Jean-Jacques Goldman « Puisque tu pars » ジャン・ジャック・ゴルドマン 「君は去っていくから」 (Let’s talk about love)

ジャン・ジャック・ゴルドマンは、現代フランスでもっとも好まれる作詞・作曲家・歌手。
彼は素晴らしい歌をたくさん発表しているが、1988年の« Puisque tu pars »は、その中でも最高のものの一つ。

曲の内容は、コンサートの最後になかなか別れを告げられない観客に、ゴルドマンが語り掛けるもの。別れは決して悲しく辛いだけだけではなく、別れることが、他のところで別の出会いを見出す機会でもあるという。
歌詞はとても詩的で最初はよくわからないかもしれないが、何度も何度も曲を聴くと、忘れられないものになってくる。

ここで紹介する演奏は、2002年のコンサート・ツアーUn tour ensembleのフィナーレで歌われたもので、ゴルドマンはこのツアーを最後にコンサートを行っていない。その意味でも、« Puisque tu pars »に最も相応しいヴァージョンだといえる。

Puisque tu pars  君は去っていくから

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宮沢賢治 銀河鉄道の夜 ほんとうの幸

『銀河鉄道の夜』が読者に伝えるメッセージの中心は、「本当の幸せとは何か?」という問題に絞られる。

その問いに対して、その作品以前にも賢治がしばしば導き出したのは、世界を救うため、あるいは他者の幸福のためであれば、自分を犠牲にし、死に至ることもいとわない、というものだった。

例えば、「グスコーブドリの伝記」は自己犠牲の物語であり、主人公グスコーブドリは、イーハトーブの深刻な冷害の被害をくい止めるようとし、火山を人工的に爆発させ、高温のガスを放出させて大地を温めるため、最後まで火山に残り、自分の命と引き換えに人々の生活を救う。

しかし、自分を犠牲にして人あるいは世界を幸福にするという考え方は、現代社会を生きる人間には違和感がある。人のために死んだら、何にもならない。その上、近親者や友人達は深い悲しみに襲われるだろう。そんな幸福は、自己満足ではないのか?

ザネリを助けるために溺れてしまったカムパネルラは、銀河鉄道の列車の中で、「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸わいになるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」とジョバンニに問いかける。
そして、ジョバンニが、「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」と応えると、カムパネルラの方では、「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」と言葉を続ける。

『銀河鉄道の夜』中で、この会話に対する明確な答えが提示されてはいない。
そこで、「自己犠牲」や「いいこと」には明確な答はなく、「いいこととは何かを考える続けること」が賢治の考える人間のあり方である、といった解説をすることもある。
こうした読解であれば、現代の読者にも受け入れられやすいに違いない。

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宮沢賢治 銀河鉄道の夜 すきとおった世界

宮沢賢治(1896-1933)は生前2冊の本しか出版していない。一冊は詩集『春と修羅』、もう一冊は童話集『注文の多い料理店』。どちらも大正13年(1924年)のことだった。
その同じ年に、結局未完のままで終わった「銀河鉄道の夜」 も書き始められた。

その時期は賢治の創作活動が最も活発な時であると同時に、彼の世界観が「心象スケッチ」や物語の形で美しく表現されていた。

その世界観は、『注文の多い料理店』の「序」では、子どもにも理解できるやさしい言葉で告げられる。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
(中略)
わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

ここでは、「すきとおった」という言葉が最初と最後に出てくることに注目しておきたい。その言葉は、賢治の世界がその本来の姿を現すことを示すマジック・ワードなのだ。

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ジャン・ジャック・ベネックス監督の死

2022年1月13日、ジャン・ジャック・ベネックス監督が75歳で死去した。
そのニュースを伝えながら、「ル・パリジアン」では監督のキャリア全体を振り返っている。
https://www.leparisien.fr/culture-loisirs/disparition-le-realisateur-jean-jacques-beineix-est-mort-a-75-ans-14-01-2022-ZZS4VRXLCVGSFIAN3MMEUV27YU.php

ベネックス監督の代表作「ディーバ(Diva)」はスタイリッシュでとにかく格好よく、「ベティ・ブルー(37°2 le matin)」は激しい情熱恋愛(パッション)が全てを美しく燃焼する映画だった。

ディーバ Diva ジャン・ジャック・ベネックス監督のスタイリッシュな傑作
ベティ・ブルー 37º2 Le Matin 激しく美しい愛の物語
この二つの作品は、いつ見ても、素晴らしい。

2022年1月15日 モリエール生誕400年

モリエールは、1622年1月15日に生まれ。2022年1月15日は、彼の生誕400年にあたる。
そのことは文化省(Ministère de la Culture)のホームページにも記され、今年一年、モリエール関係の様々な催しが予定されている。
https://www.culture.gouv.fr/Actualites/400e-anniversaire-Moliere-notre-contemporain

フランスでは今でもモリエールの芝居が数多く上演され、400年前に書かれた言葉のまま人々に理解され、親しまれている。
1622年と言えば、日本では江戸時代の初期。当時の言葉は今では理解が難しいことを考えると、現代のフランス語が17世紀にほぼ出来上がっていたことが理解できる。

また、一人の作家が大きなイベントとして扱われることは、文化(culture)が現在でもフランス社会の中で意義を保っていることを示しているといってもいいだろう。

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コロナウイルスのデータを客観的に提示する

コロナウイルスに関して、感染者の数だけが一人歩きすると思われる状況も見られる。フランスでは、ギヨーム・ロジエ(Guillaume Rozier)というエンジニアが、Covid Trackerというサイトを立ち上げたおかげで、誰でもすぐに客観的なデータで状況を確認することができる。
https://covidtracker.fr/covidtracker-world/

2021年1月12日のQuotidienでは、ギヨーム・ロジエのインタヴューがあり、フランスでも役所がデータを出したがらない現状が語られる。その一方で、オミクロンに関する客観的なデータをグラフの形で見ることができる。

Jeudi, les enseignants seront dans les rues pour protester contre le protocole sanitaire mis en place dans les établissements scolaires. Mais ils ne sont pas les seuls à critiquer la politique du ministre de l’Éducation, Jean-Michel Blanquer. Guillaume Rozier, fondateur de Covid Tracker, outil devenu indispensable au suivi de l’épidémie de Covid en France, utilisé aussi bien par les particuliers que par les médecins et même les membres du gouvernement, en fait partie. Pour cause, depuis plus d’un an, pour affiner ses statistiques, Guillaume Rozier réclame au gouvernement les chiffres des écoles. En vain.

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パリ コンコルド広場のオベリスク Obélisque de la Concorde à Paris

コンコルド広場のオベリスクに新たな装飾が施されている機会に、オベリスクの歴史やそれにまつわるエピソードを紹介している。

Tout ce que vous ignoriez sur l’Obélisque de la Concorde

Avant d’accueillir les JO de 2024, la place de la Concorde offre un petit coup de jeune à son célèbre obélisque. L’édifice, offert par l’Égypte en 1830, est actuellement en cours de rénovation, l’occasion pour Ambre Chalumeau de nous en dire un peu plus sur ce monument que tout le monde connaît, mais dont personne, à part Stéphane Bern peut-être, ne sait rien.

Ultracrépidarianisme (信頼に足る知識がないにもかかわらず、自分の意見を主張すること) 「私は医師ではないけれど、でも・・・」

コロナの流行以来、フランスでも、専門家ではない人々が、メディアで、「私は医師ではないけれど、しかし・・・。」と言いながら、自分の意見を大きな声で主張する傾向がしばしば見られる。
そうした現象をフランス語では、Ultracrépidarianismeと言うらしい。

ces experts autoproclamés du Covid portent un nom

« Je ne suis pas médecin, mais… » : cette phrase, on l’entend partout à longueur de journée depuis le début de la pandémie. Sur les chaînes d’infos, les réseaux sociaux, au travail et même en famille. En revanche, le phénomène semble avoir fait son temps dans les discours politiques.
En 2020, au tout début de la pandémie, chacun y allait de son avis, avec plus ou moins de succès. C’est peut-être ça qui les a poussés à à l’humilité.

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ボードレール 人工楽園 Baudelaire Paradis artificiels 主観と客観の一体化

ボードレールの『人工楽園』は、人を酔わせる物質、ワイン、ハシッシュ、アヘンによる幻覚作用が心身に及ぼす効果について詳細に描いているのだが、その中心にあるには、「私」という主体が、対象となる客体と一体化する経験だといえる。

私たちでも、ある機会に何かに没頭して、我を忘れる時がある。その時には、「私」が何かをしているという意識もないし、対象となるものに対する意識もない。それは忘我の状態であり、時間意識も空間意識もなく、その状態が終わった後で、夢中になっていたとか、あっという間だったとか思い返し、最高に幸せな体験として感じることになる。

酒や麻薬は、忘我とはいえないが、意識が飛んで自分を失った状態を、物質によって人工的に作り出す可能性がある。ボードレールにとっての最高の手段は「詩(ポエジー)」であるが、薬物の作用を分析することは、最高の「酔い」である「恍惚(エクスターズ)」を理解する助けだったと考えていいだろう。

「私」と「客体」が一つになると感じられる体験に関して、『人工楽園』の中では、二つの箇所で触れられている。

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