外国語学習 日本語とは違う世界観を知る

フランスでフランス人と話してるとき、すぐに答えられない質問をされることがある。
例えば、「神戸に住んでいる。」と言うと、「東京から何キロ離れているのか?」と質問されたりする。
もう一つよく質問されるのは、「最初にフランスに来たのはいつ?」
その際には、10年くらい前とか、曖昧な答えしかいえない。

フランス人に同じ質問をすれば、「神戸と東京間は約430キロ」とか、「最初は2012年。」とか、きっちりした答えが戻ってくる方が普通。

こうした違いは何を意味し、そのことから、どんなことがわかるのだろうか。

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ランボー 言葉の錬金術 Rimbaud Alchimie du verbe 『地獄の季節』の詩法 5/5

「永遠が見つかった!」と韻文詩の中で叫んだ後の散文詩は、日常的な言語感覚では意味不明なものにますます傾いていく。
構文は単純であり、初級文法さえ知っていれば理解可能な文が続く。
理解を妨げるのは、単語と単語の繋がり。

例えば、冒頭の「ぼくは空想的なオペラになった。」という一文。
人間がオペラになる? 
空想的な(fabuleux)オペラとは何か? 
ランボーはその答えを導くヒントをどこにも残していない。
読者は、自分の持つ知識と感性に従って、何らかの思いを抱き、次の文に進むしかない。
しかし、前の文と次の文の意味的な連関もよくわからない。

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ランボー 言葉の錬金術 Rimbaud Alchimie du verbe 『地獄の季節』の詩法 4/5

韻文詩「空腹(Faim)」と「狼が叫んでいた(Le loup criait)」は、空腹を歌う詩。
二つの詩とも、内容はただ「腹へった!」というだけ。
そんな空虚な内容を、軽快で、音楽性に満ち、スピード感に溢れた詩句で綴っていく。

ランボーは、意味よりも表現にアクセントを置き、これまでの詩法に違反したとしても、スタイリッシュな詩句を口から紡ぎ出す。

その詩句の魅力に引き寄せられた読者は、何らかの意味があると信じ、読者自身で意味を考え出す。
それがランボーの詩句の意味となり、意味が重層化され、ランボーの詩の中に堆積してきた。

ランボーは、『地獄の季節』の散文でも、同じ作業を行う。
二つの詩に続く散文は、とりわけ魅力的に響く。

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酒とバラの日々 Days of wine and roses 村上春樹の感性

「酒とバラの日々(Days of wine and roses)」は、1962年に公開された映画の題名。
酒に溺れて人生を転落していく夫婦をジャック・レモンとリー・レミックがとてもリアルに演じ、胸が締め付けられる映画だ。
主題歌は、ヘンリー・マンシーニ作曲。歌詞はジョニー・マーサー。
多くのジャズマンが取り上げ、ジャズのスタンダード曲になった。

酒を通して男と女が出会い、結婚する。その後二人はアルコール中毒になり、家庭が崩壊する。
そうした悲劇的な映画の物語の雰囲気を感じさせながら、しかし何度でも聞きたくなる美しい歌に仕上げているのは、ジュリー・ロンドン。

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ランボー 言葉の錬金術 Rimbaud Alchimie du verbe 『地獄の季節』の詩法 3/5

「最も高い塔の歌(Chanson de la plus haute tour)」で世界に別れを告げたというランボー。

その韻文詩は、非常にスタイリッシュなリフレインで始まる。

Qu’il vienne, qu’il vienne
Le temps dont on s’eprenne !

時よ来い、時よ来い
陶酔の時よ、来い!

その後に続く詩句は、何か現実を反映しているというよりも、苦しみ、恐れ、渇き、忘却といった言葉が疾走し、花開く草原に汚いハエたちの荒々しい羽音がする。
https://bohemegalante.com/2019/11/22/rimbaud-chanson-de-la-plus-haute-tour/
連続する詩句は、具体的なものを描写する言葉ではない。
言葉たちが幻覚(hallucination)を生み出しているようでさえある。

この歌で世界に別れを告げた後、詩人は再び「ぼく」の経験を語り始める。

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ランボー 言葉の錬金術 Rimbaud Alchimie du verbe 『地獄の季節』の詩法 2/5

冒頭の散文の後、ランボーは韻文詩「鳥、家畜、村の女たちから遠く離れて(Loin des oiseaux, des troupeaux, des villageoises)」と「午前4時、夏(À quatre heures du matin, l’été)」を挿入し、その後再び散文に戻る。

挿入された最初の詩の主語は「ぼく」。
ぼくがオワーズ川で水を飲むイメージが描き出される。そして最後、「泣きながら黄金を見たが、水をもはや飲むことは。(Pleurant, je voyais de l’or — et ne pus boire. —)」という詩句で締めくくられる。

二番目の詩では、「ぼく」という言葉は見当たらない。しかし、朝の四時に目を覚し、大工達が働く姿が見えてくる状況が描かれるとしたら、見ているのは「ぼく」だろう。
その大工たちが古代バビロニア王の下で働く労働者たちと重ね合わされ、彼等にブランデー(生命の水)を与えるヴィーナスに言及される。

二つの詩は、渇きと水をテーマにしている点では共通している。その一方で、オワーズ川というランボーの故郷を流れる現実の川と古代バビロニアや女神が登場する神話的なイメージは、対照を成している。

その二つの韻文詩の後、散文が続く。

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ランボー 言葉の錬金術 Rimbaud Alchimie du verbe 『地獄の季節』の詩法 1/5

アルチュール・ランボーは、『地獄の季節(Une Saison en enfer)』の中心に、「錯乱2:言葉の錬金術(Délires II. Alchimie du verbe)」と題する章を置き、7つの韻文詩とそれらを取り囲む散文詩を配した。

そこで繰り広げられた「言葉の錬金術」の内容は、1871年5月に書かれた「見者の手紙(Lettres du Voyant)」や、同じ年の8月に投函されたテオドール・バンヴィル宛ての手紙に書き付けられた韻文詩「花について人が詩人に語ること(Ce qu’on dit au poète à propos des fleurs)」の中で展開された詩法を、さらに発展させたものと考えられる。

ここでランボーの散文詩を読むにあたり、指摘しておきたいことがある。
多くの場合ランボーの散文の構造は非常に単純であり、それだからこそ、青春の息吹ともいえる生き生きとしたスピード感に溢れている。
その一方で、単語と単語の意味の連関が希薄なことが多く、論理を辿りにくいだけではなく、意味不明なことも多い。
そのために、多様な解釈が可能になる。読者の頭の中にクエション・マークが??????と連続して点滅する。
その不可思議さが、ランボーの詩の魅力の一つでもある。

では、これから『地獄の季節』の心臓部とも言える「錯乱2:言葉の錬金術」を読んでみよう。

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ボードレール 苦痛の錬金術 Baudelaire Alchimie de la douleur 魔術的クリエーションの原理

錬金術(alchimie)とは、卑俗な金属を黄金に変える秘法。
Al-chimieのalはアラビア語の冠詞。

近代に入り、錬金術の実験科学的側面が理性の制限を受け入れることで、化学(chimie)が発展した。

原則的に、「無」から「有」を作り出すことはできない。
錬金術にしろ化学にしろ、なんらかの材料に働きかけ、変形することで製品を作り上げる。
クリエーションとは「有」を「別の形の有」に変形・変質させること、という意味では、錬金術と化学に違いはない。

では、違いは何か?

近代の化学は、合理的な思考に基づき、検証可能な過程を経て、変形を行う。
従って、いつ、誰が、どこで操作をしても、同じ結果になる。
化学は自然科学に属する。

それに対して、錬金術は魔術的であり、理性とは無関係に作動する。
そのため、実験の検証は不可能。黄金精錬の可否は錬金術師の技による。
錬金術は一回限りの秘儀。

ボードレールは、一行8音節のソネ「苦痛の錬金術」という極小の詩的空間の中で、彼の錬金術(非化学的クリエーション)がどのようなものか、精錬室を垣間見させてくれる。

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テオフィル・ゴーティエ 浜辺にて Théophile Gautier Au bord de la mer 詩は絵のように ut pictura poesis 

テオフィル・ゴーティエは若い頃絵画を志したこともあり、視覚に訴える、絵画的な詩を書くことがあった。

絵画と詩の関係は、古代ローマのホラティウスの『詩法(Ars poetica)』の中で、« ut pictura poesis »(詩は絵画のように)という表現で定式化され、古典主義詩論で重視された。
詩は言葉を話さない絵画、絵画は無言の詩。
詩と絵画は同じテーマを扱い、同じ目的を持つという芸術論は、とりわけルネサンスの時代以降に重視された。

「浜辺にて(Au bord de la mer)」でも、海の上に差しかかる月が、扇のイメージを中心した美しい絵画として描かれている。

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マラルメ 現れ Mallarmé Apparition 悲しみの香りから香り豊かな星々の白いブーケへ

ステファン・マラルメは、フランス語の詩句の可能性を極限にまで広げた詩人と言われている。
「現れ(Apparition)」は1863年頃に書かれたと推測される初期の詩だが、すでに彼の試みをはっきりと見て取ることができる。

「現れ」で使われる詩句は、12音節(アレクサンドラン)で平韻(AABB)。フランス語の詩句として典型的なもの。
伝統的な枠組みをあえて使うのは、フランス詩に親しんだ読者には、6/6のリズムが体に染みついているからだろう。
日本語であれば、5/7のリズムに匹敵する。

フランス詩では、リズムと意味は対応するのが基本。リズムから逸脱した要素は、意味的に強調される。
マラルメはありふれた型を設定し、その内部で様々な詩的技法を駆使することで、多様なリズム感を持つ美しい詩を作り上げた。
「現れ」は、そうした詩人の試みを体感させてくれる。

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