「世界人としての日本人」という自己認識を持つ大拙は、東洋と西洋を対立させる二元論に立つのではなく、二元論の根底にある「無」の思想を中心に置き、禅をはじめ日本の文化や思想を西洋に伝えた。 コロンビア大学で彼の講義を聴いた中には、作曲家のジョン・ケージや小説家のJ. D. サリンジャーがいた。サリンジャーの『フラニーとズーイ』の「鈴木博士」は、鈴木大拙のことだと言われている。
Ici presque toujours si le ramier roucoule Cet immatériel deuil opprime de maints Nubiles plis l’astre mûri des lendemains Dont un scintillement argentera la foule.
そのヴェルレーヌが、1896年1月8日、パンテオン近くのホテルで息を引き取る。葬儀は1月10日、サント・ジュヌヴィエーブの丘にあるサン=テティエンヌ=デュ=モン教会で行われ、遺体はパリ北西部のバティニョル墓地に埋葬された。 その葬儀の中で、マラルメは、お互いをたたえ合える詩人の仲間として、「墓はすぐに沈黙を愛する(Le tombe aime tout de suite le silence.)」という言葉で始まる追悼文を読み上げた。
その二つの言葉の組み合わせは、ボードレールの詩的世界では、パリの街角に立つ娼婦を連想させる。 実際、「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」には、次のような一節がある。
À travers les lueurs que tourmente le vent La Prostitution s’allume dans les rues ; Comme une fourmilière elle ouvre ses issues ; Partout elle se fraye un occulte chemin, (…).
Ou que le gaz récent torde la mèche louche Essuyeuse on le sait des opprobres subis Il allume hagard un immortel pubis Dont le vol selon le réverbère découche
1892年にボードレールの記念碑が建立される計画が持ち上がり、その資金を調達するために詩人を追悼する詩集が企画された。参加を求められたマラルメは、若い頃に多大な影響を受けたボードレールへの敬意を込めて「オマージュ(Hommage)」と題したソネ(14行詩)を執筆、その後、自分の詩集に再録した際、題名を「シャルル・ボードレールの墓(Le Tombeau de Charles Baudelaire)」に変更した。
オマージュであるこの詩がボードレールの詩的世界を反映しているのは当然のことだが、音的にも、ボードレールという名前の最初の文字である B の音が詩句の中にちりばめられている。題名の中でTombeauのボの音がBaudelaireのボの音と響き合うところから始まり、詩句の至るところから B(audelaire)が顔を出してくるのだ。
Le temple enseveli divulgue par la bouche Sépulcrale d’égout bavant boue et rubis Abominablement quelque idole Anubis Tout le museau flambé comme un aboi farouche
マラルメはこの詩の中で、エドガー・ポーを讃えながら、詩人が社会の中で認められず、孤高の存在であることを強調する。そして、ポーを詩人たちを象徴する存在と見なした。 ちなみに、題名のTombeauのT を受け、詩の最初にも « Tel »とTで始まる言葉が置かれ、Poeの名前の後ろにを T 置けば、Poetになる。
Nous aurons des lits pleins d’odeurs légères, Des divans profonds comme des tombeaux, Et d’étranges fleurs sur des étagères, Écloses pour nous sous des cieux plus beaux.