マラルメ 「聖女」 Mallarmé  « Sainte »  詩=音楽

ステファン・マラルメは、20世紀以降のフランス文学に対して大きな影響を及ぼし、21世紀の現在でも文学批評の中で主題的に語られることがしばしばある。
その一方で、彼の詩は理解するのが難しく、詩そのものとして味わいを感じる機会はそれほど多くない。

マラルメは詩における音楽性の重要性を強調した。そして、彼の詩句が生み出す美の大きな要素は、言葉の奏でる音楽から来る。

その音楽は、日本語の翻訳では決して伝わらない。
また、たとえフランス語で読んだとしても、通常の言語使用を故意に混乱させ、意味の流通を滞らせることを意識した詩的言語で構築されているために、一般のフランス人読者だけではなく、文学研究を専門にするフランス人でも、マラルメの詩は難しいとこっそり口にすることがある。

そうした中で、日本の一般の読者がマラルメの詩を読むことの意義がどこにあるのかと考えることも多々あるのだが、しかし、せっかくフランス語を読むことができ、フランスの詩をフランス語で読む楽しみを知る読者であれば、難しい課題に挑戦し、少しでもマラルメの詩句の音楽性を感じられれば、それは大きな喜びとなるに違いない。
そんな期待をしながら、「聖女(Sainte)」を読んでみたい。

この詩では、音楽の守護聖女である聖セシリア(Sainte Cécile)が取り上げられ、詩の音楽性が主題的に歌われている。

まず最初に、意味は考えず、詩句の奏でる音楽に耳を傾けてみよう。

続きを読む

ボードレール 「高翔」 Baudelaire « Élévation » ロマン主義詩人としてボードレール 

「高翔(Élévation)」には、ボードレールの出発点であるロマン主義精神が屈折なく素直に表現されている。

ロマン主義の基本的な図式は、二元的な世界観に基礎を置いている。
ロマン主義的魂にとって、現実は時間の経過とともに全てが失われる空しい世界であり、その魂は、彼方にある理想の世界(イデア界)に上昇する激しい熱望にとらわれる。
その超現実的な次元に対する憧れが、美として表現される。

Élévation

Au-dessus des étangs, au-dessus des vallées,
Des montagnes, des bois, des nuages, des mers,
Par delà le soleil, par delà les éthers,
Par delà les confins des sphères étoilées,

Mon esprit, tu te meus avec agilité,
Et, comme un bon nageur qui se pâme dans l’onde,
Tu sillonnes gaiement l’immensité profonde
Avec une indicible et mâle volupté.

小さな湖のはるか上に、谷間のはるか上に、
山々の、森の、雲の、海のはるか上に、
太陽の彼方に、空間を満たす液体の彼方に、
星々の煌めく天球の境界の彼方に、

我が精神よ、お前は動いていく、軽々と,
そして、波の間で恍惚となる素晴らしい泳ぎ手のように。
お前は陽気に行き交う、奥深い広大な空間を、
言葉にできない男性的な官能を感じながら。

続きを読む

デカルト 神の存在 『方法序説』第4章 Descartes Discours de la méthode chapitre 4 Dieu existe

ルネ・デカルト(René Descartes, 1596-1650)は、人間の本質に理性を置き、合理主義の思考の基礎を築いた哲学者と考えられることが多い。

1637年に出版された『方法序説(Discours de la méthode)』の有名な言葉「我思う、故に我在り(Je pense, donc je suis.)」は、全ての人間には良識(bon sens)=理性(raison)が備わり、それに導かれることで真理(vérité)に到達できることを原則として思想の表現として、21世紀の現在でもよく知られている。

ところが、『方法序説』の第4章において、デカルトが、真理を保証するものとして「神(Dieu)」の存在を持ち出していることは、比較的忘れられている。
そこで、ここでは、デカルトが神についてどのような考察をし、神の存在を証明し、神が存在することがどのような意味を持つと考えたのか、探ってみることにしよう。

ただし、17世紀前半のフランス語は現在のフランス語とそれほどの違いがないとはいえるが、しかし、表現の仕方などで違いもある。例えば、動詞と代名詞の位置、構文の複雑さ、接続法の多用など。
そこで、フランス語自体の説明もやや詳しくするために、記述がかなり煩雑になってしまうことを予め断っていきたい。

続きを読む

ランボー 「わが放浪(ファンテジー)」 Rimbaud « Ma Bohême (Fantaisie) » 放浪する若き詩人の自画像

「わが放浪(ファンテジー)Ma Bohême (Fantaisie)」は、1870年10月に、年長の友人ポール・デメニーに預けた手書きの詩22編の中の一編。

翌1871年6月にデメニーに手紙を書き、全ての詩を燃やしてくれと依頼した。しかし、幸いなことに、デメニーは要求に従わなかった。そのおかげで、私たちは、16歳を直前にしたランボーの書いた詩を読むことができる! 

当時のランボーは、「詩人になる」という目標を掲げ、模索していた。
1870年5月24日に高名な詩人テオドール・ド・バンヴィルに送った3編の詩(「感覚(Sensation)」を含む)は、ロマン主義的な傾向をはっきりと示していた。
その1年後、1871年5月に書かれた「見者(le Voyant)の手紙」では、ロマン主義の詩を真っ向から否定し、「あらゆる感覚を理性的に狂わせ、未知なるものに達する」という詩法を展開した。

その中間時点にあるデメニーに託した詩群は、ロマン主義から出発して「見者の手紙」の詩法へと歩みを進めつつある段階にあった。
そのことは、放浪と詩作のつながりをテーマとする「感覚」と「我が放浪」 を並べてみるとよくわかる。

「感覚」では、全ての動詞が単純未来に活用され、まだ実現されていない希望が理想として思い描かれる。

夏の真っ青な夕方、ぼくは小径を歩いて行くだろう
Par les soirs bleus d’été, j’irai dans les sentiers

ランボー 「感覚」 Rimbaud « Sensation » 自然を肌で感じる幸福

理想との対比を強調するために、「わが放浪」では動詞は過去時制で活用される。

Je m’en allais, les poings dans mes poches crevées ;
Mon paletot aussi devenait idéal ;
J’allais sous le ciel, Muse ! et j’étais ton féal ;
Oh ! là ! là ! que d’amours splendides j’ai rêvées !

ぼくは出掛けていった、破れたポケットに拳骨を突っ込んで。
ハーフコートも同じように、理想的になっていた。
大空の下を歩いていたんだ、ミューズよ! ぼくはお前の僕(しもべ)だった。
あーあ! なんて数多くの輝く愛を、ぼくは夢見たことだろう!

続きを読む

ランボー 「感覚」 Rimbaud « Sensation » 自然を肌で感じる幸福

「感覚(Sensation)」は、15歳のランボーが、高踏派を代表する詩人テオドール・ド・バンヴィルに宛てた1870年5月24日付けの手紙の中に同封した詩の一つ。

その手紙でランボーは、16世紀の詩人ロンサールを起源とし、ロマン主義から高踏派へと続く、「理想の美(la beauté idéale)」を追い求める詩人たちを真の詩人と見なし、その系譜の中に自分を位置づけている。
「感覚」はその言葉を証明するために同封された詩だった。

「感覚」の中で使われる動詞が全て単純未来で活用されるのは、「私(je)」の感じる幸福感が、これから実現されるはずの「理想」であり、15歳の少年詩人がその感覚に「美」を見出したことを示している。

Par les soirs bleus d’été, j’irai dans les sentiers,
Picoté par les blés, fouler l’herbe menue :
Rêveur, j’en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue !

夏の真っ青な夕方、ぼくは小径を歩いて行くだろう、
麦の穂にちくちくさされながら、細い草を踏んで。
夢見心地の中で、草のひんやりとした感覚を感じるだろう、ぼくの足に。
風が浸すままにしておくだろう、帽子をかぶらないぼくの頭を!

続きを読む

ヴェルレーヌ「シテール島」Verlaine « Cythère »と音楽 クープラン ドビュシー サティ プーランク

ポール・ヴェルレーヌの「シテール島(Cythère)」は、1869年に出版された『艶なる宴(Fêtes galantes)』の中の一編で、ロココ絵画の雰囲気を19世紀後半に再現している。

19世紀前半、ルイ15世やルイ16世の時代の装飾様式をロココ(rococo)と呼ぶようになったが、ロココは時代遅れ様式というニュアンスを与えられていた。
そうした中で、一部の人々の間で、18世紀の文化全体を再評価する動きが生まれ、ロココ絵画に言及する美術批評や文学作品も現れるようになる。

アントワーヌ・ヴァトーの「シテール島の巡礼(Le Pèlerinage à l’île de Cythère)」は、18世紀の前半に、「艶なる宴(fête galante)」という絵画ジャンルが生まれるきっかけとなった作品だが、19世紀前半のロマン主義の時代、過去への追憶と同時に、新たな美のモデルとして、文学者や評論家によって取り上げられるようになった。

美術評論家シャルル・ブランは、「艶なる宴の画家たち(Les peintres des Fêtes Galantes)」(1854)の中で、以下のように述べている。

Éternelle variante du verbe aimer, l’œuvre de Watteau n’ouvre jamais que des perspectives heureuses. (…) La vie humaine y apparaît comme le prolongement sans fin d’un bal masqué en plein air, sous les cieux ou sous les berceaux de verdure. (…) Si l’on s’embarque, c’est le Départ pour Cythère.

「愛する」という動詞の果てしない変形であるヴァトーの作品は、幸福な光景しか見せることがない。(中略) そこでは、人間の生活は、野外で、空や緑の木立の下で行われる仮面舞踏会の、終わりのない延長のように見える。(中略) もし船に乗って旅立つとしたら、それは「シテール島への出発」だ。

こうした記述を読むと、愛の女神ヴィーナスが誕生後に最初に訪れたといわれるシテール島が、恋愛の聖地と見なされていたことがわかる。

ヴェルレーヌも、ロココ美術復興の動きに合わせ、彼なりの『艶なる宴』を作り出した。
そこでは仮面舞踏会での恋の駆け引きが音楽性豊かな詩句で描き出され、「シテール島」においても、無邪気で楽しげな恋の場面が目の前に浮かび上がってくる。

続きを読む

ボードレール 「シテール島への旅」 Baudelaire « Un Voyage à Cythère » 3/3 自分を見つめる力と勇気

第11詩節では、絞首台に吊され、鳥や獣に体を引き裂かれた哀れな姿に向かい、「お前(tu)」という呼びかけがなされる。

Habitant de Cythère, enfant d’un ciel si beau,
Silencieusement tu souffrais ces insultes
En expiation de tes infâmes cultes
Et des péchés qui t’ont interdit le tombeau.

シテール島の住民、この上もなく美しい空の子、
お前は、静かに、数々の屈辱を耐え忍んでいた、
贖罪のためだ、数々の悪名t高き信仰と
様々な罪の。その信仰と罪のため、お前は墓に葬られることを禁じられたのだった。

(朗読は2分40秒から)
続きを読む

ボードレール 「シテール島への旅」 Baudelaire « Un Voyage à Cythère » 2/3 絞首台のアレゴリー 

第4−5詩節では、夢と現実の対比がもう一度繰り返される。

myrte

Belle île aux myrtes verts, pleine de fleurs écloses,
Vénérée à jamais par toute nation,
Où les soupirs des cœurs en adoration
Roulent comme l’encens sur un jardin de roses

Ou le roucoulement éternel d’un ramier !
– Cythère n’était plus qu’un terrain des plus maigres,
Un désert rocailleux troublé par des cris aigres.
J’entrevoyais pourtant un objet singulier !

美しい島、緑のギンバイカが生え、咲き誇る花々に満ちあふれ、
永遠に、全ての人々から崇拝される。
熱愛する心を持つ人々のため息が
流れていく、バラの庭を漂う香りのように、


あるいは、山鳩の永遠のさえずりのように。
— シテール島は、もはやひどく痩せ衰えた土地でしかなかった、
甲高い叫びに乱された、岩ばかりの荒れ果てた地。
ちらっと見えたのは、一つの奇妙な物!

(朗読は50秒から)
続きを読む

ボードレール 「シテール島への旅」 Baudelaire « Un Voyage à Cythère » 1/3 愛の女神ヴィーナスの島へ

シャルル・ボードレールは、「シテール島への旅」の中で、ジェラール・ド・ネルヴァルが1844年に発表したギリシアの紀行文を出発点にしながら、自らの詩の世界を作り上げていった。

4行で形成される詩節が15連なる60行の詩の最後になり、詩人はこう叫ぶ。

Ah ! Seigneur ! donnez-moi la force et le courage
De contempler mon cœur et mon corps sans dégoût !

ああ! 主よ! 私にお与えください、力と勇気を、
自らの心と体を見つめるのです、嫌悪することなしに!

この懇願が発せられるのは、エーゲ海諸島の一つシテール島において。

シテール島は、神話の中で、海の泡から誕生したヴィーナスが最初に上陸した地とされ、ヨーロッパ人の想像力の中では、長い間、愛の島として知られていた。

他方、歴史を振り返ると、中世にはヴェネツィア共和国の統治下にあり、イタリア語でセリゴ( Cerigo)と呼ばれていた。その後、1797年にナポレオンが支配下に置き、フランス領イオニア諸島に組み込む。だが、1809年、イギリス軍がイオニア諸島を占領し、1864年にギリシャ王国に譲渡されるまで、イギリスの統治が続く。

その間、シテール島は、人々の想像力の中では神話的なオーラを保ちながら、現実には何の特徴もない平凡な島になっていた。
ヨーローパの人々がギリシアに向かう時には、神話的な空想を抱きながら、そうした現実に出会うことになる。

もちろん、地中海を通り、ギリシアに近づくについて、船上の旅人の心は浮き立つに違いない。天気がよければなおさらだ。

Un Voyage à Cythère


Mon cœur, comme un oiseau, voltigeait tout joyeux
Et planait librement à l’entour des cordages ;
Le navire roulait sous un ciel sans nuages,
Comme un ange enivré d’un soleil radieux.

シテール島への旅

私の心は、1羽の鳥のように、ひどく楽しげに空を旋回し、
自由にトンでいた、帆綱の周りを。
船は進んでいった、雲一つない空の下を、
輝く太陽に酔いしれる天使のように。

続きを読む

ボードレール 「地獄のドン・ジュアン」 Baudelaire « Don Juan aux Enfers » 詩句で描かれた絵画

詩の中には、ある知識を前提として書かれているものがあり、その場合には、読んですぐに理解するのは難しいし、理解できなければ、その魅力を味わうこともできない。

ボードレールの「地獄のドン・ジュアン(Don Juan aux Enfers)」であれば、17世紀の劇作家モリエールの戯曲「ドン・ジュアン 石の饗宴」を知らないと、スガナレル(Sgnanarelle)、ドン・ルイ(Don Luis)、エルヴィル(Elvire)といった固有名詞、物乞い(un mendiant)や石の男(homme de pierre)が、ドン・ジュアンとどんな関係があるのかわからない。

日本人であれば、三途の河と言われればすぐにピントくるが、カロン(Charon)という名前にはなじみはない。
カロンは地獄の河の渡し守。死者はカロンに船賃(une obole)を渡さなければならない。

ドイツの作家ホフマン(1776-1822)が、モーツアルトのオペラ「ドン・ジョヴァーニ」を下敷きにして執筆した「ドン・ジュアン」も、ボードレールは頭に置いていたと考えられる。

ドラクロワの絵画「ダンテの小舟(地獄のダンテとヴェルギリウス)」や、ドン・ジュアンが地獄に下る姿を描いた同時代の版画など、美術批評も手がけたボードレールの絵画体験も詩の中に反映している。

こうした知識がぎっしりと詰まっている詩を読む場合、何の前提もなしで直接心に訴えかけてくる抒情詩とは違い、まずは知的な理解が必要にならざるをえない。

続きを読む