
『徒然草』第52段で、兼好法師は、仁和寺(にんわじ)の僧侶の話を取り上げ、現代にも通用する一つの教訓を提示している。
その挿話を、兼好の語り(1)、仁和寺の法師の言葉(2)、教訓(3)という、三つの部分に分けて、読み解いていこう。

『徒然草』第52段で、兼好法師は、仁和寺(にんわじ)の僧侶の話を取り上げ、現代にも通用する一つの教訓を提示している。
その挿話を、兼好の語り(1)、仁和寺の法師の言葉(2)、教訓(3)という、三つの部分に分けて、読み解いていこう。

『徒然草』の中で、兼好法師は、無常観に基づいた日本的美について何度か筆を走らせている。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。(第7段)
折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。(第19段)
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情け深し。(第137段)
移りゆくもの、儚く消え去るもの、春の桜、暮れゆく秋などに、日本的感性は美を見出す。
そうした感性は、永遠に続く理想の美を追究するヨーロッパ的な美意識とは対極を成している。
なぜ日本的美意識は、これほどまでに儚く淡いものに強く反応するのだろうか。別の視点から言えば、消え去ることに本当に価値を置いているのだろうか。
アンリ・ベルクソンが提示した「持続(durée)」という時間意識は、その問いに答えるためのヒントを与えてくれる。
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