
「桃太郎」と聞けば、私たちは、桃から生まれた桃太郎がきび団子を持ち、犬、猿、キジを連れて鬼ヶ島へ向かい、鬼を征伐して宝物を持ち帰る、といった物語を思い浮かべる。
こうしたイメージが広く定着した背景には、明治期以降、桃太郎を題材にした唱歌が繰り返し歌われ、また小学校の国語教科書にも取り上げられてきたことがある。その中でも、明治44年(1911年)の『尋常小学唱歌』に収録された「桃太郎」は、現在でもよく知られている。

1.桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つわたしに下さいな。
2.やりましょう、やりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう。
私たちはこの歌詞をなんとなく口ずさむことができるが、歌うときに、「なぜ鬼の征伐に行くのか」と考えることはない。鬼とは、もともと人間に悪さをする怖い妖怪であり、鬼退治をする桃太郎は、勧善懲悪のヒーローとして描かれるものだと、私たちは自然に受け止めているからだ。
ところが、芥川龍之介の「桃太郎」では、鬼の島は平和な楽園のような場所として描かれ、桃太郎は部下たちとともにその島を侵略し、富を奪って故郷に戻る存在として描かれている。その上、芥川は、その桃太郎を「天才」に属する人物としている。
この物語は大正13年(1926年)に発表されたものだが、芥川龍之介によって語り直された昔話は、私たちに何を考えさせてくれるのだろうか。ここでは、三つのレベルの読解を提示してみよう。
(1)「鬼征伐」を侵略として描く
芥川版「桃太郎」が発表された大正時代の末期までに、日本は、日清戦争(1894~1895年)、日露戦争(1904~1905年)に勝利し、1910年までに台湾と朝鮮を植民地としていた。
現在では忘れられているが、唱歌の「桃太郎」には、軍事的な行動を描いた歌詞が続いている。
4. そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。
5. おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。
ここには、敵を攻め、征服し、戦利品を持ち帰るという軍事的な行動が、「おもしろい、おもしろい」と肯定的に描かれている。こうした歌が学校教育の場で繰り返し歌われたことを考えれば、桃太郎の鬼征伐が、子どもたちにとって勇敢な行動として受け取られる素地をつくったと考えることはできる。

しかも、唱歌に先立つ明治20年(1887年)には、すでに文部省の『尋常小学読本』に「桃太郎」が採用されていた。(この記事の最後にPDFで添付)
そこには、桃太郎が鬼を組み敷く挿絵も添えられている。昔話の主人公が鬼を征服する姿を、子どもたちが国語の教材として学んでいたのである。その後、桃太郎は国定教科書にも繰り返し登場するようになり、学校教育を通して広く共有されていった。
こうしてみると、桃太郎という昔話は、近代日本において、単なる子ども向けの昔話を超え、国家的な価値観と結びつきながら受容されていったと考えることができる。
芥川版「桃太郎」は、こうした桃太郎像を根本から反転させる。
桃太郎はこういう罪のない鬼に建国以来の恐ろしさを与えた。鬼は金棒(かなぼう)を忘れたなり、「人間が来たぞ」と叫びながら、亭々(ていてい)と聳(そび)えた椰子(やし)の間を右往左往(うおうざおう)に逃げ惑(まど)った。
「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
桃太郎は桃の旗(はた)を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉(いぬさるきじ)の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好(い)い家来(けらい)ではなかったかも知れない。が、饑(う)えた動物ほど、忠勇無双(むそう)の兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛(ひとかみ)に鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴(くちばし)に鬼の子供を突き殺した。猿も ー 猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺(しめころ)す前に、必ず凌辱(りょうじょく)を恣(ほしいまま)にした。……
あらゆる罪悪の行われた後(のち)、とうとう鬼の酋長(しゅうちょう)は、命をとりとめた数人の鬼と、桃太郎の前に降参(こうさん)した。桃太郎の得意は思うべしである。 (芥川龍之介「桃太郎」)
この陰惨な侵略の描写は、桃太郎の鬼征伐が勧善懲悪だという思いを完全に打ち砕いてしまう。犬は若者を噛み殺し、雉は子供を突き殺し、猿は娘を凌辱した後で絞め殺す。
しかも、桃太郎は、「日の丸の扇を打ち振り」、家来たちに号令をかけるだけで、自分では手を下すことがない司令官の立場にいる。そのくせ、降伏した鬼の酋長が、どのような理由で侵略を受けることになったのかと説明を求めても、説明することができない。
「日本一(にっぽんいち)の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱(かか)えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三(さん)かたをお召し抱えなすったのはどういう訣(わけ)でございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子(きびだんご)をやっても召し抱えたのだ。ー どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」 (芥川龍之介「桃太郎」)
この理由にはならない理由を言われても、侵略された側はとても納得できるものではないが、それ以上に、この言葉は現実を正しく反映していない。
桃太郎が鬼征伐を思い立った理由は、物語の最初の段階ではっきりと書かれていた。
桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣(わけ)はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。 (芥川龍之介「桃太郎」)
この説明によれば、桃太郎は日常生活のさまざまな仕事をするのが嫌であり、そこから逃れて、特別なことをするために鬼征伐を考えたのだった。この点については、次に「天才」について見る際に、もう一度取り上げたい。
それにもかかわらず、鬼の酋長に対して口にする最初の理由は、「三匹の忠義者を召し抱えた」からなのだという。そして、酋長が「なぜ召し抱えたのか」と問うと、「黍団子をやっても召し抱えた」と答えにならない答えをし、なぜ自らが征伐に乗り出したのかは隠したままでいる。その上、最後には、納得しないのならば、生き残った鬼たちも皆殺しにすると脅すことまでする。
そして最後には、「日本一の桃太郎は、犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々(とくとく)と故郷へ凱旋した」のだった。これは、桃太郎の側に立てば、「おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。」という唱歌の歌詞そのものだろうが、芥川の物語では、その傍若無人さが際立っている。
芥川龍之介がこうした桃太郎観を持つようになったきっかけは、大正10年(1921年)に大阪毎日新聞社の特派員として上海を訪れ、章炳麟(しょうへいりん;号は「太炎」)と面会した際の会話ではないかと推測されることがある。
章は、反帝国主義を掲げ、中国が清朝を打倒して列強を駆逐するとともに、アジアの諸民族だけではなく、黒人やアメリカ・インディアンの権利を主張した思想家だった。その章が芥川に次のように語ったという。
僕は上海(シヤンハイ)のフランス町に章太炎(しやうたいえん)先生を訪問した時、剥製の鰐(わに)をぶら下げた書斎に先生と日支の関係を論じた。その時先生の云った言葉は未だに僕の耳に鳴り渡っている。ー 「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である。桃太郎を愛する日本国民にも多少の反感を抱かざるを得ない。」(……)この先生の一矢はあらゆる日本通の雄弁よりもはるかに真理を含んでいる。(「僻見」『女性改造』大正13年4月1日)
この一節は、大正8年(1919年)に勃発した朝鮮の三・一独立運動や中国の五・四運動などの民族運動の後、日中関係がある程度改善に向かう様相を示していた時期に、芥川が中国のナショナリズムを代表する思想家の言葉に強い共感を示し、日本の対外政策を批判的に見る視点を持っていたことをうかがわせる。
日本側から見れば、桃太郎は敵の陣地に乗り込み、戦利品を獲得する英雄にほかならない。しかし、相手からすれば、恐るべき侵入者であり、鬼征伐とは単なる侵略にすぎないのだ。
こうした侵略者たちの姿を、芥川は、桃太郎と三人の家来たちを通して描き出している。それは、当時の日本社会の縮図であるともいえる。
桃太郎と家来の関係は、最初に出会う野良犬とのやり取りによって浮かび上がってくる。
桃太郎は意気揚々(ようよう)と鬼が島征伐の途(と)に上(のぼ)った。すると大きい野良犬(のらい)ぬが一匹、饑(うえ)た眼を光らせながら、こう桃太郎へ声をかけた。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰に下げたのは何でございます?」
「これは日本一(にっぽんいち)の黍団子(きびだんご)だ。」
桃太郎は得意そうに返事をした。勿論実際は日本一かどうか、そんなことは彼にも怪(あや)しかったのである。けれども犬は黍団子と聞くと、たちまち彼の側へ歩み寄った。
「一つ下さい。お伴ともしましょう。」
桃太郎は咄嗟(とっさ)に算盤(そろばん)を取った。
「一つはやられぬ。半分やろう。」
犬はしばらく強情(ごうじょう)に、「一つ下さい」を繰り返した。しかし桃太郎は何といっても「半分やろう」を撤回(てっかい)しない。こうなればあらゆる商売のように、所詮(しょせん)持たぬものは持ったものの意志に服従するばかりである。犬もとうとう嘆息(たんそく)しながら、黍団子を半分貰う代りに、桃太郎の伴(とも)をすることになった。(芥川龍之介「桃太郎」)

ここではっきりと書かれているように、桃太郎は「持つ者」であり、野良犬は「持たない者」である。
この関係を、資本家と労働者、あるいはブルジョワとプロレタリアートの関係に重ね合わせて読むこともできる。
桃太郎は、自分が持つ黍団子を「日本一」だと誇り、人を雇う場合には、算盤を弾いて損得を勘定する。どんなに相手が団子を「一つ」と要求しても、「半分」しか渡さない。そこには、相手の要求よりも、商売上の損得を優先する姿が描かれている。
こうした視点は、当時流行していたプロレタリア文学を思わせる。
それは、資本主義社会における労働者やプロレタリアートの厳しい生活の現実や階級闘争を描いた文学で、大正10年(1921年)には、反戦平和や人道主義を基調とした雑誌『種蒔く人』が発刊された。
さらに、大正12年(1923年)の関東大震災に際しては、混乱に乗じて発生した朝鮮人虐殺事件に対して強く抗議する特別号を発行するなどした。
芥川龍之介は一般的にブルジョワ作家だとみなされていたが、大正13年(1924年)に発表された「プロレタリア文学論」の中では、「私は一般にブルヂヨア作家と目されてゐる」と断りながら、「プロレタリア文学の悪口をいふのではない。これを弁護しやうと思ふ」という意思を表明している。
そして、「階級闘争の精神を眼目にし、戦ひに向かつて進むといふ力が宣伝の内容であり目的である」のだが、「私達の胸を打つプロレタリア文学なるものは未だ嘗て現れない」と考えるので、「プロレタリア文学の完成を私は大いに期待する」という言葉で記事を終えている。
このような芥川の考え方を踏まえると、「桃太郎」における桃太郎と野良犬のやり取りを、ブルジョワとプロレタリアートの関係に重ね合わせて読むことができる。
では、持たざる者たちは団結して、資本家と対峙しているのだろうか。その点で、芥川が懐疑的であったことが、三匹の動物たちの関係によって明らかになる。
犬は、丈夫な牙を持っているが、頭が鈍い。
猿は、勘定に長け、欲が深いが、意気地がない。
雉は、地震学に通じているが、もっともらしいことしか言わず、主従関係を守るといった道徳を説く。
こうした三匹は、一致団結して桃太郎に自分たちの要求を突きつけるどころか、お互いに仲が悪く、いがみ合いを続けている。そのため、桃太郎が家来たちを統制するのも簡単ではなかった。
そうした中で、欲深い猿を含鬼ヶ島まで行く決心をさせたものは、経済的な利益だった。
桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇(おうぎ)を使い使いわざと冷かにいい放した。
「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物(たからもの)は一つも分けてやらないぞ。」
欲の深い猿は円(まる)い眼(め)をした。
「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」
「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出(うちで)の小槌(こづち)という宝物さえある。」
「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣(わけ)ですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」
桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途(みち)を急いだ。(芥川龍之介「桃太郎」)
この場面は、資本主義に対する批判として読むこともできる。
すでに、桃太郎が鬼征伐に出かける理由として、「山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだった」ということがあげられていたが、ここではそれ以上に、鬼ヶ島の宝物が目的であることがわかってくる。
しかも、「打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる」という富の計算は、富がさらに富を生み出していく資本主義経済の仕組みに重ね合わせて読むこともできる。
そして芥川龍之介は、冷めた目で、プロレタリアートもまた資本主義経済の中に取り込まれているという現実を暗に示しているとも考えられる。鬼ヶ島を侵略するのは、桃太郎に雇われたからでもあるが、同時に、家来たち自身にとっても、宝物を得るための行為なのである。
芥川版「桃太郎」は、このような視点から解釈すると、確かに反戦主義的な作品として読むことができる。しかし、そうした読み方だけには収まらない要素があり、それを無視することは、作品を一面的にしか見ないことになる。
芥川は、侵略後の鬼ヶ島の様子を描き、最後には、浦島太郎が「天才」の一人であるという一節を付け加えている。その理由を考えることで、芥川版「桃太郎」の二つ目の解釈が見えてくるだろう。(2/3に続く)
「金太郎」は青空文庫で読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/100_15253.html
YouTubeに朗読もアップされている。
明治20年(1887年)『尋常小学読本』「桃太郎」