ネルヴァルの宗教的・哲学的思想 Une pensée religieuse et philosophique de Gérard de Nerval

とても残念なことに、ジェラール・ド・ネルヴァルという作家は日本でもあまり知られていず、紹介される場合があったとしても、狂気と幻想の作家とか神秘主義などというレッテルが貼られてしまう。
そのために、最初から色眼鏡をかけて読まれることになり、現実を描写した美しい文章で綴られた作品でさえも、複雑でわからないとか、意味不明などという感想を持たれたりする。

彼の作家としての実像は、現実に興味を持ち、その時々に話題になっていることを取り上げ、ユーモアと皮肉を交えて機知の利いた話にする名手だった。
しかし、何度か狂気の発作に襲われたことがあり、最晩年にはその時の体験記的な物語を公表し、最後はパリの場末で首を吊って死んでしまったために、夢と狂気の作家に祭り上げられてしまうことになった。

そうしたことのもう一つの理由は、彼の思想が「超自然主義(surnaturalisme)」と呼ばれる傾向のものであり、現実主義的、合理主義的、実証主義的思考から見ると、非理性的だと見なされること。
「超自然主義」自体は、ロマン主義の時代には多くの文学者に共有されたものであり、とりわけ不思議なものではないし、古代ギリシアから連綿と続く伝統に基づいている。
しかし、精神病院に入れられた事実やギュスターブ・ドレの版画に見られる自死の怪しげなイメージといった要素が相まって、夢と狂気の作家というレッテルが形成されていった。

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フロベール 『ボヴァリー夫人』 Flaubert Madame Bovary エンマとロマン主義

 『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』は1852年から1856年まで書き継がれたが、この時期は、ロマン主義から写実主義、象徴主義、モデルニテへと向かう転換期にあった。

 そうした芸術観の転換を象徴的に表すのが、1857年の『ボヴァリー夫人』と『悪の華(Les Fleurs du mal)』の裁判。フロベールの小説とボードレールの韻文詩集が、公衆道徳に反するという理由で裁判にかけられ、詩集の方は有罪になった。

 興味深いことに、二人の作家は、出発点では19世紀前半に主流だったロマン主義に深く傾倒していた。その後、ロマン主義を内部から解体することで、新しい芸術観を創造していった。

ボードレールに関しては、美術批評「1846年のサロン」の中で、「ロマン主義とは何か?」という問いかけを行い、そこからモデルニテのコンセプトとなる概念を発展させた。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

フロベールは、『ボヴァリー夫人』の中で、エンマの少女時代がロマン主義一色だったことを示し、その中に皮肉な視線を溶け込ませる。そのことによって、ロマン主義文学の概略を素描し、その上でほころびを作り出し、エンマの運命がロマン主義の行き着く先と重なり合う前兆とする。

注意しておきたいのは、フロベールの小説家としての姿勢。
彼は、語り手として物語の中に介入し、登場人物の心の中や様々な状況を説明することをほとんどしない。ただ淡々と出来事を物語っていく。
出来事の意味を読み取るのは読者の役割なのだ。
ただし、時に、こっそりと彼の視点を示し、読者の読み方に対して指針を示すことがある。

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サン=テグジュペリ 星の王子さま Saint-Exupéry Le Petit Prince apprivoiserの実践練習

「星の王子さま」の中で、王子さまがキツネから教えてもらう最も大切な秘密は、apprivoiserという言葉で表される。
日本語にピッタリする言葉がなく、「飼い慣らす」「手なずける」「仲良しになる」「なじみになる」「なつく、なつかせる」等々、様々な訳語が使われてきた。

日本語を母語とする私たちと同じように、王子さまもapprivoiserがどういうことかわからず、キツネに質問する。
キツネの答えは、「絆を作ること(créer des liens)」。
そして、意味を説明するだけではなく、王子さまに次のように言い、apprivoiserの実践練習をしてくれる。

– S’il te plaît… apprivoise-moi ! dit-il.

「お願い・・・、ぼくをapprivoiserして!」 とキツネが言った。

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フロベール 純な心 Gustave Flaubert Un cœur simple 卓越した散文

フランス語を勉強したら、フランス語で会話をするだけではなく、文学作品を原文で読んでみたいという気持ちが自然に湧いてくる。
そんな時、質が高く、しかも読みやすい作品として最初に推薦できるのが、ギュスターブ・フロベールの「純な心(Un cœur simple)」。

小説としての素晴らしさは言うまでもないが、フロベールの散文は、端切れのいい言葉の塊が、リズム感よく続く。
フランス語を前から順番に読んでいくと、単語さえ知っていれば、自然に意味が頭に入ってくる。

他にも数多くの優れた小説家がいるが、フロベールほどクリアーでありながら工夫に富み、言葉によってもう一つの現実世界を作り上げた作家はいないと思われるほど、卓越した散文を紡ぎ出した。

「純な心」は中編小説であり、一つの作品をフランス語で最初から最後まで読み通すためにも、最適な長さ。
しかも、内容が素晴らしい。
事件らしい事件は何も起こらないのだが、オバン夫人(Mme Aubain)の女中フェリシテ(Félicité)の姿を通して、人間の心の持つ素直さ、単純さ、純粋さ、そして神秘性が描き出されていく。

まず、冒頭の一節(Incipit)を読んでみよう。

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ランボー 黄金時代 Arthur Rimbaud Âge d’or 詩句の音楽性

「黄金時代(Âge d’or)」は、ランボーの音楽性に富んだ詩の中でも、最も音楽性を感じさせてくれる詩。
詩句を口に出して発音すると、口の中に円やかな感覚が広がり、とても気持ちがよくなる。

他方で、何を言いたいのか考え始めると、訳が分からなくなる。
フランス人のランボー研究者でこの詩を大変に難しいという人が多くいる。
無理に解釈しようとすると、訳が分からなくなり、読むのが厭になるかもしれない。

詩句が奏でる音楽に身を任せ、Voix(声)という言葉が出てきたら、voixという音を口ずさみ、「声」と思うだけ。現実にある何かの声を探す必要はない。
詩は言葉によって成り立ち、詩の世界だけで自立している。「黄金時代」はそのことを実感させてくれる。

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恋愛の誕生 Naissance de l’Amour 12世紀フランス文学における恋愛観の転換

Gustave Moreau, Sapho à Leucade

恋愛は12世紀のフランスで誕生した。

恋愛は人間に備わった自然な感情なのだから、恋愛が発明されたなどと言うのは馬鹿げていると考えるかもしれない。
実際、古代ギリシアの時代から、抒情詩人たちは激しい恋の感情を詩にしてきた。

柏の梢に吹き下ろす深山の嵐の如く
恋はわが胸を掻き乱す。(サッポー)

黄金なす愛欲の女神なくして何の人生ぞ、何の歓びぞ、
死なんかな、かの美わしきことどもの、過ぎにし夢と消え去れば、
秘めし恋、心込めたる贈り物、愛の臥床。 (エレゴス)

こうした詩句を読めば、恋愛がいつの時代にも存在したと考えるのが当たり前だろう。

では、12世紀にフランスで恋愛が発明されたというのは、間違った言葉なのだろうか。

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詩をフランス語で味わう Savourer de la poésie en français

フランス語で詩を味わうことなどとてもできない、と思い込んでいる人が多くいるかもしれない。
しかし、実際に口の中に美しい詩句を含んでみると、自然に味覚を感じる。

例えば、ヴェルレーヌの詩句:

Les sanglots longs des violons de l’automne / blessent mon cœur / d’une langueur monotone.

最初に lo とlonの音が連続し、lが舌で上の歯茎の後ろを叩き、o とonが雨粒のように細かな響きを立てる。
次に、œの円やかな音が、cœur, langueurと心の物憂さを感じさせる。
最後に、monotoneの中に o の音が再び回帰し、3度反復する。

「秋のヴァイオリンの長いすすり泣き」「私の心を傷つける」「単調な物憂さで」といった意味がわかろうとわかるまいと、一連の詩句を口ずさんでみると、口の中で詩句の味覚を感じていることがわかる。

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ボードレール 犬と香水瓶 Baudelaire Le chien et le flacon 詩人の肖像

散文詩「犬と香水瓶(Le Chien et le Flacon)」の中で、ボードレールは、香水のかぐわしい香りよりも汚物を好む犬の姿を描く。
その嫌みは、韻文詩「アホウドリ(L’Albatros)」の中で船乗りたちに揶揄されたアホウドリの反撃と見なすことができる。

その詩で歌われる香水瓶が、1857年に出版された『悪の華(Les Fleurs du mal)』だとすれば、「犬と香水」は、詩集を裁判にかけ、罰金刑を科し、6編の詩の削除を命じた判決を行い、それを支持した人々に対する嫌みとして受け取ることもできる。

犬の悪趣味に対する攻撃。言葉は直接的で、ボードレールの生の声が聞けるような感じがする。
最先端の芸術家は、その新しさのために社会には理解されない。自分たちの優越性を心の片隅で信じながら、時にはこんな風に、自分を認めない相手に思い切り毒づくこともあるのだろう。

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ボードレール アホウドリ Charles Baudelaire L’Albatros 詩人の肖像

1857年に出版された『悪の華(Les Fleurs du mal)』は、非道徳的な詩篇を含むという理由で裁判にかけられ、有罪の判決を受ける。その結果、詩人は出版社とともに罰金を科され、かつ6編の詩の削除を命じられた。

ボードレールは第二版を準備するにあたり、単に断罪された詩を削除するだけではなく、新しい詩を付け加え、100編だった詩集を126編の詩集にまで増やし、1861年に出版した。
「アホウドリ(L’Albatros)」はその際に付け加えられた詩の一つである。

ただし、執筆時期については、もっとずっと早く、1841年にボードレールが義理の父親から強いられ、てインドのカルコタに向かう船旅をした時期ではないかという推測もある。
その旅の途中、あるいは、フランスに帰国した後、「アホウドリ」が書かれたという説は広く認められている。

他方、1859年に、もう一つの詩「旅(Le Voyage)」と一緒に印刷されために、その時代に書かれたという説もある。
『悪の華』第二版(1861)の中で、「アホウドリ」は冒頭の詩「祝福(Bénédiction)」に続き二番目の位置を占め、「旅」は詩集の最後に置かれている。
「旅」で歌われる「未知なるもの、新たなるもの」の探求へと向かう「詩人の肖像」が、アホウドリとして詩集の最初に描き出されているのである。

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