
『悪の花(Fleurs du mal )』が1857年に出版され、風紀を乱すという罪状で裁判にかけられている時期、ボードレールは、それまでは明確な形で愛を告白してこなかったアポロニー・サバティエ夫人、通称「女性大統領(La présidente)」に手紙を書き、9編の詩が彼女に向けられたものであることを告白した。
「香水瓶(Le Flacon)」はその中の一編であり、共感覚を歌った「夕べの諧調」(参照:ボードレール 夕べの諧調 )に続き、香りと思い出が連動する様子が歌われている。

『悪の花(Fleurs du mal )』が1857年に出版され、風紀を乱すという罪状で裁判にかけられている時期、ボードレールは、それまでは明確な形で愛を告白してこなかったアポロニー・サバティエ夫人、通称「女性大統領(La présidente)」に手紙を書き、9編の詩が彼女に向けられたものであることを告白した。
「香水瓶(Le Flacon)」はその中の一編であり、共感覚を歌った「夕べの諧調」(参照:ボードレール 夕べの諧調 )に続き、香りと思い出が連動する様子が歌われている。

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の語り手である「私」は、ある冬の日、母の準備してくれた紅茶にマドレーヌを入れて味わった時の「甘美な喜び(un plaisir délicieux)」を思い出す。
その感覚が、飲み物によってもたらされたものではなく、自分自身の中にあるものだった。
Il est clair que la vérité que je cherche n’est pas en lui (le breuvage), mais en moi.
明らかに、私が探している真実は、その飲み物の中にあるのではなく、私の中にある。
「私」はその真実に達しようとするのだが、試みる度に抵抗があり、「自分の底にある(au fond de moi)」ものが浮かび上がってこない。

と、突然、思い出が蘇る。
Et tout d’un coup le souvenir m’est apparu. Ce goût, c’était celui du petit morceau de madeleine que le dimanche matin à Combray (parce que ce jour-là je ne sortais pas avant l’heure de la messe), quand j’allais lui dire bonjour dans sa chambre, ma tante Léonie m’offrait après l’avoir trempé dans son infusion de thé ou de tilleul.
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マルセル・プルースト(Marcel Proust)の『失われた時を求めて(À la recherche du temps perdu)』は20世紀を代表する小説の一つであり、忘れていた思い出を一気に甦らせるマドレーヌの挿話は現在でもよく知られている。
フランス語を学び、フランス文学に興味があれば、『失われた時を求めて』を一度は読んでみたいと思うのだが、しかし小説全体は7巻からなり、7000ページにも及ぶ。その上、プルーストの文章は、一文が長いことで知られているために、読むのを諦めてしまうこともある。

日本人にとって、フランス語の長い文はハードルが高い。
その理由は、日本語では、核となる名詞や動詞の前に付随する形容詞や副詞が位置するのに対して、フランス語では後に続くという、構文上の違いにある。
そのために、文が長く続けば続くほど、出てきた要素がどこに関係しているのか分からなくなってしまう。
プルーストの文章は、フランス人にとっても長いといわれる。名詞を説明する関係代名詞に先行された文や、挿入句や文がいくつも繋げられ、なかなか終わらない。
しかし、決して不明瞭な文だと言われることはない。
日本語の文では、時として主語と動詞の関係がずれ、文意が不明瞭なことがある。それでも、日本語母語者にはなんとなくわかってしまう。外国人にはなんと難しいことだろうか!と思ったりもする。
反対に、フランス語では、文がどんなに長くなっても、そうしたズレは生じない。構文は明確であり、主語と動詞の関係がずれるということはない。
混乱するとしたら、頭の中で日本語に訳し、語順を変えてしまうからだ。
関係代名詞や挿入文が出てくるときは注意を要する。英語の授業で、関係代名詞に続く文を「訳し上げる」ことを教わることがある。それこそが英語の構文を混乱させる大敵なのだ。
文章を前から読んで、そのまま理解していく。当たり前のことだが、それがどんな言語でも、読む時の基本となる。
なぜプルーストの文が時として非常に長いのかは、人間の意識や記憶に関する本質的な問題を含んでいる。その点に関して、マドレーヌが最初に出てくる場面を読みながら、考えて行くことにしよう。
続きを読むギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)は、1918年、死の直前に出版した『カリグラム(Calligrammes)』の中で、文字がデッサンのように配置された詩によって、詩と絵画とが融合した新しい芸術を目に見える形で示した。




カリグラム(Calligrammes)という言葉は、「習字」を意味する「カリグラフィー(calligraphie)」と「表意文字」を意味する「イデオグラム(idéogramme)」を組み合わせたアポリネールの造語だが、さらに遡ると、ギリシア語の「カロ(kallos)=美」と「グラマ(gramma)=文字」に由来し、「美しく書く、美しい文字」を暗示する。
アポリネールは、友人のパブロ・ピカソに「僕も画家だ。」と言ったと伝えられるが、『カリグラム』の中表紙にはピカソによるアポリネールの肖像画が掲げられている。
彼らは、20世紀初頭において、新しい美の創造を目指した芸術家の一団の中で、中心的な役割を果たしたのだった。
ここでは、カリグラムによって描かれた「ネクタイと腕時計(La Cravate et la Montre)」を見て=読んでいこう。
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パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)は、1850年にギリシアで生まれた。父はアイルランド人の医師で、母はヴィーナスが誕生した島として知られるエーゲ海のキュテラ島出身。
2年後に両親はアイルランドに戻るが、間もなく離婚。ハーンは父方の大叔母に育てられ、フランスの神学校やイギリスのダラム大学などでカトリックの教育を受ける。ただし、彼はキリスト教に反感を持ち、ケルトの宗教に親近感を示した。
1869年、大叔母が破産し、ハーンはアメリカに移民として渡り、シンシナティでジャーナリストとして活動するようになる。その後、ニューオーリンズの雑誌社に転職し、さらに、カリブ海のマルティニーク島へ移住する。
日本にやってきたのは、1890年4月。8月から、島根県松江の学校に英語教師として赴任した。
1891年1月、松江の士族の娘、小泉セツと結婚。同じ年の11月、松江を離れ、熊本の第五高等学校の英語教師になる。
1894年、神戸市のジャパンクロニクル社で働き始める。
1896年9月から東京帝国大学文科の講師として英文学を担当。その年に日本に帰化し、小泉八雲と名乗った。
東京では最初、牛込区市谷富久町で暮らしたが、1902年に西大久保に転居。
1903年、帝国大学の職を解雇され、後任として夏目漱石が赴任する。
1904年9月26日、心臓発作のために死去。享年54歳。
ラフカディオ・ハーンの生涯をこんな風に足早に辿るだけで、彼がシャルル・ボードレールの散文詩「異邦人」に親近感を持ち、英語に翻訳したことに納得がいく。
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1913年に出版された『アルコール(Alcools)』に収めらた「大道芸人たち(saltimbanques)」は、ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)による’芸術家の肖像’あるいは’芸術観’を表現した詩だと考えられる。
一行8音節の詩句が4行で形成される詩節が3つだけの短い詩。
韻の連なりはAABBと平韻。AAは男性韻、BBは女性韻と非常に規則的。
非常に簡潔な詩の作りになっている。
唯一の特色は、『アルコール』の他の詩と同じように、句読点がないこと。
内容に入る前に、詩の音楽性を感じるため、意味にこだわらずに朗読を聴いてみよう。

ボードレールは、「現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)」の第11章「化粧礼賛(Éloge du maquillage)」の中で、ナチュラルな美を良しとする傾向に対し、美とは人工的に作り出すものであるという美学を明確に表現した。
彼にとって、ファッションや化粧は、芸術や詩に匹敵する美を生み出す技術なのだ。
「化粧礼賛」の結論部分で、ボードレールは次のように言う。
Ainsi, si je suis bien compris, la peinture du visage ne doit pas être employées dans le but vulgaire, inavouable, d’imiter la belle nature et de rivaliser avec la jeunesse. On a d’ailleurs observé que l’artifice n’embellissait pas la laideur et ne pouvait servir que la beauté. Qui oserait assigner à l’art la fonction stérile d’imiter la nature ? Le maquillage n’a pas à se cacher, à éviter de se laisser deviner ; il peut, au contraire, s’étaler, sinon avec affectation, au moins avec une espèce de candeur.
以上のように、もし私の言うことがしっかりと理解されたのであれば、顔に化粧するのは、人に告白できないような俗っぽい目的、つまり、美しい自然を模倣し、若さと対抗するといったことのために、なされるべきではない。すでに考察したことだが、人工的な手段は、醜い物を美しくはしないし、役に立つのは美しいものだけに対してだけである。誰が、芸術に、自然を模倣するという不毛な機能を与えようとするだろう? 化粧は隠すべきではなく、化粧だと思われるのを避けるべきでもない。反対に、化粧は、気取ってとはいわなくても、一種の無邪気さをもって、はっきりと見せることができるものである。
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小林秀雄が学生時代にボードレールを愛読していたことはよく知られていて、「もし、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろう」(「詩について」昭和25(1950)年)とか、「僕も詩は好きだったから、高等学校(旧制第一高等学校)時代、『悪の華』はボロボロになるまで愛読したものである。(中略)彼の著作を読んだという事は、私の生涯で決定的な事件であったと思っている」(「ボオドレエルと私」昭和29(1954)年)などと、影響の大きさを様々な場所で口にしている。

そうした中で、『近代絵画』(昭和33(1958)年)の冒頭に置かれた「ボードレール」では、小林が詩人から吸収した芸術観、世界観が最も明瞭に明かされている。
その核心は、芸術作品の対象とするモデルと作品との関係、そして作品の美の生成される原理の存在。
『近代絵画』は次の一文から始まる。
近頃の絵は解らない、という言葉を、実によく聞く。どうも馬鈴薯(ばれいしょ)らしいと思って、下の題を見ると、ある男の顔と書いてある。極端に言えば、まあそういう次第で、この何かは、絵を見ない前から私達が承知しているものでなければならない。まことに当たり前の考え方であって、実際画家達は、長い間、この当たり前な考えに従って絵を描いて来たのである。
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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がアメリカで新聞記者をしている時代、フランス文学の翻訳にも興味を持ち、ボードレールの散文詩の翻訳などもしていた。
1883年12月31日発行の「タイムズ・デモクラット(Times Democrat)」紙に、« ボー ドレールからの断片(Fragments from Baudelaire) »という記事があり、ボードレールの散文詩4編の翻訳が掲載されているが、その著者(訳者)がハーンであると推定されている。
フランス語を日本語に訳すのとは違い、英語の翻訳であれば、フランス語の構文はほぼ保つことができる。そうした中で、どのような変更が加えられたのか見ていくのは、ハーンの文学観を知る上で大変に興味深い。
ここでは、「髪の中の半球(Un Hémisphère dans une chevelure)」の原文と英語訳を対照しながら読んでみよう。
Un Hémisphère dans une chevelure
Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.
意味や読解については、以下の項目を参照。
ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩
A Hemisphere in a Woman’s Hair
Ah! let me long, long breathe the odor of thy hair; let me plunge my whole face into the rippling of thy locks, even as a thirsty man plunges his face into the waters of a spring. Let me shake thy tresses with my hand, as one shakes a perfumed handkerchief, as one memories from them into the air around me.

散文詩「髪の中の半球(un hémisphère dans une chevelure)」は、韻文詩「髪(La Chevelure)」をボードレールが書き換えた作品だと考えられている。
実際、「髪の中の半球」が最初に発表された時、題名は韻文詩と同じ「髪(La Chevelure)」だった。さらに、韻文詩は7つの詩節で構成されるが、散文詩にも7つの段落がある。その内容も対応する部分があり、同じ単語が使われていたりもする。
従って、「髪」を下敷きにしながら「髪の中の半球」を読んでいくと、ボードレールが散文詩というジャンルをどのようなものとして成立させようとしていたのかが、わかってくる。
韻文詩「髪(La Chevelure)」はこのように始まる。
Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure ! おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir ! おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure 恍惚! 今宵、暗い寝室を、
Des souvenirs dormant dans cette chevelure, この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!
ボードレール 「髪」 Baudelaire « La Chevelure » 官能性から生の流れへ
散文詩「髪の中の半球」では、韻文詩の最初の2行及び3行目の最初に置かれた「恍惚(Extase !)」を含め、感嘆詞で綴られる部分が省かれる。
そして、「君の髪(tes cheveux)」の「香り(l’odeur)」を嗅ぎ、それを「揺する(agiter)」ことで、「思い出(souvenirs)」を掻き立てるという、具体的な行為から出発する。
Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.
髪の中の半球
吸い込ませておいてくれ、長い間、長い間、君の髪の香りを。そこに顔をすっぽりと沈ませておいてくれ、泉の水で喉を潤す男のように。その髪をこの手で揺らさせておくれ、香りのいいハンカチを振るように。思い出を空中に振りまくために。