17世紀のサロンや宮廷のエスプリに溢れたものにしたのだろうか。

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ラ・フォンテーヌ 狼と小羊 La Fontaine  Le Loup et l’Agneau 長いものには巻かれろ?

ラ・フォンテーヌの「狼と小羊」の冒頭の一句 « La raison du plus fort est toujours la meilleure.»(最も強いものの理屈が常に最もいいもの。)は、フランス語の諺として定着している。

日本の諺では、「長いものには巻かれろ」と言われることが多いが、「勝てば官軍、負ければ賊軍」、「弱肉強食」等とも対応する。
相撲界であれば、「無理へんにげんこつ」。
会社などでは、上司に「黒いものを白」と言われたら、「白」と言わないといけない等々。
間違っていることでも、自分よりも強かったり、上の立場にいる人間の言うことには従わないといけないということは、誰もが経験する。

17世紀であれば、狼はルイ14世で、子羊は宮廷人と考えると、私たちにはわかりやすいかもしれない。(ただし、ラ・フォンテーヌは、すぐに王に対する批判だとわかる寓話を書くようなそれほど単純な作家ではない。)

そうした状況の中で、ラ・フォンテーヌは、とても面白い試みをする。
一般的に寓話の教訓は、物語の最後に置かれる。
それに対して、「狼と小羊」では、寓話の最初に教訓を明記した。

Le Loup et l’Agneau

La raison du plus fort est toujours la meilleure :
            Nous l’allons montrer tout à l’heure.

狼と子羊

最も強いものの理屈が、常に最もいいものだ。
これからそのことを証明することにする。

それほど、この教訓は絶対的なものという意味だろうか。
それとも、何か繊細な仕組みがほどこされているだろうか。

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ラ・フォンテーヌ 「狼と犬」 La Fontaine « Le Loup et le Chien » 自由からありのまま(naturel)へ

イソップ寓話の「狼と犬」は日本でも比較的よく知られている。
犬は、束縛されてはいるが、安逸な生活を送る。
狼は、自由だが、いつも飢えている。
そして、イソップ寓話では、狼が体現する自由に価値が置かれる。

17世紀のフランスのサロンや宮廷は、「外見の文化」の時代。
貴族たちは、社会の規範に自分を合わせないといけないという、強い束縛の中で生きていた。服装や振る舞いが決められ、逸脱したら社会から脱落することになる。
そうした束縛が支配する場で、「狼と犬」の寓話を語るとしたら、どんな話になるだろうか。

言葉遣いの名手ラ・フォンテーヌの「狼と犬」では、教訓は付けられていず、「狼は今でも走っている。」という結末。
そこで、読者は、自分で教訓を考える(penser)ように促されることになる。

束縛ではなく自由を選ぶと言うことはたやすい。
しかし、実際に自由に生きることは簡単ではない。そのことは、ルイ14世の宮廷社会に生きる貴族たちも、21世紀の日本を生きる私たちも、よくわかっている。

ラ・フォンテーヌの寓話は、最初から決まった結論に読者を導くよりも、「考える(penser)」ことを促す。その意味では、デカルトやパスカルと同じ17世紀フランスの「考える」文化に属している。

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ラ・フォンテーヌ 「樫と葦」 La Fontaine « Le Chêne et le Roseau » 自信と知恵

ラ・フォンテーヌの寓話の中でも、「樫と葦(Le Chêne et le Roseau)」は最高傑作の一つと言われている。
樫は、その姿通り、堂々とした話し方をし、自信に満ちあふれている。
それに対して、葦は、柔軟な考え方を、慎ましやかだけれど、少し皮肉を込めた話し方で表現する。


ラ・フォンテーヌと同じ17世紀の思想家パスカルは、「人間は葦である。自然の中で最も弱い存在だ。しかし、考える葦である。(L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature; mais c’est un roseau pensant.)」と言った。
自分の弱さを知ることが人間の偉大さだと、パスカルは考えたのである。

では、ラ・フォンテーヌは、葦を主人公にしたイソップ寓話を語り直しながら、何を伝えているのだろうか。

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ラ・フォンテーヌ 熊と庭の愛好者 La Fontaine « L’Ours et l’amateur des jardins » 閉じこもりと触れあい

コロナウィルスのためにフランス中で外出禁止例が出され、多くの人が必要な場合以外、家から外に出ない状態(confinement)が続いている。(2020年3月27日現在。)
そんな時、ファブリス・ルキーニがネット上で、ラ・フォンテーヌの寓話「熊と庭の愛好者」L’Ours et l’amateur des jardinsを朗読したことが話題になっている。
https://www.actualitte.com/article/monde-edition/confinement-fabrice-luchini-nous-lit-les-fables-de-la-fontaine/99871

この寓話、フランス的なユーモアと皮肉がたっぷりで、実に面白い。

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ラ・フォンテーヌ 「カラスとキツネ」 La Fontaine « Le Corbeau et le Renard » 詩の楽しさを味わう

ラ・フォンテーヌの寓話は、素晴らしく効果的な韻文で書かれている。
音節数と韻の効果の他に、音色やリズムの変化が物語を効果的に盛り上げる。
その巧妙な技法を知ると、フランス語の詩の面白さを実感することができる。

日本でもよく知られている寓話「カラスとキツネ」(Le Corbeau et le Renard)を読みながら、韻文の面白さと素晴らしさを感じてみよう。

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ラ・フォンテーヌ博物館 Musée Jean de La Fontaine

パリから50分ほど電車に乗ると、シャトーチエリ(Château Thierry)に着く。
そこはジャン・ド・ラ・フォンテーヌの生まれ故郷。
彼の生家は、今、博物館として開放されている。
https://www.museejeandelafontaine.fr/?lang=fr

博物館の中に入ると、寓話の世界にどっぷりと浸ることができる。

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ラ・フォンテーヌ 「セミとアリ」 La Cigale et la Fourmi 『寓話集』への招待 Invitation aux Fables de la Fontaine

17世紀後半の作家ラ・フォンテーヌは、イソップの寓話をルイ14世が支配する宮廷社会の時代精神に合わせて書き直した。

1668年に出版された彼の『寓話集』は、六つの書に分けられ、それぞれの巻の最初には寓話というジャンルを説明する話が配置されている。
その中でも、「セミとアリ」は、「第一の書」の冒頭に置かれ、『寓話集』全体の扉としての役割を果たしている。

「セミとアリ」は、日本では「アリとキリギリス」という題名で知られている。
夏の間、キリギリスは歌を歌い、働かない。冬になり、夏働いていたアリに食べ物を分けてくれるように頼むが、もらうことができず死んでしまう。
このような話を通して、勤勉に働くことや将来を見通すことの大切さ等が、教訓として読み取られる。

ラ・フォンテーヌは、その物語の骨格に基づきながら、自分風に変えていく。

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