古典が失われた時代 Perte de la culture classique

個人的な感想になるが、とりわけ2000年を過ぎた頃から、古典とか過去の名作が顧みられなくなってしまったように思われる。

文学的な古典作品、フランス文学で言えば、フロベールやバルザックを読もうとしないし、手に取ったとしても読めないという若者が多い。
新しく高校で国語を教え始めた先生が、夏目漱石の小説を抜粋以外で読んだことがない、つまり一冊を通して読んでことがない、という例まで耳にしたことがある。

こうしたことは文学に限ったことではなく、映画でも同じこと。
映画好きだと自称する若者でも、小津安二郎の名前を知らなかったり、「東京物語」や黒沢の「7人の侍」さえ見たことがないという。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「10月の夜」ユーモアと皮肉 Gérard de Nerval « Les Nuits d’Octobre » humour et ironie 3/5

1852年10月30日発行の『イリュストラシオン』誌に掲載された『10月の夜』の第3回。

19世紀半ばのパリ中央市場付近の様子が具体的に描かれ、当時の民衆言葉も再現されているために、歴史的資料としても興味深い。

他方で、あまりにもローカルな事柄がローカルな言葉で書かれている部分もあり、現代の読者にはわかり難い部分もある。

10.焼き鳥屋

おお、真珠のように麗しい声の少女よ、――お前は、音楽院で教えられるみたいな‘楽句の区切り方’を知らない。――‘歌い方を知らない’と、音楽評論家なら言うだろう・・・。でも、ぼくはうっとりする。若々しい声の響きと、祖母たちの素朴な歌と同じように震える語尾に! お前が作った歌詞は韻を踏まないし、メロディーは‘教会音楽の4本の譜線’には書けない。―― あの小さな集いの中でだけ理解され、大喝采を浴びる。お前のお母さんに向かって、歌の先生のところに通わせろという人が出てくるだろう。―― そこに行くようになったらすぐに、お前は失われる・・・。私たちにとっては失われてしまう!―― お前は今、深淵の淵で歌っている、北欧神話の『エッダ』に出てくる白鳥みたいに。学識に染まっていない純粋なお前の声を、思い出として持ち続けることができますように! 歌劇場でも、コンサートでも、―― 歌声喫茶でさえも、お前が歌うのを聞きませんように!

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ラ・ロシュフコー 『箴言集』 全ては自己愛? La Rochefoucauld Meximes De l’amour-propre

ラ・ロシュフコーの『箴言集』のエピグラフには、こんな言葉が上げられている。

Nos vertus ne sont, le plus souvent, que des vices déguisés.

我々の美徳は、ほとんどの場合、偽装された悪徳にすぎない。

ラ・ロシュフコーの箴言は、こんな風に、物事を斜に構えて眺める皮肉な態度につらぬかれている。

この17世紀のモラリストに対して、太宰治は、「ラロシフコーなど讀まずとも、所謂、「人生裏面觀」は先刻すでに御承知である。眞理は、裏面にあると思つてゐる。」と書き、物事には裏表があることなどわかっていると毒づいたことがある。
https://bohemegalante.com/2019/06/27/datai-la-rochefoucauld/

太宰が言う「人生裏面觀」は現在でも通用するが、17世紀のフランスにおいては、とりわけ必要とされるものだった。

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パスカル 『パンセ』 人間は考える葦である Pascal, Pensées, Un roseau pensant

ブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である。」という言葉は誰でも知っている。しばしばデカルトの「我思う、故に我在り。」と並べて語られることもある。

この有名な二つの言葉には共通する要素がある。それは、「考える(Penser)」という動詞。
« L’homme, […], c’est un roseau pensant. » (Pascal)
« Je pense, donc je suis. » (Descartes)

17世紀の二人の思想家、哲学者は、「考える」ということを思索の中心においていることがわかる。

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フランス語の数え歌と子供向けビデオ Comptines et Mouk

外国語の学習で一番欠けているのは、楽しく音に馴染むという意識だろう。
youtubeには、目で映像を追いながら、音声や音楽を聴くことができるサイトが数多くある。

数え歌のサイト。
https://www.youtube.com/user/comptines

子供が大好きなMouk.
https://www.youtube.com/user/MoukFrance

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デカルト 『方法序説』 我思う、故に我在り Descartes Discours de la méthode « Je pense, donc je suis.» 2/2

デカルトは、『方法序説』の第4部に至り、思考の第一原理となる表現に達する。
「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis.)」。

誰もが知っているこの言葉が何を意味しているか考えてみることは、テレビやネット上で様々な意見(opinions)が行き交っている現代において、大きな意味を持つ。

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デカルト 『方法序説』 我思う、故に我在り Descartes Discours de la méthode « Je pense, donc je suis.» 1/2

René Descartes

デカルトという名前と、「我思う、故に我在り」という言葉は、誰でも知っている。しかし、1637年に出版された『方法序説(Discours de la méthode)』を実際に読む人はそれほど多くない。

17世紀以降の合理主義、科学主義のベースにあるデカルトの思想を知ることは、現代においても有益に違いない。

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バルザック 知られざる傑作 Honoré de Balzac, Le Chef-d’œuvre inconnu 芸術論 5/5

フレノフェールはさらに彼の芸術論を展開し、絵画が何を表現すべきかポルビュスに伝える。

La forme est, dans ses figures, ce qu’elle est chez nous, un truchement pour se communiquer des idées, des sensations, une vaste poésie. Toute figure est un monde, un portrait dont le modèle est apparu dans une vision sublime, teint de lumière, désigné par une voix intérieure, dépouillé par un doigt céleste qui a montré, dans le passé de toute une vie, les sources de l’expression.

形体は、様々な姿をしているが、私たちの内部にあるものなのだ。つまり、考えることや感じることをお互いに伝え合う代弁者であり、広大なポエジーだといえる。どんな姿でも一つの世界であり、一つの肖像画なのだ。そのモデルが崇高なヴィジョンの中に姿を現したときには、光に彩られ、心の声に指名され、天上の指で不純なものを払われている。天の指は、一つの生全体の過去において、表現の源を示したのだった。

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バルザック 知られざる傑作 Honoré de Balzac, Le Chef-d’œuvre inconnu 芸術論 4/5

統一感(l’unité)が作品に生(une des conditions de la vie)を与えるものであるというフレノフェールの説明を聞いた後、ポルビュスは、現実を画布の上に再現する時、ある矛盾が起こることを指摘する。
現実をそのまま再現すると本当らしくない、という問題。

  — Maître, lui dit Porbus, j’ai cependant bien étudié sur le nu cette gorge ; mais, pour notre malheur, il est des effets vrais dans la nature qui ne sont plus probables sur la toile…

ーー 先生、とポルビュスが言う。でも、私はヌードのモデルをよく見て、この胸をしっかりと研究しました。でも、私たち画家にとって不幸なことなのですが、自然の中で現実的な効果を持つものは、画布の上では本当らしくなくなってしまうのです。。。

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バルザック 知られざる傑作 Honoré de Balzac, Le Chef-d’œuvre inconnu 芸術論 3/5

「エジプトの聖女マリア」に、解剖学的な正確さはあるが生命感が欠けている、というフレノフェールの指摘に対して、ポルビュスとプッサンは反論しようとする。

— Mais pourquoi, mon cher maître ? dit respectueusement Porbus au vieillard tandis que le jeune homme avait peine à réprimer une forte envie de le battre.

ーー でも、どうしてですか、ポルビュスが老人に尋ねた。一方、若者は、老人に反論したいという強い気持ちを抑えるのに苦労していた。

しかし、フレノフェールは二人にほとんど口を挟ませず、すぐに自分の説を再び展開する。

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