オリンピックに関する日本の状況を伝えるフランスのメディア

オリンピックの開催を前にして、今の日本の状況をフランスのメディアがどのように伝えるのか、とても興味深い。
2021年5月20日のQuotidienでは、オリンピック反対の立場の人々の動きを中心に伝えている。

Japon : à 2 mois des JO et face à la crise sanitaire, la colère monte

Alors que les Jeux Olympiques doivent débuter dans deux mois, le Japon, pays hôte, est frappé de plein fouet par la quatrième vague de l’épidémie de Covid-19.

Problème : le pays est très à la traîne sur le front de la vaccination. 
Seul 1% de la population est aujourd’hui vacciné et plus de 5000 nouveaux cas sont déclarés chaque jour.

Face à la situation sanitaire du pays, les athlètes internationaux s’inquiètent. Une pétition réunissant déjà 375 000 signatures réclame d’ailleurs l’annulation des Jeux Olympiques.

文学作品の読み方 中原中也の詩を通して

Auguste Renoir, La liseuse

文学は必要か?と問われれば、現代こそ文学作品を「読む」ことが必要な時代はない、と答えたい。
ただし、小説、詩、戯曲などを読むには、それなりの読み方を学ぶ必要がある。

文学作品を読む際、どのように読むかは読者の自由に任されていて、自由な感想を持ち、自由に自分の意見を持つことができるという前提があり、決まった読み方があるとは考えられていない。

自由に読むという作業は、多くの場合、読者の世界観を投影している場合が多い。作品の中からいくつかの箇所を取り上げ、それに対して自分の思いを抱き、思いを語るのが、一般的な傾向だといえる。一人一人の読者の感想こそが重要だと考えられることもある。

しかし、その場合には、どの作品を読んでも、結局は同じことの繰り返しになってしまう。というのも、作品を通して読んでいるのは、読者の自己像だから。
あえて言えば、文学が好きな人間には自己に固執しすぎるきらいがあり、作品に自己イメージ、しばしば性的コンプレクスを投影することも多い。

ソーシャル・メディアで発言される内容、そして、発言の読まれ方は、その延長だと考えることもできる。
根拠を問うことなく、自分の信じたい内容を信じる。違う意見があれば、フェイク・ニュースと言う。
自己イメージに合ったものを信じ、そうでないものは切り捨て、時には断罪する。

文学作品は、客観的な情報を伝えるものではないために、読者の主観が重要だとする考え方は強い。しかし、そうした読み方は、ソーシャル・メディアへの接し方とほとんど変わらない。

文学作品を読む時にも、それなりの作法がある。
その作法を学ぶことで、自己イメージを作品に投影するのではない読み方を身につけることができるだろう。
そして、それこそが、現代社会において必要とされる情報受信の方法だといえる。

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読書と演奏 芸術は人間を根本から支える

読書は誰にでもできる行為。しかし、良い読書をすることは難しい。

読書に良いも悪いもない。それぞれの読者が感じること、考えることが大切なのであり、それに対して優劣をつけるのは意味がないし、傲慢でさえある。
そうした考えが、現代において普通に流通している言葉だろう。

ある意味では民主的で、個人を大切にしたように思えるそうした考え方は、読書感想文と密接につながっている。
読書において大切なのは「感想」。情景を思い浮かべ、登場人物について思うことを書き、感動したことを素直に述べる。

最近では、こうしたことさえも重視されず、実用性を重んじる傾向が強まっている。
文部科学省の「大学入試および高等学校指導要領の『国語』改革」に従い、高校では文学の勉強をせずに、実用文に重きを置いた教育をすることになったという。
感想さえも必要なく、主観性を排除して客観的に意味を解読することが求められる時代。

こうした時代の日本にあって、「芸術は人間を根本から支える」などという言葉はまったく意味をなさないのかもしれない。
この表現は、小澤征爾と大江健三郎の対談集『同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった』(中公文庫、2004年)の中で、大江が提示したもの。
二人の芸術家(指揮者と小説家)の言葉を辿っていると、読書とは音楽の演奏と同様の体験だということがわかり、質(クオリティー)の高低があることがわかってくる。

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モンテスキュー 『ペルシア人の手紙』 新しい時代精神の確立

モンテスキューは1689年に生まれ、1755年に死んだ。
その時代には、1715年のルイ14世の死という大きな出来事があった。
大王の死後、オルレアン公フィリップの執政時代(1715-1723)、次いでルイ15世が1723年に国王としての実権を握るといった政治の動きがあった。

それと同時に、時代精神も大きな転換期を迎えていた。
ルネサンスから17世紀前半にかけて成立した合理主義精神が主流となり、神の秩序ではなく、人間の秩序(物理的な現実、人間の感覚や経験)に対する信頼が高まっていた。

そうした時代の精神性は、18世紀前半に生まれたロココ美術を通して感じ取ることができる。
そこで表現されるのは、微妙で繊細な細部の表現であり、見る者の「感覚」に直接訴えてくる。17世紀の古典主義芸術の壮大さ、崇高な高揚感に代わり、ロココ芸術では、軽快で感覚的な魅力に満ちている。
非常に単純な言い方をすれば、神を崇めるための美ではなく、現実に生きる人間が幸福を感じる美を追求したともいえる。

モンテスキューは、17世紀の古典主義的時代精神から啓蒙の世紀と呼ばれる18世紀の時代精神へと移行する過程の中で、新しい時代精神の確立を体現した哲学者・思想家である。

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現代的情報発信と問題解決の困難さ イスラエルとパレスチナの戦闘

2021年の4月からパレスチナとイスラエル間の戦闘が激しさを増し、5月には双方が爆撃する映像が日本でも流れている。

現代では大手マスコミのニュース以上に、個人的な発信が重要な意味を持ち始めていることが、別の視点から見えてくる。例えば、Tiktokを使った情報発信。
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フランス語学習が嫌いになる理由 —— もう一度フランス語を

フランス語の勉強を嫌いするのはとても簡単。

1)一つ一つの音の発音にこだわり、日本語の発音にないR、母音、鼻母音の音を繰り返し発音させる。
2)動詞の活用を覚えさせる。(英語なら三人称単数にsをつけるだけ。フランス語とのギャップは大きい。)
3)単語の男性・女性の区別や、それに応じた冠詞や冠詞の形の変化にこだわる。

せっかく英語と違う新しい言語を勉強し始めたというのに、発音できない、覚えることが多い。
できない、わからない、面倒、難しいとなったら、普通はフランス語を学ぶのが厭になる。

それでも勉強を続けるとしたら、フランスの芸術や文化、ファッション、グルメによほど惹かれているか、あるいは苦労せずにフランス語の発音ができる人や、暗記が苦手でない人だろう。

文学好きの人間は、フランス語学習の入り口で、知的な興味と実際の学習のギャップに嫌気がさし、投げ出してしまうことが多いようだ。

大学のフランス語科、フランス文学科、第二外国語でフランス語を勉強した中で、どれだけの数の人たちがある程度の運用能力をつけることができたのだろうか。数字化すれば、驚くほどの数だろう。

その一方で、せっかく勉強したのだから、フランス語で簡単な文章を読んだり、多少フランス語をブラッシュ・アップしたいと考えている人も一定数いるに違いない。
そんな時、どのような意識で、フランス語学習に向き合っていったらいいのだろうか。

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映画「オキシジェン」 メラニー・ロランとマチュー・アルマリック監督のインタヴュー

「オキシジェン」は、極低温装置内で目覚めた女性リズが、だんだんと酸素が枯渇していく中、自分は誰なのか、なぜ閉じ込められているのかを思い出そうともがく、という内容の映画。

主演したメラニー・ロランと、監督のマチュー・アルマリックが、映画について語るインタヴューは、とても面白い内容になっている。

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ギュスターブ・フロベール生誕200年

2021年は、1821年生まれのギュスターヴ・フロベールにとって、生誕200年に当たる。
Quotidienで、フロベールや彼に関する出版物が紹介された。フロベールがフランスでどのように受容されているか知るにはいい機会になる。

個人的には、同じ年に生まれたボードレールと関連付けて欲しいような気もする。

Gustave Flaubert et le bovarysme

Cette année, on fête le bicentenaire de la naissance de Gustave Flaubert.
À cette occasion paraissent un album Pléiade sur l’auteur et « Le Monde selon Flaubert », de l’historien Michel Winock.
Deux moyens idéaux de mieux appréhender cet écrivain majeur du XIXème siècle. 

18世紀の時代精神 幸福を求めて

フランスの18世紀は、ルイ14世の治世が終盤を迎えるところから始まり、フランス革命からナポレオンの登場で終わりを迎える。
一言で言えば、血縁に基づいた貴族の時代が終わり、ナポレオンという個人が能力を発揮して国家を支配できる時代が到来した。

こうした変化は、16世紀において「人間」という存在に価値があるという認識が行われ、17世紀になると全ての人間に「理性」が備わっているというデカルトの確認に続いて、実現されたのだと考えられる。
そして、18世紀に確立した人間観や世界観は、21世紀においても支配的な時代精神であり続けている。

その精神の根本にあるのは「幸福」の追求であり、「個人の自由」、「科学の進歩」等がその手段を支える思想となる。
しかし、興味深いことに、合理主義精神や科学主義が中心となる中で、「理性」よりも「非理性」に、「文明」よりも「未開」や「自然」に、「進歩」よりも「原初」に、「科学」よりも「神秘」や「超自然」に、価値を置く精神性が忘れられることはなかった。

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ラ・ファイエット夫人 『クレーブの奥方』 恋愛小説の危険

恋愛を扱った小説を読む時には、とりわけ注意を要することがある。
一般に恋愛は人間にとって普遍的な感情であると思われているので、小説が書かれた時代や国民性を考えることなく、読者自身の持つ恋愛観を投影し、小説を通して自分の恋愛に関する想いを読み取るだけに終わってしまう可能生がある。

マノン・レスコーがファム・ファタル(恋愛によって男性を堕落させる魅力的な女性)であり、ボヴァリー夫人が平凡な結婚生活に退屈し、不倫を繰り返して最後は自殺する女性といった平凡な類型を当てはめる。マノンに翻弄される男の愚かさを語ってみたり、それほど愛されるマノンに憧れたり、平凡な夫であるシャルル・ボヴァリーに退屈して結婚外の恋愛を憧れる女性に共感したり、やっぱり不倫はダメだなどといった感想を抱く。

François Clouet, Elisabeth d’Autriche

ラ・ファイエット夫人(Madame de La Fayette)の『クレーブの奥方(La Princesse de Clèves )』は、しばしばフランスで最初の恋愛心理を分析した近代小説と紹介されることがあり、恋愛感情を繊細に分析した小説といった先入観を持って読まれることが多い。

しかし、恋愛小説をそうした視点を通してだけ読むのであれば、芸能人の恋愛ネタと変わるところがなく、わざわざ古い時代のフランスの小説に手を出す必要もない。

せっかく『クレーブの奥方』を読むのであれば、読者自身の恋愛観を直接投影するのではなく、17世紀後半のフランスで書かれた作品であることから出発した方が、読書の楽しみはより大きなものになる。

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