盲人の視力を回復する

視力のない人間が視力を回復することは不可能だと考えられてきた。しかし、新しい治療法によって、物の形や色を識別できるようになるかもしれない。
パリのある病院で行われているその治療の様子が、TF1, 20h (2021年6月12日)で紹介されている。

大変に興味深いことに、1749年、プロイセンの医師が生まれつきの白内障の少女に手術をし、視力を回復させるという出来事があった。それをきっかけにして、『百科全書』を編集したドゥニ・ディドロが、『目の見える人々に役立つ盲人に関する書簡』と題する哲学の本を書いている。
https://bohemegalante.com/2020/09/25/diderot-lettres-sur-les-aveugles-materialisme/

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ディドロ 百科全書の精神 全ては連鎖し、全体を形作る

von Loo, Denis Diderot

ドゥニ・ディドロは、18世紀の啓蒙思想を代表する『百科全書』の編集者として知られているが、哲学的な著作だけではなく、小説、演劇、美術評論等、多方面にわたる著作活動を行った。

活動の幅が広く、時代によって考え方も異なっているように見えるために、全ての著作の根底に流れるディドロの本質的な思考を見極めるのは難しいと言われている。
しかし、18世紀の時代精神の流れの中に彼の著作を置いてみると、一貫した基盤がおぼろげながら見てくる。

ディドロは徹底した物質主義の提唱者であり、無神論者だった。
「人間は物質である。」
この言葉を出発点として、次の問いに進む。
「物質である人間は、思索する。」

18世紀の啓蒙主義の中心にいた哲学者たちの中でも、神の存在を信じない者はそれほど数が多くなかった。
実証主義精神に基づき、実験科学によって神の存在を証明することはできない。しかし、ヴォルテールのように、ニュートン力学に由来する科学精神で現実の観察から思索を始めた哲学者でも、神の存在を否定することはなかった。

他方、ディドロは、ドルバック男爵(1723-1789)と並び、自然にある物質を超越した次元(=神)の存在を認めなかった。哲学も、生理学、博物学、医学と同様、恣意的な精神性の介入しない科学である必要があると考え、実証可能な対象は物質のみに限られるからである。
従って、人間も肉体という物質を観察、実験の対象にする。しかし、その物質は感情を持ち、比較し、経験し、記憶し、思考する。
としたら、物質から思考へのつながりをどのように考えたらいいのだろう?

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口に心地よいフランス詩 ヴェルレーヌ  « À Clymène »

日本語でも、フランス語でも、詩では音楽性が重視され、耳に気持ちのいい詩は、日本語でもフランス語でも数多くある。
では、口に気持ちのいい詩はどうだろう? 声に出して読むと、口が気持ちいいと感じる詩。

言葉を発声する時、日本語では口をあまり緊張させないが、フランス語では口を緊張させ、しっかりと運動させる。
そのために、詩の言葉を口から出した時、とても気持ちよく感じられる詩がある。
その代表が、ポール・ヴェルレーヌの« À Clymène ». 声を出して詩句を読むと、本当に口が気持ちよくなる。
https://bohemegalante.com/2019/03/05/verlaine-a-clymene/

実際に詩を声に出して読む前に、口の緊張について確認しておこう。

日本語を母語とする者にとって、日本語とフランス語の口の緊張の違いが一番よくわかるのは、「イ」の音。
「ア・イ」といいながら口を意識すると、口の形がそれほど変わらず、ほとんど力が入っていないことがわかる。
それに対して、フランス語の[ i ]では、口に力を入れ、思い切り横に引っ張る。とても力が入り、緊張している。
テレビでアナウンサーが話すのを見る時、口が真一文字になっていることに気づくことがあるほど。

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ケニー・バロン ドライブ感がありながら端正でもあるジャズ・ピアノ

ケニー・バロンのジャズ・ピアノは、ドライブ感があり、エネルギッシュ。その一方で、繊細で端正な側面もある。

バロンが人気ジャズ・ピアニストになったのは、1990年代のテナー・サックス奏者スタン・ゲッツとの共演。アルバム”Voyage”に収められた Voyage はバロン自身の作曲。

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ヴォルテール 『カンディード』 地上における幸福に向けて

18世紀フランスの啓蒙主義を代表する作家ヴォルテールの創作活動の前半を要約する表現は、「人間は自然の中で、自分のいるべき場所にいる。」「人間とは、そのようであるべきもの。」といった、現状を肯定する傾向の現実認識に基づいていた。
しかし、後半になると、そうした楽観主義的な思想を否定し、悪の存在を強く意識し、より現実的な思考へと変化していった。

その変化の直接のきっかけとなったのが、1755年11月1日に発生したリスボンの大地震だった。
リスボンの85%の建物は破壊され、27万人の人口の3分の1にあたる約9万人が死亡したといわれている大震災だった。

その規模は、ヨーロッパの人々に大きなインパクトを与え、経済や政治だけではなく、哲学的にも大きな問題となった。

当時、地震は自然現象というよりも、神罰と見なされた。そこで、敬虔なキリスト教国家であるポルトガルで、11月1日の万聖節という祝日に、なぜ首都リスボンが地震にみまわれなければならなかったのか、多くの教会や聖堂が破壊され、罪のない人々が被害に遭わなければならなかったのか、大きな問題となった。

現代の日本でも、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東北大震災など、数多くの自然災害に襲われる。そして、被害を受けた人々は、なぜここが、なぜ私であって他ではないか、と自問することがある。
もし神様がいるとしたら、なぜそんな大災害を引き起こすのかと問いかけもする。

ヨーロッパの18世紀前半には、ドイツの哲学者ライプニッツ(1646-1716)が主張した、「慈悲深い神が創造する世界の中でも最善の世界の中で、全ての出来事は最善である」という楽観主義や、「慈悲深い神の存在と悪や苦痛の存在は矛盾しない」という説が流通していた。

しかし、ヴォルテールは、リスボンの大震災を前にして、「人間は自然の中で、自分のいるべき場所にいる。」とは言っていられなくなる。
その震災を直接の契機として、『リスボン大震災についての詩』を執筆し、悪の起源、神の行い、人間の自由などの問題を韻文詩の中で論じた。
さらに、1759年には、哲学的な物語(コント)という枠組みで、より具体的にライプニッツ的楽観主義を批判した。『カンディッドあるいは楽観主義』は、そうした思索の結実である。(注:Candideのカタカナ表記について、カンディードと長音を入れるのは違和感があるので、カンディッドと記す。)

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ヴォルテール 『哲学書簡』 啓蒙主義の出発点  

18世紀を代表する文学者、哲学者といえば、ヴォルテールの名前が最初に挙げられる。
1694年に生まれ、1778年に83歳で亡くなるまで、波瀾万丈の人生を送りながら、演劇、詩、小説、哲学、歴史書、政治的啓発文書、日記等、様々な分野の著作を手がけた。

ヴォルテールの思想を一言で言えば、理性による現実の検証によって真理を知ろうとする姿勢。
現実主義者であり、人間の幸福は、五感を使い、現実に生きる中で得られるものと考える。宗教的な制度が課す束縛を嫌い、自由を第一に考える。
ヴォルテール自身が言ったのではないが、彼の言葉として流通している、「私はあなたの言うことに同意しない。しかし、あなたがそのように発言する権利は死んでも守るつもりだ。」という言葉は、彼の姿勢を象徴している。

簡単に彼がどんな人生を送ったのか、振り返っておこう。

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絵文字はヒエログリフ?

メールやlineのやり取りで、絵文字を使わないことはないというほど、世界中で絵文字が使われている。実際、emojiは世界共通語になっているといっていいだろう。
では絵文字は誰が作るのか? どこかで公認しているのか?
普段私たちがあまり考えることがないことを、TF1の20hのニュース(2021年5月29日)で話題にしてる。

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カルナヴァレ美術館の再開 2021年5月29日

5年前から改修中だったカルナヴァレ美術館が、2021年5月29日に再開する。

パリの歴史を紹介した美術館で、建物は、ジャック・デ・リニュリ(パリ市議会議長、)の邸宅として1548年に建造された。17世紀半ば、建築家フランソワ・マンサールによって改装。
書簡集で有名なセヴィニエ夫人が住んでいたことでも知られている。

今回の改装では、『失われた時を求めて』の作者マルセル・プルーストの部屋が再現されたという。パリに行ったら、ぜひ訪れたい美術館の一つであり続けている。

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日本における外国語学習最大の問題 返り点 訳し上げ

日本において、外国語の習得を妨げる最大の要因があるのだけれど、ほとんど意識されることがない。
そのため、悪い癖がついても気づかず、外国語を読めるようになかなかならない。

何が悪いのか?
それは、「返り点」の習慣。

漢文読解の際に日本で発明した方法で、文章を構成する単語の順番を逆点して理解しようとする。
漢文の授業で学んだレ点などを思い出すといい。

この習慣が英語学習にも入り込み、関係代名詞が出てくると、文の後ろから「訳し上げ」たりする。
問題は、「訳」ではなく、「理解」のために、単語の順番を逆転してしまうこと。
1度癖になってしまうと、やめるのが難しい。

実は、誰もが言葉を音として理解している。声に出さず、黙読している時にも、頭の中で音は響いている。
文章は、音が聞こえてくる順番に、自然に理解できる。

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アベ・プレヴォ 『マノン・レスコー』 新しい時代を予告する女性の誕生

Jean-Honoré Fragonard, La Lettre d’amour

マノン・レスコーの名前は現在もよく知られている。近年の日本では、彼女はファム・ファタル、つまり、抗いがたい魅力で男性を魅了し破滅に陥らせる女性という、類型化した形で紹介されることがよくある。

その一方で、1731年に出版された時の題名が『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』であり、作者アベ・プレヴォの自伝的小説『ある貴族の回想と冒険』の7巻目にあたることはあまり考慮に入れられることがない。

そのために、実際に小説を読んだとしても、18世紀の前半にその作品がどのような意義を持ち、何を表現していたのか、考察されることはあまりない。
読者は、マノンにファム・ファタル、情婦、悪女などのイメージを投げかけ、自分の中にある恋愛観を通して、無意識に潜む性愛的ファンタスムを読み取るといったことが多いようである。
その場合、アベ・プレヴォの小説を読むというよりは、ファム・ファタルという女性像を中心に置き、物語のあらすじを辿り、気にかかる部分やセリフを取り上げ、恋愛のもたらす様々な作用について語ることになる。
マノン・レスコーはファム・ファタルだと思い込んだ瞬間に、そうした危険があることを意識しておいた方がいいだろう。

フランス文学の歴史の中に位置づける場合には、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』が1731年に出版された作品であることを踏まえ、その時代にこの小説がどのような意味を持ちえたのかを考えていくことになる。

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