
(日本の大学などでフランス語の詩を読む場合、内容の説明に重点が置かれ、詩のもう一つの側面である言葉の音色の美しさやリズムを実際に味わうことは、あまり行われていないように思われる。
そこでここでは、詩句の音楽性にとりわけ重点を置きながら、ヴィクトル・ユゴーの « Sara la baigneuse »(水浴びをするサラ)を読んでいきたい。)
第10詩節では、詩の冒頭に出てきたSaraという名前が戻ってくる。そして、その名前に呼応するかのように、開いた[a]のアソナンスが反復される。
Mais Sara la nonchalante しかし、サラは、けだるげで、
Est bien lente とてもゆっくりと、
A finir ses doux ébats ; 心地いい戯れをやめようとしない。
Toujours elle se balance ずっと彼女は身を揺らす、
En silence, 静かに、
Et va murmurant tout bas : そして、低い声で呟き始める。
(朗読は1分32秒から)
まず、[a]の音をたどっていこう。Sara、la、nonchalante、A、ébats、balance、va、bas.
さらに、[ɑ̃]の音も、nonchalante、lente、balance、en、silence、murmurantと何度も反復される。
[a]と[ɑ̃]のアソナンスがこれほど続くと、この詩節全体の音色が、明るい「ア」の音で染め上げられていることがわかるだろう。
そして、その色彩の中で、サラの体が揺れる様子は、nonchalanteとlenteという豊かな韻(rime riche)を踏む言葉によって、「ゆっくりとした」ものであることが強調される。
また、そうした動きが静けさの中で行われることも、balanceとsilenceの韻によってはっきりと示され、彼女の声も密やかなものであることが、murmurantとbasという言葉によって伝えられる。
そして、サラが呟く言葉が、第11詩節から第15詩節まで語られることになる。
その言葉はすべて条件法で語られるため、動詞活用の語尾 -ais([ɛ])の音が、五つの詩節を通してアソナンスとなる。音が意味を喚起する典型的な例として意識しておくと、条件法の理解にもつながるだろう。
第11詩節でも、[a] の音が第10詩節の響きを受け継いでいる。その際、capitaine ではなく、あえて capitane という異国風の語が用いられ、sultane と響き合うことで、オリエント風の雰囲気を醸し出している。
» Oh ! si j’étais capitane, ああ! もし私が女将軍だったのなら
» Ou sultane, それとも、女サルタンだったのなら、
» Je prendrais des bains ambrés, 琥珀のお湯に何度も浴するでしょう、
» Dans un bain de marbre jaune, 黄色い大理石の浴槽で、
» Prés d’un trône, 王座のそば、
» Entre deux griffons dorés ! 二匹の黄金のグリッフォンにはさまれて。

すでに触れたように、si j’étais… je prendrais という条件法の文では、si 以下は直説法半過去形に置かれ、帰結部は条件法現在形で活用されるため、主語が je であれば、語尾はどちらも -ais([ɛ])になる。
この詩節では、その [ɛ] の音をさらに響かせるかのように、bain という単語によって [ɛ̃] のアソナンスが重なって響く。
一度目は je prendrais des bains と「入浴」の意味で用いられ、二度目の bain は「浴槽」を意味する。同じ単語を意味をずらしながら繰り返していることも、ヴィクトル・ユゴーの詩的な技の見事さを雄弁に物語っているといっていいだろう。


この詩節でもう一つ強く耳を打つのは、冒頭の Oh ! である。
その [o] は、jaune や trône の [o] と響き合い、さらに griffons の鼻母音 [ɔ̃] を経て、最後に dorés の [ɔ] へと開いていく。
その音の連なりが、豪華でゆったりとした余韻を生み出している。
このように見てくると、この詩節では、第10詩節の [a] や [ɑ̃] の響きを受け継ぎながら、 [o]と[ɔ̃] 、さらに [ɛ] や [ɛ̃] のアソナンスが重なり合い、一つの詩的・音楽的な空間が形作られていることがわかる。
その響きは、耳を澄ませば、はっきりと聞き分けることができるに違いない。
第12詩節の言葉は、官能性を強く打ち出したものになっている。[ m ]の音に注意しながら、声に出して読んでみよう。
» J’aurais le hamac de soie. 絹のハンモックを手に入れるでしょう、
» Qui se ploie しなやかにたわみ、
» Sous le corps prêt à pâmer ; すぐにうっとりと官能に身をゆだねようとする身体の重みで。
» J’aurais la molle ottomane 柔らかなオスマン風寝椅子を手に入れるでしょう、
» Dont émane そこから立ち上るのは、
» Un parfum qui fait aimer. 一つの香り、人を恋へと誘う香りです。

この詩節で、音が意味を導くのは、pâmer と aimer という韻を踏む二つの動詞である。
Se pâmer は、ロマン主義的な性愛や恍惚の文脈で用いられる語で、「うっとりと官能に身をゆだねる」「とろけるように恍惚となる」というニュアンスをもつ。そして、その状態を誘発するのが、aimer にほかならない。
さらに、この二つの動詞が [m] のアリテラシオン(子音反復)を形作っていることに気づくと、この詩節の中心的な音が [m] であることが見えてくる。実際、hamac, pâmer, molle, ottomane, émane, aimer と、至るところで [m] の音が響いている。
[m] は、唇を閉じて発音する鼻音であり、閉じた口の中に響きがこもるような音である。そのため、この詩節では、柔らかく包み込むような感覚を生み出し、裸身のサラの官能性をさらに強めていると感じられないだろうか。
第13詩節に至ると、サラは見られる存在であることを意識し始める。
そのことは、第5詩節で「ここに隠れていろ」(Reste ici caché)と命じられた私たち読者の存在に、彼女が気づいていることを暗示する効果をもっている。
» Je pourrais folâtrer nue, 裸ではしゃいでいるでしょう、
» Sous la nue, 雲の下、
» Dans le ruisseau du jardin, 庭の小川の中で、
» Sans craindre de voir dans l’ombre 目に入るとしても畏れることなく、
» Du bois sombre 暗い森の影の中に、
» Deux yeux s’allumer soudain. 二つの目が突然灯るのが。

6行目に出てくる Deux yeux とは、サラを見る目である。
その目は、上に記したように、この場面には姿を現さない。しかし、彼女の姿を思い描いている私たち読者の目であると考えることもできる。
つまり、この詩句は、私たちがサラの姿をこっそりとのぞき見るように誘っているのだと考えてもいい。
そうした場面へ読者を誘い込む前に、ヴィクトル・ユゴーは、まず nue という単語を用い、サラが裸身(nue)であることと、雲(la nue)の下にいること、つまり太陽の光の下ではなく、影の中にいる情景を描き出している。
したがって、ここでの [ny] の音は、「裸体」と「雲」という二つの意味を重ね合わせることで、露出と隠蔽を同時に表している。裸身は露わになるが、その裸身は雲によって包まれるのである。
そして、その雲(la nue)が、豊かな韻(rime riche)を踏む l’ombre と sombre へとつながっていく。
nue(雲)→ ombre(影)→ sombre(暗い)というこの連鎖は、明るさが徐々に失われていくイメージの流れを形作っている。サラの裸身がまず示される一方で、空間は次第に暗さを増していく。
この対照が、「二つの目が突然灯る」(Deux yeux s’allumer soudain)という場面の官能性と、それに対するサラの無邪気さとのコントラストを鮮やかに浮かび上がらせることになる。
第14詩節では、無邪気なサラが、実はこの上もなく危険な存在であることが、オリエント風の道具立てを通して語られる。
» Il faudrait risquer sa tète その人は、自分の首を危険にさらさねばならないでしょう、
» Inquiète, 不安に怯えるその首を。
» Et tout braver pour me voir, あらゆるものに挑まねばならないでしょう、私を見るために、
» Le sabre nu de l’heiduque, 東方の兵士の抜き身のサーベルにも、
» Et l’eunuque そして、宦官にも、
» Aux dents blanches, au front noir ! 白い歯と、黒い額の。
ここで最初に注目したいのは、再び、サーベル(sabre)に付いたnu である。
第13詩節では、サラの裸体を示した nue の音が、ここではサーベルの刃が抜き身であることを示している。[ny] の音は、サラを目で追うことの危険を、読者の記憶の中に刻み込む音なのだ。
nue, la nue, nu と続けて声に出して読んでみると、同じ [ny] の音が裸体と雲、そして抜き身の刃を結びつけていることが耳で実感できるだろう。


さらに、裸体のサラを見る危険は、[ y ]で韻を踏むheiduque と eunuque という、オリエントの宮廷に仕える警護兵によって具体化される。
heiduque とは、ハンガリーやバルカン地域に由来する武装した歩兵・護衛兵であり、eunuque は古代エジプトやオスマン帝国の宮廷でハレムや王族の居所を守る宦官である。
サラは、夢想の中ではこうした兵士たちに守られているのであり、彼女の姿を見るためには、彼らに立ち向かわなければならない。
第13詩節では、サラは「見ることを恐れない」(Sans craindre de voir)と語っていた。それとは対照的に、第14詩節では、「私(サラ)を見るためには」(pour me voir)、「あらゆるものに立ち向かわねばならない」(tout braver)のである。
ここでは、voir と braver に響く [v] のアリテラシオン(子音反復)が、「見ること」と、そのために危険を冒して立ち向かう大胆な行為とを結びつけている。
[v] は息が前へ流れ出る摩擦音であり、第12詩節の [m] のような内側にこもる音とは対照的に働く。その響きは前方へ向かう運動性を感じさせ、サラを見るために危険へ踏み出していく力を音の上でも表現しているのである。
サラの最後の言葉は、彼女の大胆な官能性を再び描き出すことに費やされる。
» Puis, je pourrais, sans qu’on presse それから、私は、誰にもせかされることなく、
» Ma paresse, このものうい私を、
» Laisser avec mes habits 衣服とともに、
» Traîner sur les larges dalles 脱ぎ捨てたままにしておくでしょう、大きな敷石の上に、
» Mes sandales 私のサンダル、
» De drap brodé de rubis. « ルビーが刺繍された布のサンダルを。

この第15詩節でも、Saraを象徴する明るい [a] の音、そしてその音をより豊かに響かせる鼻母音 [ɑ̃] が何度も反復する。
ma, paresse, avec, habits, larges, dalles, sandales, drap、そして sans, sandales。
また、条件法の活用 pourrais に現れる [ɛ] も、サラのものうい官能性を象徴する paresse とアソナンスを形成し、さらに paresse と presse が豊かな韻(rime riche)を踏むことで、その響きがいっそう強調される。
また、条件法の活用(pourrais)に由来する[ ɛ ]も、サラの姿を象徴するparesseとアソナンスとなり、さらに、paresseがpresseと豊かな韻(rime riche)を踏むことでさらに強調される。
さらに、[ɛ] よりも口をやや狭くして発音する [e]のアソナンスも、laisser, mes, traîner, les, mes, brodé と随所にちりばめられている。
そして、「ア」と「エ」に関連する音によって敷き詰められている詩節全体の音の色調を下地として、[p]、[r]、[s]、[l] のアリテラシオンによって、ユゴーは実に豊かな音の響きを組み立てていく。
ー [p] は前半に頻発する。puis, pourrais, presse, paresse。
ー [r] は pourrais, presse, paresse, traîner, drap, brodé に現れる。
ー [s] は sans, presse, paresse, laisser, sur, sandales に響く。
ー [l] は laisser, les, larges, dalles, sandales に繰り返される。
このように、数え切れないほどのアソナンスとアリテラシオンが用いられ、サラが衣服とサンダルを脱ぎ捨てる情景の背景に、美しい音の響きを作り出している。その音の織物を、私たち読者は、実際に声に出して詩句を読んでみることで、直接感じ取ることができるのだ。
第11詩節から第15詩節まで続くサラの言葉もまた、フランス語の詩における意味と音の連動を、はっきりと感じさせてくれる美しい詩句によって綴られているといっていいだろう。