ポール・ヴァレリー 若きパルク Paul Valéry « La Jeune Parque » 冒頭の3行 音楽と思想

ポール・ヴァレリー(Paul Valéry)の「若きパルク(La jeune Parque)」は、512行に及ぶ長い詩。執筆期間は4年に渡り、その間に書かれた下書きは600ページにのぼるという。
内容的にもかなり理解が難しく、全てを読み通すためにはかなりの労力と根気と忍耐を要する。

その一方で、この詩が発表された当時から音楽性が高く評価され、ヴァレリー自身、18世紀の作曲家グルックやワグナーのオペラを念頭に置いていたことが知られている。
実際、「知性」のメカニスムとか「自己意識」のドラマといった哲学的な思索が、フランス語の詩句の奏でる美しい調べに乗せて運ばれている。

ここで冒頭の3行の詩句を取り上げるにあたり、まず最初に、詩句の音楽性を感じてみよう。

La jeune Parque

Qui pleure là, sinon le vent simple, à cette heure
Seule, avec diamants extrêmes ?.. Mais qui pleure,
Si proche de moi-même au moment de pleurer ?

若きパルク

誰がそこで泣いているの、ただの風でないのなら、こんな時間に、
1人で、極限のダイヤモンドと一緒に?・・・ でも、誰が泣いているの、
私自身のこんな近くで、泣いているこの時に?

以下のyoutubeビデオで、この3行の朗読を聴くと、フランス語の詩句の美を感じことができる。

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プルースト 『失われた時を求めて』 Proust  À la cherche du temps perdu 無意志的記憶と芸術創造

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は、最終巻である『見出された時』に至り、「無意志的記憶(mémoire involontaire)」のメカニスムが解明され、次に、その記憶と芸術作品の関係が明らかにされる。

「無意志的記憶」によって喚起される思い出は、過去の出来事というだけではなく、思い出す今の時間と二重化する。
それは、思い出と今を同時に「生きる(vivre)」ことであり、「事物の本質を享受する( jouir de l’essence des choses)」ことのできる瞬間だと、語り手の「私」は考える。
(参照:プルースト 見出された時 過去と現在の同時性

その後、「私」は、「事物の本質」を「固定する(fixer)」するためにはどのようにすればいいのかと、思考を巡らせる。

De sorte que ce que l’être par trois et quatre fois ressuscité en moi venait de goûter, c’était peut-être bien des fragments d’existence soustraits au temps, mais cette contemplation, quoique d’éternité, était fugitive. Et pourtant je sentais que le plaisir qu’elle m’avait donné à de rares intervalles dans ma vie était le seul qui fût fécond et véritable. ( Le Temps retrouvé )

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ランボー イリュミナシオン 文  Rimbaud Illuminations Phrases 

プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいると、巨大な建造物でありながら、内部は超精密に構成された文に感嘆する。だが、その一方で、常に息を詰め、集中力を保っていかなければ迷子になてしまいそうで、息苦しくなってくることもある。

そんな時、ふと、ランボーの『イリュミナシオン』の「文(Phrases)」と題されたいくつかの断片に目をやると、突然の解放感に捉えられる。

 Avivant un agréable goût d’encre de Chine, une poudre noire pleut doucement sur ma veillée. — Je baisse les feux du lustre, je me jette sur le lit, et, tourné du côté de l’ombre, je vous vois, mes filles ! mes reines !  

 墨の心地よい味わいを生き生きとさせながら、黒い粉がシトシトと振りかかかる、僕の眠れぬ夜の上に。— ぼくはランプの炎を小さくする。ぼくはベッドの上に身を投げる。そして、闇の方に体を向けると、お前たちが見えてくる、ぼくの少女たちよ! ぼくの女王たちよ!

なかなか寝付けない夜(veillée)、部屋の闇がランプの煤でますます黒くなる。明かりをさらに小さくすると、暗闇はさらに深くなる。

この文を読むと、2022年10月26日に亡くなったピエール・スーラージュ(Pierre Soulages)の黒の絵画が思い出される。

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ネルヴァル 夢は第二の生である Nerval Le Rêve est une seconde vie

ジェラール・ド・ネルヴァルの『オーレリア』は、「夢は第二の生である(Le Rêve est une seconde vie)」という有名な言葉で始まる。
そして、次のように続く。

Je n’ai pu percer sans frémir ces portes d’ivoire ou de corne qui nous séparent du monde invisible.

私は、震えることなしに、私たちと目に見えない世界を隔てる象牙あるいは角でできた門を通ることが出来なかった。

ここで示されるのは、現実世界と目に見えない世界=夢の世界の間には扉があり、2つの世界は隔てられているという認識。
私たちの現実感覚に則しても、夢は目が覚めれば消え去る幻であり、現実とは異質のものだ。

しかし、ネルヴァルは、最初に「夢は(第二の)生」であると言った。たとえ扉を通る時に身震いするとしても、そしてその世界が物理的な視覚によっては捉えられないとしても、夢が「生(vie)」であることにかわりはないと考えたのだ。
別の言い方をすれば、夢も私たちが生きる現実の一部であり、その分割は事後的になされる。

こうしたネルヴァルの夢に対する提示は、思いのほか大きな射程を持ち、私たちの常識を問い直すきっかけを与えてくれる。

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プルースト 見出された時 Proust  Le Temps retrouvé  過去と現在の同時性 

『失われた時を求めて』の最終巻『見出された時』の後半、語り手である「私」は、パリに戻り、ゲルマント大公夫人のパーティーに出席する。
そして、ゲルマント家の中庭を歩いている時、ふぞろいな敷石につまずく。その瞬間、かつてヴェニスで寺院の洗礼堂のタイルにつまづいた記憶が蘇り、さらには、マドレーヌによって引き起こされた幸福感が呼び覚まされる。

その思い出の連鎖に基づきながら、『失われた時を求めて』全体を貫く「無意志的記憶」についての考察がなされ、「思い出す現在」と「思い出される過去」の「類推(analogie)」が生み出す「軌跡(miracle)」が見出されることになる。

(…) ; mais entre le souvenir qui nous revient brusquement et notre état actuel, de même qu’entre deux souvenirs d’années, de lieux, d’heures différentes, la distance est telle que cela suffirait, en dehors même d’une originalité spécifique, à les rendre incomparables les uns aux autres. Oui, si le souvenir, grâce à l’oubli, n’a pu contracter aucun lien, jeter aucun chaînon entre lui et la minute présente, s’il est resté à sa place, à sa date, s’il a gardé ses distances, son isolement dans le creux d’une vallée ou à la pointe d’un sommet ;

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思い出を生きる 過去と現在の同時性 キルケゴールのイエス・キリスト像に倣って

過去の出来事を思い出す時、私たちは過去と現在を二重に生きている。
思い出すという行為は現在に位置し、思い出される内容を現在の意識が再体験する。その意味で、過去の思い出は現在の体験ともいえる。

ここでは、19世紀の宗教的哲学者セーレン・キルケゴール(Søren Kierkegaard)によるイエス・キリスト観を参考にして、過去と現在の同時性について考えてみよう。

キリスト教が他の宗教と異なる最も大きな特色は、人間イエスが神でもあるという二重性に基づく教義である。
仏教の仏陀にしても、儒教の孔子にしても、道教の老子や荘子にしても、イスラム教のマホメッドにしても、宗教の創始者が神と見なされることはない。
それに対して、キリスト教では、「父なる神、子なるイエス、聖霊」の三位一体が信仰の中心にある。

人間イエスの生涯は、『新約聖書』の中で辿ることができる。
イエスの生年ははっきりしないが、ヘロデ大王(紀元前4年に没)の晩年にガリラヤのナザレで生まれ、紀元28年頃、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けた。
その後、ガリラヤ湖畔を中心に宣教活動を開始し、最後はエルサレムでユダヤ教の神殿に批判を加え、ローマのユダヤ総督ポンティウス・ピラトによって十字架刑に処せられた。
処刑に関しては、ローマの歴史家タキトゥスも、『年代記』の中で、短い記述を残している。

実在の人間が神でもあるという教義は、キリスト教の信者でない者にとって不可解に思われるのだが、キルケゴールは、過去に実際に存在したイエスが永遠で絶対的な存在である神であると信じることこそ、キリスト教の本質であると考えた。

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サマータイム制度 効果は?

フランスでは夏時間から冬時間に切り替わり、2022年10月30日の午前2時が午前1時となる。
節電のために1976年に導入開始されたサマータイム制度だが、エネルギーの消費構造が変化した現在、本当に効果があるのか議論が続いている。

Le changement d’heure se fera en 2022 dans la nuit du samedi 29 au dimanche 30 octobre, à 3 heures du matin, l’heure de la journée à laquelle il y a le moins d’activité économique et sociale dans le pays. Permet-il toujours de faire des économies d’énergie ? 

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ボードレール 「香水瓶」 Baudelaire « Le Flacon » 香りと思い出 Parfum et souvenir

『悪の花(Fleurs du mal )』が1857年に出版され、風紀を乱すという罪状で裁判にかけられている時期、ボードレールは、それまでは明確な形で愛を告白してこなかったアポロニー・サバティエ夫人、通称「女性大統領(La présidente)」に手紙を書き、9編の詩が彼女に向けられたものであることを告白した。

「香水瓶(Le Flacon)」はその中の一編であり、共感覚を歌った「夕べの諧調」(参照:ボードレール 夕べの諧調 )に続き、香りと思い出が連動する様子が歌われている。

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プルースト 『失われた時を求めて』 Proust À la recherche du temps perdu マドレーヌと記憶のメカニスム 2/2

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の語り手である「私」は、ある冬の日、母の準備してくれた紅茶にマドレーヌを入れて味わった時の「甘美な喜び(un plaisir délicieux)」を思い出す。
その感覚が、飲み物によってもたらされたものではなく、自分自身の中にあるものだった。

Il est clair que la vérité que je cherche n’est pas en lui (le breuvage), mais en moi.

明らかに、私が探している真実は、その飲み物の中にあるのではなく、私の中にある。

「私」はその真実に達しようとするのだが、試みる度に抵抗があり、「自分の底にある(au fond de moi)」ものが浮かび上がってこない。

と、突然、思い出が蘇る。

 Et tout d’un coup le souvenir m’est apparu. Ce goût, c’était celui du petit morceau de madeleine que le dimanche matin à Combray (parce que ce jour-là je ne sortais pas avant l’heure de la messe), quand j’allais lui dire bonjour dans sa chambre, ma tante Léonie m’offrait après l’avoir trempé dans son infusion de thé ou de tilleul.

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