ヴェルレーヌ 忘れられたアリエッタ その9 Verlaine « Ariettes oubliées IX » 風景と人の心

19世紀の後半、フランスでは浮世絵が大流行し、日本趣味(ジャポニスム)が広がった。ヴェルレーヌがそうした流行とどのようにかかわり、日本の精神から何かを学んだのかどうかはわからない。
しかし、ヴェルレーヌの詩は、日本語を母語とし、日本的感性を持っている人間であれば、すぐに理解できる側面を持っている。逆に言うと、フランス的な感性を持った人間には、理屈で説明しないといけないのかもしれない。

巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る
Il pleure dans mon cœur / Comme il pleut sur la ville
(「忘れられたアリエッタ その3」)
https://bohemegalante.com/2019/07/26/verlaine-ariettes-oubliees-iii/

この詩句は、和歌に親しんでいる私たちには、そのまま心に入ってくる。

奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
                          (詠人知らず)

この句を読むと、私たちは、紅葉や鹿が秋をつげ、どこかもの悲しい感じ、つまり、もののあわれを自然に感じる。

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メンデルスゾーン、ショパンの「舟歌」とヴェルレーヌのこの上なく美しい詩

ヴェルレーヌが1874年に出版した詩集『言葉なき恋愛(Romances sans paroles)』は、メンデルスゾーンのピアノ曲集『言葉なき恋愛(Lieder ohne Worte)』に由来すると言われている。

メンデルスゾーンのピアノ曲集には、「ベニスのゴンドラ乗りの歌」と題された曲が3つ入っている。
同じように、ベルレーヌの詩集にも舟歌がある。
「クリメーヌに」。
「神秘的な舟歌(Mystiques barcarolles)」という詩句で始められる。

作曲家と詩人を繋ぐものとして、もう一つの舟歌があるかもしれない。
それが、ショパン晩年の曲「舟歌」。フランス語の曲名は、Barcarolle。
ヴェルレーヌが、« Mystiques barcarolles »綴ったとき、メンデルスゾーンだけではなく、ショパンの曲も心に思い描き、二人の舟歌が詩人の内部で鳴り響いていただろう。

そうして出来上がった詩「クリメーヌに」は、ヴェルレーヌの中でも、最も美しい。

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ヴェルレーヌ家の家族写真 Des photos intimes rarissimes de Paul Verlaine

ヴェルレーヌ一家の写真アルバムが発見され、2019年11月20日にパリで競売にかかります。
https://www.lefigaro.fr/livres/des-photos-intimes-rarissimes-de-paul-verlaine-bientot-vendues-a-l-encan-20191115

そのアルバムの中に、これまで見つかっていなかったヴェルレーヌの写真が2枚あるそうです。

Les deux photos du poète, «d’une extrême rareté», ont été prises « au cœur des années 1860 tandis que Verlaine s’apprêtait à publier son premier et mythique recueil : Poèmes Saturniens », précise encore le communiqué. Sur ces clichés au ton jauni, on peut voir le jeune poète, imberbe, assis accoudé à une table ou debout, la tête droite et la main glissée dans une poche.

ヴェルレーヌ 「秋の歌」 Verlaine « Chanson d’automne » 物憂い悲しみ

日本におけるヴェルレーヌのイメージは、上田敏による「落葉」の翻訳によって決定付けられているといってもいいだろう。その翻訳は、上田敏作の詩と言っていいほどの出来栄えを示している。

秋の日の/ヰ゛オロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し。
鐘のおとに/胸ふたぎ/色かへて/涙ぐむ/過ぎし日の/おもひでや。
げにわれは/うらぶれて/ここかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉かな。

この翻訳の素晴らしさが、日本における「秋の歌」の人気の秘密であることは間違いない。しかしそれと同時に、ヴェルレーヌの詩が、『古今和歌集』の詠人知らずの和歌のように、「もののあわれ」を感じさせることも、人気の理由の一つではないだろうか。

秋風に  あへず散りぬる  もみぢ葉の  ゆくへさだめぬ  我ぞかなしき 

フランス語を少しでもかじったことがあると、これほど素晴らしい詩がフランス語ではどうなっているのだろうと興味を持つことだろう。
もちろん、ヴェルレーヌの詩も素晴らしい。

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ヴェルレーヌ 「カエルのように重く、鳥のように軽い」 Verlaine « Lourd comme un crapaud léger comme un oiseau » 日本の芸術を見るヴェルレーヌの目

ポール・クローデルは、優れた日本文学論「日本文学散歩(Une promenade à travers la littérature japonaise)」の冒頭で、2つのフランス詩を、極東精神の精髄を感知するための序曲として引用している。

一つがステファン・マラルメの「苦い休息にうんざり(Las de l’amer repos)」。
https://bohemegalante.com/2019/08/27/mallarme-las-de-lamer-repos/
もう一つがポール・ヴェルレーヌの「カエルのように重く、鳥のように軽い(Lourd comme un crapaud, léger comme un oiseau)」。

この二つの詩を比較して、クローデルは、マラルメの詩は古典的で完璧な手さばきを示している一方、ヴェルレーヌは走り書きで、より大きな自由が感じられると言う。

「カエルのように重く、鳥のように軽い」では、奇数の音節が詩句から重さを取り除いている。奇数の音節と軽さは、「詩法」の中でヴェルレーヌ自身によって主張されていた。
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/
その上で、最後の詩句が17音節と特別に長く、それが詩人のサインの役目を果たしていると、クローデルは考える。

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ヴェルレーヌ 「月の光」 Verlaine « Clair de lune » ロココ的世界から印象へ

ヴェルレーヌの詩は音楽性が豊かだが、それと同時に絵画的表現にも富んでいる。

Antoine Watteau, Le Pèlerinage à l’île de Cythère

詩集『雅な宴』(Fêtes galantes, 1869)は、ロココ絵画の創始者であるアントワーヌ・ヴァトーが描いた優美な世界を再現し、その中で恋の始まりから終わりまでを描いている。

その詩集の冒頭を飾るのが「月の光 Clair de lune」。
優雅でありながらもの悲しく、美しい衣裳の下に決して明かせぬ本心を隠す、宮廷生活の雰囲気を見事に伝えている。

しかし、絵画的世界はいつの間にか音楽の世界へとつながり、ヴェルレーヌの世界に引き込まれてしまう。

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ヴェルレーヌ 「グリーン」 Verlaine « Green » 自然の感性

Auguste Renoir, Cueillette des fleurs

英語のgreen(緑)が題名になっているこの詩は、「ヴァルクール」と並んで、物憂さも、漠然とした悲しみもない。

https://bohemegalante.com/2019/07/27/verlaine-walcourt/

朝まだき、詩人は木や花の中で幸せに満たされ、愛する人の傍らで安らぐ。
その時、自然はヴェルレーヌの心と響き合い、恋人たちをつなぐ慎ましい贈り物になる。

Green

Voici des fruits, des fleurs, des feuilles et des branches
Et puis voici mon cœur qui ne bat que pour vous.
Ne le déchirez pas avec vos deux mains blanches
Et qu’à vos yeux si beaux l’humble présent soit doux.

Paul Cézanne, Fleurs dans un vase

グリーン

見てください。果物や花を、葉や枝を。
それから、わたしの心臓も。あなただけを想い、鼓動しています。
この心を引き裂かないでください、あなたの白い両手で。
あなたの麗しい目に、この慎ましい贈り物が、心地よくありますことを。

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ヴェルレーヌ 「ヴァルクール」  Verlaine « Walcourt » 印象派的

『言葉なきロマンス』に「ベルギーの風景」という章があり、その最初に置かれているのが「ヴァルクール」。

1872年、ヴェルレーヌはマチルドとの新婚生活を捨て、ランボーと共にベルギーに向かう汽車に乗り込んだ。

ブリュッセルに着く前に、彼等はヴァルクールという町を通りかかる。その時、詩人は幸福感に満ちあふれていたのだろう。
「ヴァルクール」には、いつもの物憂い悲しみなど、どこにも感じられない。屈託がなく、浮き浮きとした心が、そのまま表現されている。

その感情の動きが、印象派の絵画の手法と同調するかのように、小さなタッチで、素早く描かれている。

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ヴェルレーヌ 「巷に雨の降るごとく」 Verlaine « Il pleure dans mon cœur », Ariettes oubliées III 日本的感性?

Camille Pissaro, Avenue de l’Opéra, effet de pluie

ヴェルレーヌの「巷に雨の降るごとく」は、掘口大學の名訳もあり、日本で最もよく知られたフランス詩の一つである。

掘口大學の訳も素晴らしい。

巷に雨の降るごとく
わが心にも涙降る。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?

ヴェルレーヌの詩には、物憂さ、言葉にできない悲しみがあり、微妙な心の動きが、ささやくようにそっと伝えられる。
こうした感性は、日本的な感性と共通しているのではないだろうか。

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ヴェルレーヌ 「忘れられたアリエッタ その1」  Verlaine « Ariettes oubliées I » 日本的感性とヴェルレーヌの詩心

「忘れられたアリエッタ その1」は、ヴェルレーヌの詩の精髄がそのままの形で詩になっている。この詩を理解することで、「ヴェルレーヌ的」とは何か、そしてなぜ彼の詩が日本でこれほど愛されているのか、理解することができる。

「忘れられたアリエッタ」と題された9つの小さな詩は、『言葉なきロマンス(Romances sans paroles)』に収録され、1874年に出版された。

1874年は、第一回印象派展が開催され、モネの「印象・日の出」から、印象派という名称が生まれた年。
印象派の画家たちからの直接的な影響はないとしても、同時代的な表現法の類似が、ヴェルレーヌの詩との間に見出されることは確かである。

ヴェルレーヌの生涯でいえば、ランボーとのイギリスでの生活が破綻し、ブリュッセルのホテルで彼の手を銃で撃ち、監獄に入れられていた時期。
その頃の詩作はランボーとの相互的な影響作用で、音楽性がもっとも強く打ち出されていた。「何よりも先に音楽を」と歌った「詩法」が書かれたのも、1874年。
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/

「詩法」の中で、詩句を音楽的にするためには奇数の音節数が大切だとしている。「忘れられたアリエッタ その1」は、全て7音節の詩句からなり、奇数音節が実践されている。

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