
ラ・フォンテーヌの寓話は、素晴らしく効果的な韻文で書かれている。
音節数と韻の効果の他に、音色やリズムの変化が物語を効果的に盛り上げる。
その巧妙な技法を知ると、フランス語の詩の面白さを実感することができる。
日本でもよく知られている寓話「カラスとキツネ」(Le Corbeau et le Renard)を読みながら、韻文の面白さと素晴らしさを感じてみよう。
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ラ・フォンテーヌの寓話は、素晴らしく効果的な韻文で書かれている。
音節数と韻の効果の他に、音色やリズムの変化が物語を効果的に盛り上げる。
その巧妙な技法を知ると、フランス語の詩の面白さを実感することができる。
日本でもよく知られている寓話「カラスとキツネ」(Le Corbeau et le Renard)を読みながら、韻文の面白さと素晴らしさを感じてみよう。
続きを読む神秘主義は、現実と超越的実在世界(「雌猫アカの世界」あるいは「生」そのもの)との特別な接触に由来するといってもいいだろう。
https://bohemegalante.com/2020/01/21/monde-selon-la-chatte-aka-mysticisme/
その体験が神話として語られる場合がある。
1)死と再生の神話。
2)陶酔とオルギア

2)陶酔とオルギア
陶酔状態においては、酒、薬物、愛欲などにより忘我(exase)の状態に入り、世界(他者)と私(自己)の自立性が消滅する。
宗教的な体験における、目に見えない超越的な存在と「私」との接触は、別の側面から見れば、「私」の存在を忘却することであり、自己からの解脱とも考えられる。
続きを読む神秘主義は、現実と超越的実在世界(「雌猫アカの世界」あるいは「生」そのもの)との特別な接触に由来するといってもいいだろう。
https://bohemegalante.com/2020/01/21/monde-selon-la-chatte-aka-mysticisme/
その体験が神話として語られる場合がある。
1)死と再生の神話。
2)陶酔とオルギアの神話。
この二系列の神話は、現実法則(時間の不可逆性、主体と客体の分離)を超越した出来事を、物語として言語化したものだといえる。
古代宗教の中には、それらの物語に基づいた儀礼を定式化したものもある。

1)死と再生
現実世界では、時間は時計によって計られ、決して後戻りはしないと見なされる。
それに対して、「アカの時間」あるいは、生そのものである今においては、時間を時間として感じることはない。それは瞬間でもあり、永遠でもある。
死と再生のつながりは、時間は決して戻らないという現実法則を超越する。
その意味で、時計の針の影が投影されていない生の時間(今=永遠)を思わせる。

アカは街角に住む雌の猫。
1月1日、「明けましておめでとう。」と新年の挨拶をする。すると、アカも「ニャア」と答えてくれる。
彼女も人間と同じように、元日の朝は普段より清々しく感じるのだろうか。
でも、アカにとっては、初日の出も、普段の日の出も特別な違いはないだろうなと、考え直す。
猫にカレンダーはないし、もしかしたら朝も昼も夜もないかもしれない。
あるのは、太陽の光の温かさ、空気の冷たさ、空腹等といった体感。近づいてくる人間や、一緒に街角にいる猫仲間に対する好き嫌いの感情。アカはとりわけ嫉妬深い。他の猫が撫でられていると、ひどく嫉妬し、猫パンチを繰り出す。
そんなアカの世界はどのようなものだろう。
続きを読むパリから50分ほど電車に乗ると、シャトーチエリ(Château Thierry)に着く。
そこはジャン・ド・ラ・フォンテーヌの生まれ故郷。
彼の生家は、今、博物館として開放されている。
https://www.museejeandelafontaine.fr/?lang=fr

博物館の中に入ると、寓話の世界にどっぷりと浸ることができる。
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17世紀後半の作家ラ・フォンテーヌは、イソップの寓話をルイ14世が支配する宮廷社会の時代精神に合わせて書き直した。
1668年に出版された彼の『寓話集』は、六つの書に分けられ、それぞれの巻の最初には寓話というジャンルを説明する話が配置されている。
その中でも、「セミとアリ」は、「第一の書」の冒頭に置かれ、『寓話集』全体の扉としての役割を果たしている。
「セミとアリ」は、日本では「アリとキリギリス」という題名で知られている。
夏の間、キリギリスは歌を歌い、働かない。冬になり、夏働いていたアリに食べ物を分けてくれるように頼むが、もらうことができず死んでしまう。
このような話を通して、勤勉に働くことや将来を見通すことの大切さ等が、教訓として読み取られる。
ラ・フォンテーヌは、その物語の骨格に基づきながら、自分風に変えていく。
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1986年に公開された「ベティ・ブルー(37.2 Le Matin)」。フランスではキュルトゥ(culte、信仰)と言われ、今でも信奉者がいるほど、人々の記憶に強く焼き付いている。
ベティとゾルグが暮らす海沿いの風景の中に、サックスの曲が流れる。このシーンを体験するだけで、カブリエル・ヤレドの音楽とジャン=フランソワ・ロバンの映像が作り出す見事な世界を体感することができる。

「アメリ(原題:アメリ・プランの不思議な運命)」は、主演のオドレイ・トトゥの独特な表現や彼女を取り囲む小物、赤と緑を基調とした色彩、パリを感じさせる街並み等のために、2001年の公開以来、現在でも人気がある。
物語は、アメリの恋物語を縦糸にし、彼女のかかわる人々の人間模様が横糸になる。
心を閉ざしたアメリは、ある事件をきっかけに人と関わり始める。それと同時に、インスタント写真を貼ったアルバムの謎を通して、ニノとの恋物語が語られる。
そうした展開の中で、閉ざされた心が外に開かれいていく過程が描き出され、多くの観客の共感を呼ぶことになった。

最初に見るフランス映画として、「最強のふたり」は最適な作品だろう。
主人公の二人、車いすに乗ったフィリップと、彼の世話をする黒人のドリスの間に出来上がっていく心の絆は、他の人間からは触れられない、貴重なもの。
フランス語の題名Untouchables(触れてはならないもの)は、その二人の関係を示している。

« Voici venir les temps…» de Chuya Nakaraha est un sonnet qui se montre à l’évidence comme un héritage de « Harmonie du soir » de Charles Baudelaire, dont voici les deux premiers vers :
Voici venir les temps où vibrant sur sa tige
Chaque fleur s’évapore ainsi qu’un encensoir :
Pourr afficher sa dette et sa lignée poétiques, Nakahara cite pour épigraphe une sorte de traduction de ces vers, accompagnée du nom du poète français, :
Voici venir les temps où chaque fleur se parfume dans un encensoir
Baudelaire