ポンペイ遺跡の新たな発見 Des trésors du Pompéi découverts lors du confinement

コロナウィルスによる外出禁止令のため、ポンペイの遺跡からもほとんど観光客がいなくなった。その間に発掘が進み、新たな発見があったというニュース。ポンペイ遺跡の美を私たちも再認識することができる。

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モンテーニュ 全ては変化する 2/2 旅の思考と人生という旅の記録

モンテーニュの『エセー』は3巻107章から成る膨大な書物だが、テーマもバラバラだし、章の長さもバラバラで、一貫性があるようには思えない。
尾も頭もなく、どこで切っても、それぞれの断片が独自に存在しうるような印象を与える。(ボードレールが散文詩集『パリの憂鬱』に付した序文に記されているように。)

実際、『エセー』を先頭のページから順番に読む必要はないし、一つの章でさえ、気になる文に出会えば読書を止め、自分なりの考えや夢想にふけってもいい。
モンテーニュ自身、愛読書を横に置き、その時その時に思いついたことを書き綴ったに違いない。

そうした中で、『エセー』を貫く姿勢があるとしたら、全ては動き、変化するという認識であり、そのことは旅行に関する姿勢によっても象徴される。
「空しさについて」(III, 9)と題された章の中で、彼はこう言う。

私が旅行を計画するのは、旅先から戻ってくるためでもないし、旅をやり遂げるためでもない。動くのが気持ちがいいと感じる間、自分を動かしておこうとするだけである。

モンテーニュは、普段の生活の中でも、読書の際にも、様々な考察を書き綴る時にも、「動き」に身を任せる「旅の思考」に従っている。

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モンテーニュ 全ては変化する 1/2 動く「私」を吟味(エセー)する

ミッシェル・ド・モンテーニュは16世紀後半、フランスが宗教戦争によって大混乱している時代、人間のあり方について新しい視点から考察した思想家。
彼の著作『エセー』は、ルネサンスの時代精神が変化し、調和した円が楕円へと形を変え始めた時代の精神を反映している。

円から楕円に。その変形は、芸術的な次元では、ルネサンス的美からバロック的な美への移行を表す。バロックとは「歪んだ真珠」の意。

Bernini, Le Rapt de Proserpine

建築でも絵画でも、視覚は永遠を捉えた静止を理想とするのではなく、躍動感を求め始める。対比が生まれ、明暗が強調され、感情表現が強く打ち出される。
音楽でも、調和を重視したポリフォニーから、感情を込めて歌詞を歌うモノフォニーに移行した。世俗的なシャンソンやマドリガーレだけではなく、宗教的なモテットでも、同様の傾向が見られるようになる。

ルネサンスにおいて「人間の価値」が発見され、その価値は理想像として表現された。ラブレーの「テレームの僧院」に見られるユートピアがその例といえる。
バロックの時代には、刻々と過ぎ去る時間の中の人間と世界の動きに焦点が当てられる。

そうしたバロックへの移行が始まりつるある時代、モンテーニュは、彼自身を実験材料に使い、「人間の変わりやすさ」が引き起こす様々な現象を考察し、思いついたことを書き記した。『エセー』はその記録だといえる。

テーマは多岐に渡る。悲しみ、噓、恐怖、幸福、友情、想像力、節制、教育、異文化(新大陸)、運命、孤独、睡眠、言葉の虚しさ、匂い、祈り、年齢、酩酊、良心、親子の愛情、虚栄心、信仰、怒り、後悔、人相、経験、等々。

「私は存在(être)を描かない。私は移り変わり(passage)を描く。」というモンテーニュが、こうした諸問題について行った考察は、21世紀の読者にとっても大変に魅力的だ。
彼は答えを教えてくれるのではない。読者が自分で考えるように導いてくれる。

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ピエール・ド・ロンサール ルネサンスの抒情詩と天球の音楽 2/2

ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)の大きな功績は、ルネサンスの時代に、新しい形の抒情詩を導入し、定着させたことだった。
すでに記したように、抒情詩(poésie lyrique)とは本来、lyre(竪琴)の伴奏で歌われることを前提にしており、音楽的な要素が強いもの。ロンサールの抒情詩は、感情の動きを伝える詩であると同時に、声に出して歌われることも多かった。

実際、1552年の『恋愛詩集(Les Amours)』には、クレマン・ジャヌカンやピエール・セルトンといった優れた作曲家による楽譜が付けられていた。
1560年代からはロンサールの詩に曲を付けることが盛んに行われ、何人かの作曲家はロンサールの詩だけを集めた曲集を発表した。オード「可愛い人よ、見に行こう、バラの花は」も、ギヨーム・コストレーやジャン・ド・カストロたちによって作曲されている。
結局、1570年代を頂点に16世紀末まで,約30人の作曲家がロンサールの200篇以上の詩に曲を付けることになった。

こうした音楽的な側面は、ルネサンスの時代精神と深く関係していた。
人間が奏でる音楽の理想は、「天球の音楽」の「模倣」であり、天空の純粋な諧調(ハーモニー)を地上に響かせることだったと考えられるからである。

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ピエール・ド・ロンサール ルネサンスの抒情詩と天球の音楽 1/2 フランス語の擁護と顕揚

ピエール・ド・ロンサールは、16世紀フランスにルネサンス文化が開花した時代に活躍した詩人。
1550年頃に人文主義者や詩人たちで形成された「プレイアッド派」と呼ばれるグループを主導、フランス語の充実と新しいタイプの詩の確立に力を尽くし、「詩人たちの王」と呼ばれるほど絶大な人気を博した。

1524年に生まれたロンサールは、フランソワ1世の治世(1515-1547)に青春時代を送り、実際に活動を始めたのはアンリ2世の時代(1547-1559)。イタリアから移入されたルネサンス文化がフランスに根付き、一つの頂点を迎えようとしていた。
その象徴ともいえるのが、アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエ。
王が彼女に与えたシュノンソー城、彼女を描いたフォンテーヌブロー派の絵画、それらの洗練された美が、国力の充実と上昇した文化水準をはっきりと示している。

今の日本では、ピエール・ド・ロンサールという名前は、バラの品種として知られている。
その名称は、彼の最も有名な詩「可愛い人よ、見に行こう、バラの花は(Mignonne, allons voir si la rose)」に由来する。

そのバラの花に見られるような優雅で上品な美しさを持つロンサールの詩は、とりわけ音楽的な要素によって、ルネサンス文化の大きな花の一つになった。

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フランソワ・ラブレー ルネサンス的理想の人間像を求めて 3/3 教育と自由

『第二の書 パンタグリュエル物語』(1532)には、ガルガンチュア王がパリにいる息子パンタグリュエルに送った手紙(第8章)が挿入され、フランス・ルネサンス期の教育論を代表するものと考えられている。
知識が人格形成につながる人文主義的な思想に基づく教育によって、父は息子に理想の人間像を伝える。

面白いことに、その後すぐ、パンタグリュエルは、アンチ理想像ともいえるパニュルジュに出会い、一生の友とする。
パニュルジュという名前はギリシア語で「どんなことでもする、意地悪」を意味し、トリックスターのような存在を暗示している。

『第一の書 ガルガンチュア物語』(1534)になると、パニュルジュの役割はある意味では修道士ジャンに引き継がれ、物語の最後、ユートピアである「テレームの僧院」が彼に与えられる。

唯一の規則が「欲することを行え。」という僧院は、人文主義を代表するエラスムスや『ユートピア』の著者トマス・モーアの理想ともつながる。
そうした空間がジャンという破天荒な修道士に与えられることは、ラブレーにおいて、滑稽さや遊びの精神も理想郷に含まれることを示している。
そこでは、「自由」が全ての根本に置かれる。

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フランソワ・ラブレー ルネサンス的理想の人間像を求めて 2/3 アレゴリー

フランソワ・ラブレーは、『第一の書(ガルガンチュア物語)』(1534)の最初に「前書き」を付け、ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語の読み方を指定している。

最初に、プラトンの対話編『饗宴』を取り上げ、アルキビアデスがソクラテスについて、見かけと違い、自制心と勇敢さを持っていたと褒め称えたことを思い出させる。
そして、外見と中身の対比を、「シレーノスの箱」に喩える。その箱の表には他愛のない絵がたくさん描かれているが、中には貴重な香料が入っている。

この部分は、エラスムスの『格言集』に含まれる「アルキビアデスのシレーノス」を参照している。シレーノスとは、小さな木でできた醜い笛吹きの彫像。しかし、中を開けて見ることができ、神の像が姿を現す。
ソクラテスも姿形は醜いが、しかし最高の賢者である。

ラブレーは、こうした外見と内実の対照について語った後、骨を見つけた犬の例を取り上げる。
その犬は、熱心に骨を砕き、ほんの僅かしかない滋味豊かな髄を食べる。

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フランソワ・ラブレー ルネサンス的理想の人間像を求めて 1/3

15世紀半ば、ジャンヌ・ダルクの出現によって百年戦争が終わりを迎えた後、16世紀に至り、フランスはルネサンスの時期を迎える。
フランソワ・ラブレーは、まさにその時期の時代精神を体現した作家である。

彼の代表作『パンタグリュエル物語』と『ガルガンチュア物語』は、巨人の王様親子を中心にした荒唐無稽な物語が表の顔。しかし、内部には人文主義的思想を包み込んでいる。
そのために、私たち読者に、人間のあり方、教育、理想の社会、自由など、様々な問題について考えるきっかけを与えてくれる。

実際、ラブレーはフランス文学史の中でも大作家として認められ、500年近く経った現在でも数多くの読者を獲得している。

日本では、大江健三郎が師匠と仰ぐ渡辺一夫が、16世紀の思想や文学について行った優れた研究を土台にして、『パンタグリュエルとガルガンチュア物語』全五巻の翻訳を出版した(1941-1975)。
ただし、ラブレーの多様で難解な言語をそのまま反映した渡辺の翻訳は、素晴らしい力業であるが、現代の日本人には理解が難しい。
幸い、宮下志朗による新訳がちくま文庫から出版されているので、最初は宮下訳から読む方がラブレーの世界に入りやすい。

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イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン It’s only a paper moon

” It’s only a paper moon”は、1973年にアカデミー賞を受賞した映画「ペーパー・ムーン」の中で使われ、忘れられない曲になった。
もともとは、1933年に上演されたブロードウェイの芝居のためにハロルド·アーレンが作曲し、エドガー・”イップ”・ハーバーグとビリー・ロウズが歌詞をつけた曲。

人気のある曲だけに多くのジャズ演奏家が取り上げているが、最初に聞きたいのは、ナット・キング・コールがトリオで演奏したもの。
ナット・キング・コールの歌声はメロディアスで、明るく、聞く者を楽しい気分にさせてくれる。

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江戸時代前期 浮世の絵画 — 菱川師宣 尾形光琳 英一蝶

英一蝶 布晒舞図(部分)

1603年に徳川家康が江戸に幕府を開いて以降、社会が安定するに連れて高級商人たちの台頭が見られ、17世紀後半から18世前半の元禄時代(1688−1704)に至り、文藝、絵画など多方面で文化的な開花が見られた。
井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門、菱川師宣、尾形光琳。こうした名前を挙げるだけで、日本の文化において、この時代の果たした役割の大きさがわかるだろう。

当時の時代精神を一言で言えば、「浮世への道」と言っていいかもしれない。

戦国時代が終わり、江戸幕府の幕藩制度が強化されていく。幕府の将軍がそれぞれの藩主と主従関係を結ぶ封建制度の中で、将軍が大名を支配する構図が出来上がる。
その主従関係を絶対的なものとする思想は、家康・秀忠・家光・家綱という4代の将軍に仕えた林羅山の朱子学だった。
彼の学説を簡単に要約すれば、理論的には天を助けることが人の道であり、実践道徳としては、将軍と大名、親と子といった上下関係、士農工商という身分制度の維持こそが社会の安定を保証するというもの。理性が情欲を支配することを理想とした。

そうした朱子学の禁欲的で、義理を重視し、社会秩序の維持を担う儒教思想が表の顔だとすると、その裏にもう一つの面があった。それは、人情を尊び、人間としての感情に流されながら、快楽を求める感性。
建前は建前としながらも、本音で生きることに喜びを感じることで、日々の生活を「憂世」から「浮世」へと変えようとする。そうした精神性が、17世紀を通して強まっていった。

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