マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 3/7

Filippo Lippi, Fête de Herode

8行目の詩句の最後の4音節は、次の行に移る。
芝居のセリフではよくあるが、マラルメはその技法によって、« Par quel attrait »というキーになる詩句を、目に見える形で強調する。

Par quel attrait
Menée et quel matin oublié des prophètes
Verse, sur les lointains mourants, ses tristes fêtes,
Le sais-je ? tu m’as vue, ô nourrice d’hiver,
Sous la lourde prison de pierres et de fer
Où de mes vieux lions traînent les siècles fauves
Entrer, et je marchais, fatale, les mains sauves,
Dans le parfum désert de ces anciens rois :
Mais encore as-tu vu quels furent mes effrois ?

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 2/7

マラルメは、「エロディアード」を、ミロのヴィーナスやダヴィンチのモナリザに匹敵する美を持つ作品にまで高めることを望んだ。
そのために、様々な技法をこらし、言葉の意味だけではなく、言葉の姿や音楽性も追求した。

「序曲」が原稿のままで留まったのに対して、「舞台」は『現代高踏派詩集』上で発表された。とすれば、「舞台」はマラルメの自己評価をある程度まで満たしていたと考えてもいいだろう。

「エロディアード 舞台」では、乳母(la nourrice)を示す N.、エロディアード(Hérodiade)を示す H. による対話形式、12音節の詩句が、演劇や詩の伝統の枠組みの中にあることを示している。

そうした伝統に則りながら、その中で新しい詩的言語によるシンフォニー的な作品を生み出すことが、マラルメの目指すところだった。

N.

Tu vis ! ou vois-je ici l’ombre d’une princesse ?
À mes lèvres tes doigts et leurs bagues, et cesse
De marcher dans un âge ignoré…

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マラルメ 「エロディアード 舞台」 Mallarmé « Hérodiade Scène » 言語と自己の美的探求 1/7

Gustave Moreau, Apparition

1860年代、ステファン・マラルメはボードレールの影響の下で詩作を続けながら、エロディアード(Hérodiade)をめぐる詩「エロディアード 舞台」と、未完に終わった「序曲」の執筆を通して、自らの詩の本質について問い詰め、「無(le Néant)に出会い、美(le Beau)を見出した。」という一つの結論に至る。

この考え自体、理解するのが難しい。
そして、実際に出版にまで至った「エロディアード 舞台」の詩句を理解するのも、同じように難しい。

その一方で、詩句は音楽的で、非常に美しい。
次の時代にギュスターブ・モローによって描かれた、サロメが予言者ヨハネの首を指さす、あの「出現(Apparition)」のように美しい。(1876年作)

マラルメは、この詩を1864年10月に書き始め、『現代高踏派詩集』の第二版に掲載するために出版社に送られる1869年まで、続けられたのかもしれない。

その長い推敲と執筆の期間の間に、精神の危機と呼ばれる時期を迎え、苦労に苦労を重ねて、134行に及ぶ詩句を書き上げた。

執筆を開始した時期と終わった時期では、マラルメの思考にも変化もある。
だが、エロディアードと格闘することで、「マラルメはマラルメになった」とさえ言える作品であることは間違いない。

マラルメの詩は感性を動かし、読者を感動させるものではない。しかし、ただ知的で理論的な構築物でもない。
マラルメは、言語と自己の探求を通して、詩としての「美」を生み出そうとした。
「エロディアード 舞台」は、その詩的出来事の、一つの成果にほかならない。

第1回目では、詩を理解するための前提となる、マラルメの言語と自己に関する思索と詩作について考えていく。

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ハイドン パリ交響曲 Haydn Symphonies parisiennes 古典的様式の完成

ハイドンの交響曲第82番から87番までの6曲は、パリ交響曲と呼ばれている。
名前の由来は、パリにある大編成のオーケストラの団体コンセール・ド・ラ・オランピックから注文を受けて、1785年から86年にかけて作曲したことによる。

6曲の中から、「王妃」という副題がついている第85番を聞いてみよう。
マリー・アントワネットがこの曲を気に入ったため、「王妃」と名付けられたという逸話がある。
豪華さを感じるために、現代のオーケストラ、レオナール・バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニーの演奏で。

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ジャズ クラシックをノン・ストップで 

自宅で仕事をするとき、BGMをかけている人も多いだろう。
そんな時、ジャズやクラシックを無料で聞き続けられるサイトがある。
ジャンル別だったり、楽器別、作曲家別など、自分の好みで選ぶことができる。

ジャズ
https://www.jazzradio.com/#popular

クラシック
https://www.classicalradio.com/#popular

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ハイドン 円熟期の交響曲 ザロモン・セット

初期のハイドンの交響曲は、小編成で、まだなんとなく室内楽の雰囲気を残している。
https://bohemegalante.com/2020/03/27/haydn-premieres-symphonies/

それに対して、ハイドンが1791年にロンドンに渡り、それ以降に作曲した交響曲は、40人から60人の、かなり大きなオーケストラ編成になっていたという。

1791年から1795年の間に作曲された「ザロモン・セット」から、幾つかを聞いてみよう。
初期の室内楽的な雰囲気ではなく、モーツアルトやベートーヴェンの交響曲に繋がる曲になっている。

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フランスのニュースが紹介する、コロナウィルス対策下の日本の状況 L’état d’urgence sans le confinement au Japon

2020年4月11日、TF1 20 hのニュースで、コロナウィルス対策下の日本の状況を紹介していました。

https://www.tf1.fr/tf1/jt-we/videos/letat-durgence-sans-le-confinement-au-japon-80937231.html

日本はフランスと比べて感染率が10分の1程度で、その理由を日本の文化に求めています。
人と人の距離が遠いこと。(ビーズも握手もしない。)
全てが清潔なこと。等。

最初に日本に対する先入観があり、その視線を通して現実を見ていることがわかります。

ラ・フォンテーヌ 「樫と葦」 La Fontaine « Le Chêne et le Roseau » 自信と知恵

ラ・フォンテーヌの寓話の中でも、「樫と葦(Le Chêne et le Roseau)」は最高傑作の一つと言われている。
樫は、その姿通り、堂々とした話し方をし、自信に満ちあふれている。
それに対して、葦は、柔軟な考え方を、慎ましやかだけれど、少し皮肉を込めた話し方で表現する。


ラ・フォンテーヌと同じ17世紀の思想家パスカルは、「人間は葦である。自然の中で最も弱い存在だ。しかし、考える葦である。(L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature; mais c’est un roseau pensant.)」と言った。
自分の弱さを知ることが人間の偉大さだと、パスカルは考えたのである。

では、ラ・フォンテーヌは、葦を主人公にしたイソップ寓話を語り直しながら、何を伝えているのだろうか。

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虫めづる姫君 風の谷のナウシカの祖先?

平安時代後期に成立したと考えられている『堤中納言物語』に「虫めづる姫君」という短編物語が含まれている。

誰もが蝶や花を愛する中で、主人公の姫君は毛虫や気味の悪い昆虫を愛している。そのために、親からも、求婚者となりうる男からも、お付きの侍女たちからも、変な娘とみられている。

しかし、そんなことは一向に気にせず、平安時代の宮廷風俗を一切受け入れない。彼女には彼女の理屈があり、それを曲げようとはしない。

ジブリ・アニメに出てくる風の谷のナウシカは、この虫めづる姫君をモデルの一人にしている。実際、彼女はオウムの子どもを大切にし、誰もが恐れる毒のある花をこっそりと栽培している。

現代のような個性を重視する時代ではなく、社会的な規範がとりわけ重視された時代に、蝶ではなく、毛虫を愛する姫君の物語が、何を主張しているのだろう。

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