第3章
ここで私にとって始まったのが、現実生活への夢の流入と呼ぶことになるものだった。この時から、全てが時として二重の様相を帯びるようになった。—— そうした時でも、決して論理性が欠如することはなかったし、身に起こったごく小さなことまで記憶を失うことはなかった。私の行動はばかげているように見えたのだが、人間の理性からすると幻影と呼ばれるものに従っていただけだった。・・・
何度も考えたことがある。生の重大な時期に、外の世界の精霊が突然普通の人間の姿に化身し、私たちに働きかけたか、働きかけようとした。しかし、その人もそれを知らないか、あるいは覚えていないのだ。
注:
ネルヴァルはここで出来事の流れを止め、そこで起こっていることをどのように理解すればいいのか、解説を挿入する。
理性的に見ると意味不明に見える幻影や妄想は、別の視点からすると論理性があり、『オーレリア』の冒頭の言葉を使えば「第二の生」。
20世紀であれば「無意識」という用語を使うかもしれない意識下の世界に関して、ネルヴァルは「外の世界」という言葉を使い、そこでの「自己」の姿を「精霊」と呼ぶ。
「現実生活への夢の流入」とは、意識に意識化されないものが混入することであり、そうした状態は、「夢想」であったり、「幻覚」や「妄想」に近づくこともある。







