
宮沢賢治の「やまなし」は、小学校の国語の教科書に採用されている作品である。しかし、教える側からは、「難しい」「よくわからない」教材だという声が少なくない。
物語は、幻燈機から映し出された二枚の青い映像によって構成されている。最初の場面は五月、次の場面は十二月である。いずれも、川の底に暮らす二匹のカニの兄弟と、その父親との会話を中心に描かれる。
五月の場面では、前半で「クラムボン」をめぐるやり取りが交わされ、後半では、一匹の魚が何かを捕らえ、その魚が今度は鳥に捕らえられるという出来事が話題になる。
十二月の場面では、成長したカニの兄弟が泡の大きさを競い合い、続いて、川へ落ちてきた果物の「やまなし」を追いかける親子のやり取りが描かれる。

物語の筋だけを追えば、「やまなし」はきわめて簡潔な作品である。それにもかかわらず、なぜ教師たちにとって手強い教材となるのだろうか。
ここでは、その理由を、従来とは少し異なる視点から考えてみたい。








