(日本の大学などでフランス語の詩を読む場合、内容の説明に重点が置かれ、詩のもう一つの側面である言葉の音色の美しさやリズムを実際に味わうことは、あまり行われていないように思われる。
そこでここでは、詩句の音楽性にとりわけ重点を置きながら、ヴィクトル・ユゴーの « Sara la baigneuse »(水浴びをするサラ)を読んでいきたい。)

« Sara la baigneuse » の第2詩節では、母音反復(assonance)や子音反復(allitération)だけではなく、詩行の先頭を同じ言葉で始めるアナフォール(anaphore:語頭反復)も加わり、リズムと音楽性がさらに強化される。
(参照:フランス語の詩を読むために)
Et la frêle escarpolette か弱いブランコが
Se reflète 映っている
Dans le transparent miroir, 透明な鏡の中に、
Avec la baigneuse blanche 白い肌の水浴びをする乙女とともに、
Qui se penche, 彼女は身をかがめる、
Qui se penche pour se voir. 彼女は身をかがめる、自分を見るために。
最初に、「無音のe」に関する音節数の復習をしておこう。
a. 行末に「無音のe」が来る場合には、音節として数えない。例:es/car/po/le/(tte) で4音節。
(この場合、lette は女性韻と呼ばれる。)
b. 次に母音が来る場合には、e が消え、前の子音と次の母音が一つになる。frê/l(e)es で2音節。
c. 後ろに子音が来る場合には、「無音のe」が1音節と数えられる。se/re/flè/(te) で3音節。
このように数えると、第2詩節も 7-3-7 // 7-3-7 の音節数からなる詩行で構成され、女性韻と男性韻が交互に現れていることが確認できる。
この詩節のポイントは、ブランコの上でゆらゆらと揺れているサラが、「透明な鏡(le transparent miroir)」と呼ばれる水面に身を傾け、自分の姿を眺めるところにある。
その情景を音色とリズムによって読者に鮮やかに印象づけるために、ヴィクトル・ユゴーはあえて同じ表現を繰り返し、アナフォール・アソナンス・アリテラシオンを巧みに組み合わせている。
Qui se penche
Qui se penche pour se voir
どちらの行も Qui で始まり、アナフォールによって、白い肌の乙女が何をしているのかが強く印象づけられる。
さらに、4行目の blanche の韻から続く penche が繰り返されることで、「白い(blanche)」という印象が、「身を傾ける(se penche)」という動作へと音によって滑らかにつながっていく。
しかも、「身を傾ける」に含まれる se が、「自らを見る(se voir)」へと [s] のアリテラシオンによって受け継がれ、白い体が身を傾けて自分を見つめるという一連の動きが、音の反復とリズムによって見事に表現されている。
同様の音とリズムの効果は、この詩節の冒頭にも見られる。
Et la frêle escarpolette
Se reflète
ここでは、f・r・l といった子音が現れては消え、消えては現れることで、ブランコの揺れを思わせる響きが生まれている。
e の韻の前後に l と t が重なって「豊かな韻(rime riche)」を形づくっているにもかかわらず、それ以上に frêle と reflète の音の呼応が耳に強い印象を与えているように感じられる。
このように、フランス語の詩は、音色とリズムが織りなす音楽でもある。
そして、« Sara la baigneuse » で私がとりわけ興味深いと思うのは、一般にフランス語の韻文詩の基本が偶数音節であるのに対し、この詩は 7/3 という奇数音節の詩句によって構成されていることである。
それは、日本語の 5/7 のリズムともどこか通じるものがある。そのため、日本語を母語とする読者にも、この詩のリズム感は比較的自然に感じ取られるのではないだろうか。
第3詩節からは、それぞれの読者が音とリズムの楽しみを発見することを期待しながら、最小限の指摘だけにとどめることにする。
Chaque fois que la nacelle, ブランコの台が
Qui chancelle, 揺れる度に
Passe à fleur d’eau dans son vol, 水面すれすれに空中を飛ぶ中で、
On voit sur l’eau qui s’agite 揺れ動く水の上に見えるのだ、
Sortir vite すばやく現れる、
Son beau pied et son beau col. 彼女の美しい足と、美しい首筋が。
à fleur d’eau という美しい表現において、fleur は花ではなく、水面を意味する。したがって、ブランコは水面すれすれを飛んでいる(vol)ことになる。
その eau([o])の音は、次の eau へと引き継がれ、さらに beau – beau と、美しいサラの足や首筋へと響きながらつながっていく。
他方で、そのスピード感は、vol – voit – vite に繰り返される [v] のアリテラシオンによって、音の上でも鮮やかに表現されている。
第4詩節では、サラの白い肉体が冷たい水に触れて赤く染まる様子が描かれている。ただ、その情景は意味だけを追うと、やや捉えにくいかもしれない。しかし、その意味を伝える言葉そのものは、これまでと同様に音楽的で魅力に富んでいる。
Elle bat d’un pied timide 彼女は打つ、内気な足さばきで、
L’onde humide 湿った波を、
Où tremble un mouvant tableau, そこには動く絵が揺らめいている、
Fait rougir son pied d’albâtre, (彼女は)大理石の白い足を赤く染め、
Et, folâtre, そして、はしゃぎながら、
Rit de la fraîcheur de l’eau. 水の冷たさに声をあげて笑う。

まず、2行目の L’onde humide について触れておこう。
humide の h は無音の h であり、無音の e の後には母音の u が続くことになるので、l’on/d(e)(h)u で2音節となる。そして、最後の e は音節として数えないので、l’on/d(e)(h)u/mi/(de) で3音節の詩句になる。
次に、波(l’onde)は水なので湿っていることは明らかなのに、なぜ「湿った(humide)」という形容詞を添えるのかと疑問に思われるかもしれない。
これはフランス古典詩の修辞法で、自然物にその本質的な属性を表す形容詞を添え、その物質の質感や抽象的な印象を喚起するための技法である。「定常形容詞(Épithète de nature)」と呼ばれる。
timide と豊かな韻(rime riche)を踏みながら、水の質感を感じさせるために humide が用いられているのだと考えられる。
その水面に揺れている「動く絵(un mouvant tableau)」とは、ブランコに揺れるサラの姿を指す隠喩(métaphore)である。
そして、そのサラの姿はalbâtre(アラバスター:雪花石膏)のように白いのだが、冷たい水に触れて赤く染まる。その際、「冷たい水(l’eau fraîche)」ではなく、「水の冷たさ(la fraîcheur de l’eau)」という表現が用いられているのも、水というものの本質的な冷たさを前面に出すためだろう。
また、音の面でも tableau と eau が [o] の音で韻を踏み、「絵」が水面に映った像であることを暗示している。
個人的には、albâtre(大理石)という硬質なイメージと、folâtre(はしゃいだ様子)という軽やかで浮遊感のあるイメージが、[atr] という豊かな韻(rime riche)によって結びつけられている点が、とりわけ興味深い。
(続く)