日本的感性は、超越性を求めず、現世的、日常世界的であり、四季の変化に敏感に反応する。
そうした感性が定式化され表現された一つの形が『古今和歌集』だとすると、その歌集に収められた和歌を詠った貴族たちが生活する住居や庭園は、もう一つの美の形だといえる。

平安時代後期に描かれた『源氏物語絵巻』の「鈴虫1」を、復元された絵で見てみよう。
上からの視線にもかかわらず室内が見え、庭には水が流れ、秋の野原の草花が描かれている。
日本的感性は、超越性を求めず、現世的、日常世界的であり、四季の変化に敏感に反応する。
そうした感性が定式化され表現された一つの形が『古今和歌集』だとすると、その歌集に収められた和歌を詠った貴族たちが生活する住居や庭園は、もう一つの美の形だといえる。

平安時代後期に描かれた『源氏物語絵巻』の「鈴虫1」を、復元された絵で見てみよう。
上からの視線にもかかわらず室内が見え、庭には水が流れ、秋の野原の草花が描かれている。
平安時代の時間意識に関して言えば、人間は自然の一部だという意識と並行関係にある。
人々は、仏教に帰依し、死後に極楽浄土に行くことを理想としたわけではない。
ヨーロッパにおいてのように、理想を永遠に求めることはしなかったということになる。
逆に、たとえこの世が煩悩や汚れに満ち、苦の娑婆だとしても、移り変わり儚い時間の中に美を見出した。
在原業平の歌には、そうした時間意識がよく現れている。
濡れつつぞ しひて折りつる 年のうちに 春はいくかも あらじと思へば
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平安時代は総合芸術の時代だといえる。
貴族たちは、書院造りの住居に住み、内部に置かれた障子や屏風に描かれた絵画に囲まれて日々を過ごした。その絵画は、和歌を素材にして描かれるものもあれば、逆に絵画を題材とした和歌も作られた。
室内では、美しい装束を纏い、仮名による物語が語られ、歌合、絵合等の遊びが行われる等、耽美主義的な生活が繰り広げられた。
10世紀以降になると、大陸文化の和様式化が進み、京都という閉鎖された空間で、少数の貴族達が宮廷生活を送る中、新しい美の感受性が確立していったと考えられる。
そうした中で、905年に、後醍醐天皇の勅令により紀貫之たち編者が編集した『古今和歌集』は、大きな役割を果たした。
ここでは、和歌を通して見えてくる人間と自然の関係について考えてみよう。

日本の文化は、古墳時代から江戸末期まで、大陸文化の圧倒的な影響の下にあった。文藝にしても、建築、彫刻、絵画といった視覚表現にしても、モデルとなる理想像は常に大陸にあった。
それが変化したのは、明治維新以降、ヨーロッパのモデルが移入されてから。
それ以前は、6世紀半ばの仏教伝来から数えるだけでも、約1300年の間、日本の目指すべき高度な文化と見なされたものは、大陸文化だった。
そこで注目したいことは、大陸から移入された文化はほぼ完全に日本化され、日本文化の本質を形成する主要成分になっていることである。
ヨーロッパ文化が輸入されてからすでに150年以上経つが、日本文化に完全に溶け込んだとは言えず、舶来品の印がついていることが多い。(ただし、洋服や住居はかなり溶け込んでいるといえる。)
大陸文化が日本で受容され、日本文化の一部と見なされている例を幾つか見ていこう。
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18世紀後半を代表する文学者ジャン・ジャック・ルソーは、『告白(Confessions)』の中で、これまで誰もしたことがない新しい試みをすると宣言する。
その試みとは、自己を語ること。
もちろん、それまでに回想録は数多くあったし、私的な自己を語るというのであれば、モンテーニュの『エセー』も同じだった。
では、ルソーは何をもって、新しい試みと言うのだろうか。
ルソーは、彼の自己(moi)は、誰とも違っていると言う。
現代では、「私」は他の人とは違う唯一の存在と考えるのが普通だが、彼以前には他者と同じであることが「私」の価値であり、違う私に価値を見出すことはなかった。
そして、ルソーの言う「人とは違う私」の中心は「私の内面」。
彼は、個人の価値を、社会的な役割ではなく、心が感じる感情に置いた。
現代の私たちの価値観ではごく当たり前になっていることの始まりが、ルソーの『告白』にあるといっても過言ではない。
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1580年、モンテーニュは、『エセー(Essais)』の最初に「読者へ(Au lecteur)」と題した前書きを付け、自分について語ることが16世紀にどのような意味を持っていたのか、私たちに垣間見させてくれる。
現在であれば、自己を語ることはごく当たり前であり、日本には私小説というジャンルさえある。
それに対して、モンテーニュは、自己を語ることの無意味さを強調する。
そして、彼が書いたことは彼自身のことなので、他人が読んでも時間の無駄だと、読者に向かって語り掛ける。
出だしから、読むなと言われれば、読者は当然読みたくなる。
次の時代のパスカルも、18世紀のルソーもモンテーニュの熱心な読者だし、現代のフランスでも読者の数は多い。
16世紀のフランス語は現在のフランス語とはかなり異なっているので、多少綴り字などを現代的にしたテクストで、「読者へ」を読んで見よう。
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現代の日本人が美しいと感じる美意識の原型は、平安時代に成立したのではないかと考えられる。
日本は、古墳時代からすでに中国大陸の影響下にあったが、6世紀(538年頃)に仏教が伝来して以来、圧倒的な大陸文化の影響下に入った。
奈良時代、法隆寺、薬師寺などの仏教建築、『古事記』『日本書紀』『万葉集』等の文字による文化的表現も、確かにある程度日本的な受容の形を示している。しかし、次の時代の美意識とは断絶があると考えられている。
平安時代、とりわけ9世紀末(894年)に遣唐使が廃止されて以降、大陸との交流が限定的となり、大陸文化の和様式化が大きく進展した。
そうした中で、現在の私たちがごく自然に感じる四季の移り変わりに対する繊細な感受性、もののあわれに美を感じる心持ち、穏やかで調和の取れた美の嗜好等が生み出されていった。
京都の貴族たちが、寝殿造りの建物の中で、『古今和歌集』『枕草子』『源氏物語』を楽しんだ時代。平等院鳳凰堂は地上に出現した浄土(極楽)ともみなされる。
こうした状況は、12世紀の終わりに源頼朝が鎌倉幕府を開いた時代に、次の段階を迎える。
平安時代の末期に始まった宋との貿易の再開、禅宗の定着等により、新しい時代の美意識が誕生し始める。象徴的に言えば、寝殿の自然を模した庭園が枯山水へと変化する。

17世紀のフランスにおいて、想像力(imagination)は、人を欺く悪いものだと考えられていた。
例えば、ブレーズ・パスカルは『パンセ(Pensées)』の中で、「人間の中にあり、人を欺く部分。間違いと偽りを生み出す。(C’est cette partie décevante dans l’homme, cette maîtresse d’erreur et de fausseté […]. B82)」とまで書いている。
ラ・フォンテーヌは、わかりやすい寓話の形で、その理由を教えてくれる。
その寓話とは「影のために獲物を逃す犬(Le Chien qui lâche sa proie pour l’ombre)」。
獲物(proie)が実体(être)、影(ombre)が実体の映像=イメージ(image)と考えると、イメージを作り出す力である想像力(imagination)が、人を実体から遠ざけるものと考えられていた理由を理解できる。

猫は人間にとってとても近い動物なので、様々な文学作品に出てくる。
ラ・フォンテーヌの寓話の中にも、「女に姿を変えた雌猫(La Chatte métamorphosée en femme)」がある。
この寓話は、イソップの「猫とヴィーナス」が下敷きになっている。
猫が若い素敵な男性に恋をした。そこで、ヴィーナスに自分を人間の女に変えてくれるようにとお願いした。ヴィーナスはその願いを承知すると、彼女を美しい娘に変えてやった。
こうして若者は、娘に一目惚れすると、彼女を家に連れ帰ってお嫁さんにした。ヴィーナスは姿を変えたネコが、性質も変わったかどうか知ろうとして、二人が寝室で横になっているところにネズミを放した。今の自分をすっかり忘れてしまったネコは、ネズミを食べようと寝椅子から跳ね起きネズミを追い掛けた。ヴィーナスはこの様子に大変失望して、ネコをもとの姿に戻した。
悲しいことだが、生まれ持ったものは変えられない。
この話をラ・フォンテーヌはどのように変形し、17世紀のサロンや宮廷のエスプリに溢れたものにしたのだろうか。
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