タイパは何をもたらし、何を失わせるのか

溶けた時計が描かれた絵画、左側には赤いハート型のオブジェと昆虫が見える

タイパ(タイムパフォーマンス)を重視する行動は、普通に考える以上に、現代社会に大きな影響をもたらしている。

時間を効率的に使い、仕事を効率的に仕上げ、自由な時間を自分の好きなことに使う。そうすることでワークライフバランスが向上し、生活の質も高まる。ストレスの多い日々の中で、自分のために使える時間を確保することは貴重であり、タイパはそのための手段として、Z世代の若者だけでなく、中高年層にも広がる生き方になっている。

しかし、その一方で、タイパが経済活動を活性化させるマジックワードとなり、企業のビジネスモデルに組み込まれていることは、あまり見えてこない。また、時間の効率化を意識するあまり、時間のかかる思考過程が省かれ、即座の反応にしたがって判断し、行動する傾向も生まれている。

ここまでの文章で320語。タイパに慣れた人々には、「長すぎる!」と感じられるかもしれない。そうした現実を前にすると、思わずキーボードを打つ手が止まりそうになるのだが、一つのテーマについてそれなりに考えるためには、時間と一定数の言葉が必要だ。というわけで、このまま続けていくことにしよう。

(1)タイパの構造

タイパの構造は、次のように図示することができるだろう。

① 時間がない
仕事、学校、家事などで自由時間が少ない。

② だからタイパが必要になる
「動画は倍速で見る」「本は要約で済ませる」「移動時間も有効に使う」など。

③ 浮いた時間を「自分の好きなこと」に使う
推し活、ゲーム、旅行、ショッピング、エンターテインメントなど。

④ 「好きなもの」が自分を支えてくれる
「推しがいるから頑張れる」
「つらい仕事も、推し活のためなら頑張れる」

⑤ ワークライフバランスが向上し、生活の質がアップする
何かとストレスの多い生活の中で、義務を早く済ませ、空いた時間を自分のために使うことで、「生きるエネルギー」が湧いてくる。

こうした流れの中で、日々の生活に満足感を得、生きる意味を見出し、生活が豊かになったと感じるのであれば、それは一つの選択であり、そこに問題があるわけではない。

(2)タイパのビジネスモデル

最近では、タイパを重視し、効率化を意識し過ぎるあまり、心の余裕を失ってしまうといった現象も報告されるようになっている。生活を豊かにするはずのタイパが、なぜ逆の結果を生む可能性があるのか。

その原因の一つとして考えられるのが、タイパが経済活動に組み込まれ、消費財やサービスを提供する企業のビジネスモデルとして、巧みに利用されていることである。時間を節約するためにも、浮いた時間を自分のために活用することにも、消費が深く関わっているのだ。

YouTubeでは、3分や5分といった短い動画や、いわゆる切り抜き動画などが多く見られ、長い動画よりも短時間で内容を把握できることが重視される傾向がある。ニュース、エンタメ、教養など、ジャンルを問わず、数分で内容がわかることが一つの重要な条件になっていて、事実の検証や論理の組み立てに時間をかけることは、視聴の妨げになる場合さえある。このように、1本あたりの動画が短時間化することで、一定時間内により多くの動画を見ることが可能になる。

映画を倍速で見ることでタイパを高める場合、見る側は一本を見る時間で二本を見ることができる。すると、見た映画や動画の本数は倍になり、より多くの作品を消費したことで、より多くの知識や経験を得たように感じることもある。それと並行して、プラットフォーム企業にとっても、視聴されるコンテンツの数や視聴時間が増えれば、収益につながる。

この構造は、短時間で音楽を聴く場合や、本の要約を利用する場合にも当てはまる。消費者の「もっと効率よく楽しみたい」という欲求と、企業の収益がスムーズに循環する構造は、企業にとって非常に魅力的なビジネスモデルになる。

検索、文章の要約、翻訳などを非常に効率的に行う生成AIの利用も、作業の効率化と、それを提供する企業の収益とが結びついているという点では、同じ構造の中にある。

仕事においても、メールの定型文の送信、データの転記、ファイルの整理などは、手作業で続けるほど時間を消耗するため、自動化すれば、その時間を節約することができる。また、ExcelやGoogleスプレッドシートのマクロ機能、チャットツールのリマインダー機能なども、自動化することによって大幅な時間の節約につながる。そして、こうした効率化を支えるAIそのものが、AIを提供する企業の収益と結びついていることは、すぐには目に入らない現実となっている。

こうした現状は、ネット上だけではない。

現実の場においても、例えば推し活をめぐって、見事なビジネスモデルが成立している。
つまり、「推し」は単なる娯楽ではなく、「これは無駄な消費ではない。自分を元気にするために必要なものだ」という意味づけができあがっている。そのため、ライブ、グッズ、配信、サブスクリプション、限定商品、イベント、ファンクラブなどへの消費が、「自己投資」や「心の健康」のための行為として語られるようになる。
さらに、誰かを情熱的に応援する「能動性」、応援が届いたと感じられる「自己効力感」、同じ「推し」を共有するファン同士の「擬似的な共同体」といった意識を生み出すことで、ビジネス側は、単に商品を売るのではなく、「あなたの人生に意味とエネルギーを与えます」というストーリーそのものを商品化して提供していると言える。
そして、推し活をする人々は、そのストーリーに沿って行動することで、「生きる力」を得る。

同様のことは、「プチ贅沢」といった言葉で、日々の不満をちょっとした消費によって解消する行動にも当てはまる。

この視点から見ると、「タイパ」は、「企業側にとって都合のよい価値観を消費者が内面化している」と考えることもできる。
「好きなものにお金と時間を使うことが、人生を豊かにする」という価値観が広がるほど、企業にとっては「好き」を商品化しやすくなる。そこにタイパが加わることで、「無駄な時間を削って、本当に好きなことに時間を使おう」という、一見すると非常に合理的な考え方が生まれる。
ただし、その「本当に好きなこと」そのものが、企業によって大量に商品化されているのである。

こうした資本主義経済のビジネスモデルの中で、タイパによって時間の余裕を得ているはずなのに、いつの間にか消費活動の海に溺れてしまい、そのことに疲れる人々も生まれている。タイパは、本来ならば「時間を取り戻す」ための手段であるはずなのに、その取り戻した時間が、さらに消費するための時間へと変わってしまうのである。

(3)タイパで節約する時間

かつての消費経済の中では、「便利な生活」や「豊かな物質」を買い求めることが重視されていたが、現在では、推し活、ゲーム、旅行、ショッピングなど、付加価値を求める消費活動に変化している。このように、求めるものが物質から精神へと変わったということはあるが、欲望を満たすことで満足感を得るという点では、過去と現在でそれほど大きな差があるわけではない。

異なる点があるとすれば、それは何なのだろう?

『大辞林』の「タイパ」の項目には、「費やした時間に対して得られる成果・満足度の割合」という定義の後で、「録画したドラマや映画を倍速で視聴する、粗筋だけ分かるように編集されたファスト映画を見る、音楽のさびのみを聴く」といった例が記されている。

映画を通常の速度で見るのではなく、倍速で流して見ることで、確かに半分の時間に短縮される。それに対して、そこで理解できるものは、粗筋ということになる。
音楽の場合であれば、さびだけを聴いて、曲を聴いた気分になる。

しかし、その際に、映画や曲の全体性が失われていることは忘れられがちである。
「粗筋」は文字通り物語の大きな筋を語るだけで、作品を構成するためには細部も必要であり、それらすべてが組み合わされて一つの作品が成立しているのだ。
「さび」に至っては、曲の一部でしかなく、それ以外の部分があってこそ、「さび」が映えるのである。
それにもかかわらず、全体性を考えず、一部のみで全体を理解したつもりになる傾向は、物事を正確に理解することを妨げることにつながりかねない。時間を節約しているつもりで、認識を歪める可能性があるのだ。

そうした傾向は、SNSとも対応していると考えていいだろう。
すべてが短い時間に集約され、活字や映像によって情報が伝えられる。そこでは、即座に理解できなければまだるっこしいものとして排除され、事実の検証なしに、わかりやすい答えの提示が求められる。思考の時間はカットされ、その場で理解され、感情的に受け入れられるものだけが受容される。

そうした時代にあって、タイパ的な行動は、自分にとって意味がないと思われることについては時間を節約し、その時間を自分にとって大切なことに使おうとする。それはそれで一つの考え方なのだが、大切な時間を使う対象が、資本主義経済の中で企業のビジネスモデルに従って作り上げられているとすると、実はそこに消費へと誘い込む仕組みが組み込まれているのかもしれない。

そして、そのことで思考停止に陥る危険があるとしたら、タイパによって節約することで失われるものがないかどうか、そして、節約した時間を何に費やすのかを、今一度検討することが大切になる。


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