
第5詩節から第9詩節において、「私(Je)」が「魂(âme)」に語り掛けるという行為を通して、変化=動きが生まれる瞬間が捉えられている。
その変化とは、「私」の中で魂と肉体が分裂すること。
それはまだ完全には起こっていず、今起こりつつあるか、未来(futur)に起こりうる出来事として提示される。
その意味で、5つの詩節で描かれる事象は、思考の冒険に他ならない。

第5詩節から第9詩節において、「私(Je)」が「魂(âme)」に語り掛けるという行為を通して、変化=動きが生まれる瞬間が捉えられている。
その変化とは、「私」の中で魂と肉体が分裂すること。
それはまだ完全には起こっていず、今起こりつつあるか、未来(futur)に起こりうる出来事として提示される。
その意味で、5つの詩節で描かれる事象は、思考の冒険に他ならない。

ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地(Le Cimetière marin)」は、詩人が、生まれ故郷である南フランスのセットにある墓地に腰を下ろし、地中海の美しい海を眺め、瞑想にふけるところから始まる。そして、様々な思索を繰り広げた後、堀辰雄の訳で有名な「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩句をきっかけにし、現実へと意識を移すところで、終わりを迎える。
10音節の詩句が6行で一つの詩節を構成し、それが24続く長い詩を、4回に分けて読んでいこう。
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イヴ・ボンヌフォワ(1923-2016)は、現代フランス最高の詩人。
フィリップ ・ジャコテ(1925- )とともに、俳句を高く評価し、俳句の精神をフランス詩の中に取り入れた詩人でもある。
幸い、ボンヌフォワが松山市で俳句について行った講演記録の日本語訳を、ネット上で読むことが出来る。
http://haikusphere.sakura.ne.jp/tra/2000/bonnefoy%20lecture-j.html
詩集『曲がる板(Les Planches courbes)』の冒頭に置かれた「雨蛙、夕方(Les rainettes, le soir)」は、芭蕉の古池に飛び込む蛙たちの声をフランスの詩人が耳で捉えた証なのかもしれない。

第一詩節は雨蛙たちの声から始まる。
I
Rauques étaient les voix
Des rainettes le soir,
Là où l’eau du bassin, coulant sans bruit,
Brillait dans l’herbe.

ヴェルレーヌが1874年に出版した詩集『言葉なき恋愛(Romances sans paroles)』は、メンデルスゾーンのピアノ曲集『言葉なき恋愛(Lieder ohne Worte)』に由来すると言われている。

メンデルスゾーンのピアノ曲集には、「ベニスのゴンドラ乗りの歌」と題された曲が3つ入っている。
同じように、ベルレーヌの詩集にも舟歌がある。
「クリメーヌに」。
「神秘的な舟歌(Mystiques barcarolles)」という詩句で始められる。

作曲家と詩人を繋ぐものとして、もう一つの舟歌があるかもしれない。
それが、ショパン晩年の曲「舟歌」。フランス語の曲名は、Barcarolle。
ヴェルレーヌが、« Mystiques barcarolles »綴ったとき、メンデルスゾーンだけではなく、ショパンの曲も心に思い描き、二人の舟歌が詩人の内部で鳴り響いていただろう。
そうして出来上がった詩「クリメーヌに」は、ヴェルレーヌの中でも、最も美しい。
続きを読むパリから電車で約2時間のところに、ランボーの故郷シャルルヴィルがある。
現在はシャルルヴィル=メジエール市。
電車を降りると、詩人の胸像がすぐに見えてくる。

ポール・ヴェルレーヌとのスキャンダルもあり、生前や死の直後はシャルルヴィルの恥だと考えられていた「呪われた詩人」が、今ではフランス最高の詩人の一人として、市の誇りなのだ。
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ネルヴァルは、「オーレリア」の冒頭で、夢の世界を、象牙あるいは角の扉によって現実世界から隔てられたもう一つの世界として描き出している。
闇の中で新しい光に照らされて浮かび上がるその世界は、劇場の舞台の上で芝居が始まる時のようでもある。
日本語に訳すのではなく、フランス語を前から辿っていくと、ネルヴァルの描く映像が目の前に展開するような印象を受ける。
Le Rêve est une seconde vie. Je n’ai pu percer sans frémir ces portes d’ivoire ou de corne qui nous séparent du monde invisible. Les premiers instants du sommeil sont l’image de la mort ; un engourdissement nébuleux saisit notre pensée, et nous ne pouvons déterminer l’instant précis où le moi, sous une autre forme, continue l’œuvre de l’existence. C’est un souterrain vague qui s’éclaire peu à peu, et où se dégagent de l’ombre et de la nuit les pâles figures gravement immobiles qui habitent le séjour des limbes. Puis le tableau se forme, une clarté nouvelle illumine et fait jouer ces apparitions bizarres : – le monde des Esprits s’ouvre pour nous.
朗読
http://www.litteratureaudio.net/mp3/Gerard_de_Nerval_-_Aurelia_Partie_1.mp3

第二段落では、舞台上の女優の姿が描き出されるが、それは決して客観的な描写ではなく、心の目で見た彼女の姿。
とりわけ、「夜のように青白い」に続く長い描写は、古代の遺跡に残された壁画を思わせ、ネルヴァルの筆が絵画を描いているように感じられる。
Je me sentais vivre en elle, et elle vivait pour moi seul. Son sourire me remplissait d’une béatitude infinie ; la vibration de sa voix si douce et cependant fortement timbrée me faisait tressaillir de joie et d’amour. Elle avait pour moi toutes les perfections, elle répondait à tous mes enthousiasmes, à tous mes caprices, — belle comme le jour aux feux de la rampe qui l’éclairait d’en bas, pâle comme la nuit, quand la rampe baissée la laissait éclairée d’en haut sous les rayons du lustre et la montrait plus naturelle, brillant dans l’ombre de sa seule beauté, comme les Heures divines qui se découpent, avec une étoile au front, sur les fonds bruns des fresques d’Herculanum !
朗読(1分09秒から)

ジェラール・ド・ネルヴァルの「シルヴィ」は、とても美しく音楽的な散文で綴られている。
とりわけ、冒頭の一節で描き出される劇場の様子は、21世紀のフランス語の文章構造と比較するとずいぶんと複雑で、わかりにくいと思われるかもしれない。
しかし、前から読み、ブロック毎に意味を理解していくと、情景が自然に心の中に浮かび、主人公の「私」と同じ感覚を味わっているような気持ちになる。
文章が複雑だと感じられる原因を探りながら、それが難しさではなく、文体上の工夫だとわかると、フランス語で文学作品を読む楽しみを感じることができるようになる。
Je sortais d’un théâtre où tous les soirs je paraissais aux avant-scènes en grande tenue de soupirant. Quelquefois tout était plein, quelquefois tout était vide. Peu m’importait d’arrêter mes regards sur un parterre peuplé seulement d’une trentaine d’amateurs forcés, sur des loges garnies de bonnets ou de toilettes surannées, — ou bien de faire partie d’une salle animée et frémissante couronnée à tous ses étages de toilettes fleuries, de bijoux étincelants et de visages radieux. Indifférent au spectacle de la salle, celui du théâtre ne m’arrêtait guère, — excepté lorsqu’à la seconde ou à la troisième scène d’un maussade chef-d’œuvre d’alors, une apparition bien connue illuminait l’espace vide, rendant la vie d’un souffle et d’un mot à ces vaines figures qui m’entouraient.

ラ・フォンテーヌの寓話は、素晴らしく効果的な韻文で書かれている。
音節数と韻の効果の他に、音色やリズムの変化が物語を効果的に盛り上げる。
その巧妙な技法を知ると、フランス語の詩の面白さを実感することができる。
日本でもよく知られている寓話「カラスとキツネ」(Le Corbeau et le Renard)を読みながら、韻文の面白さと素晴らしさを感じてみよう。
続きを読むパリから50分ほど電車に乗ると、シャトーチエリ(Château Thierry)に着く。
そこはジャン・ド・ラ・フォンテーヌの生まれ故郷。
彼の生家は、今、博物館として開放されている。
https://www.museejeandelafontaine.fr/?lang=fr

博物館の中に入ると、寓話の世界にどっぷりと浸ることができる。
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