ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 2/5 写真的詩の上にクソを垂れる

「花について詩人に伝えること」の第2セクションを構成する九つの4行詩では、前のセクションに続けて、ロマン主義詩人たちの末裔にあたる詩人たちが批判の対象になる。
その中には、高踏派詩人の一人になりたいと望んだ一年前のランボー少年自身も含まれると考えてもいい。

実際、アルシッド・バヴァの詩句には、以前にランボー少年が綴っていた青春の息吹に満ちた若々しい詩句はなく、ほどんど意味不明と言わざるを得ない内容になっている。
そうした詩句の中で、これまでの詩の本質を端的に表す言葉が取り上げられる。
その言葉とは、「写真家(photographe)」。
第2セクションを通して、その意味と意義を解明していきたい。

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言葉の誤解や行き違い

母語であれば誰でも読むことができるし、書くことができる。毎日会話をしているし、スマートフォンやパソコンに向かい文字を書いたり、メモを手書きで書くこともある。
読むことも書くことも、ごく当たり前の行為にすぎない。

しかし、自分の伝えたい内容が相手にそのまま理解されない経験は誰にでもあるだろうし、読んだ内容に関して人によって理解が違うという経験もある。
外国語であれば、自分の語学力不足を理由にすることができるが、母語となるとそうも言えない。

自分の言ったこと、書いたことが相手にうまく理解されなかったり、逆に相手の意図が理解できず、誤解することがあるとしたら、どこに問題があるのだろう?

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デイヴィッド・ホックニー  現代の色彩画家

1937年にイギリスで生まれたデイヴィッド・ホックニー(David Hockney)は、現在、フランスのカルヴァドスで活動を続け、ipadで絵画を描くこともあるという。
今回の紹介する映像では、ホックニーの生涯、作品、書籍について大まかに見ることができ、現代の色彩画家が生み出す世界に入るための第一歩になる。

ランボー 花について詩人に伝えること Arthur Rimbaud Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs 1/5 ロマン主義を浣腸する

「花について詩人に伝えること(Ce qu’on dit au poète à propos de fleurs)」は、ランボーが新しい時代の詩はどのようにあるべきかを語った、詩についての詩。

第1詩節は、ロマン主義を代表するラマルティーヌの「湖(Le Lac)」のパロディー。
しかも、ランボーらしく、読者を憤慨させるか、あるいは大喜びさせるような仕掛けが施されている。

Ainsi, toujours, vers l’azur noir
Où tremble la mer des topazes,
Fonctionneront dans ton soir
Les Lys, ces clystères d’extases !

意味を考える前に、「湖」の冒頭を思い出しておこう。

Ainsi, toujours poussés vers de nouveaux rivages,
Dans la nuit éternelle emportés sans retour,
Ne pourrons-nous jamais sur l’océan des âges
Jeter l’ancre un seul jour ?

こんな風に、いつでも、新たな岸辺に押し流され、
永遠の夜の中に運ばれ、戻ることができない。
私たちは、決して、年月という大海に、
錨を降ろすことはできないのか。たった一日でも。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

「こんな風に、いつでも(Ainsi, toujours)」と始まれば、当時の読者であれば誰もがラマルティーヌのパロディーであると分かったはずである。
ランボーはその後もロマン主義的な語彙を重ねるが、最後は音による言葉遊びをし、とんでもないイメージで詩節を終える。

こんな風に、いつでも、黒い紺碧の方へ、
そこではトパーズの海が震えている。
その方向に向かい、夜の間に機能するのは、
「百合の花」。恍惚感を吐き出させる浣腸。

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ノートルダム大聖堂 修復にともなう再発見 Redécouverte de Notre-Dame de Paris

2019年4月の火災から一年半以上が過ぎ、パリ・ノートルダム大聖堂の修復が進んでいるが、その工事に伴い、これまで見ることができなかった様々な部分の再発見があるといういう。

https://www.tf1.fr/tf1/jt-we/videos/vitraux-orgue-sculptures-la-redecouverte-de-notre-dame-94258735.html

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ネルヴァルの宗教的・哲学的思想 Une pensée religieuse et philosophique de Gérard de Nerval

とても残念なことに、ジェラール・ド・ネルヴァルという作家は日本でもあまり知られていず、紹介される場合があったとしても、狂気と幻想の作家とか神秘主義などというレッテルが貼られてしまう。
そのために、最初から色眼鏡をかけて読まれることになり、現実を描写した美しい文章で綴られた作品でさえも、複雑でわからないとか、意味不明などという感想を持たれたりする。

彼の作家としての実像は、現実に興味を持ち、その時々に話題になっていることを取り上げ、ユーモアと皮肉を交えて機知の利いた話にする名手だった。
しかし、何度か狂気の発作に襲われたことがあり、最晩年にはその時の体験記的な物語を公表し、最後はパリの場末で首を吊って死んでしまったために、夢と狂気の作家に祭り上げられてしまうことになった。

そうしたことのもう一つの理由は、彼の思想が「超自然主義(surnaturalisme)」と呼ばれる傾向のものであり、現実主義的、合理主義的、実証主義的思考から見ると、非理性的だと見なされること。
「超自然主義」自体は、ロマン主義の時代には多くの文学者に共有されたものであり、とりわけ不思議なものではないし、古代ギリシアから連綿と続く伝統に基づいている。
しかし、精神病院に入れられた事実やギュスターブ・ドレの版画に見られる自死の怪しげなイメージといった要素が相まって、夢と狂気の作家というレッテルが形成されていった。

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コルトレーンとハートマン John Coltrane and Johnny Hartman ゆったりとした幸福感に満ちたジャズ

「ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマン」に収められた6曲全てで、コルトレーンのテナー・サックスの深い響きがハートマンの歌声を優しく包み込み、1963年の発売以来すでに60年近く経っているにもかかわらず、全く古びた感じがしない。いつ聴いても、美しさが心を穏やかな音の波で包み込む。

どの曲を聴く時も、コルトレーンが・・・とか、ハートマンが・・・とか言わず、ただただ穏やかな音楽の世界に浸りたい。すると、ゆったりとした幸福感が心の中に湧き上がってくる。

They Say It’s Wonderful

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フロベール 『ボヴァリー夫人』 Flaubert Madame Bovary エンマとロマン主義

 『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』は1852年から1856年まで書き継がれたが、この時期は、ロマン主義から写実主義、象徴主義、モデルニテへと向かう転換期にあった。

 そうした芸術観の転換を象徴的に表すのが、1857年の『ボヴァリー夫人』と『悪の華(Les Fleurs du mal)』の裁判。フロベールの小説とボードレールの韻文詩集が、公衆道徳に反するという理由で裁判にかけられ、詩集の方は有罪になった。

 興味深いことに、二人の作家は、出発点では19世紀前半に主流だったロマン主義に深く傾倒していた。その後、ロマン主義を内部から解体することで、新しい芸術観を創造していった。

ボードレールに関しては、美術批評「1846年のサロン」の中で、「ロマン主義とは何か?」という問いかけを行い、そこからモデルニテのコンセプトとなる概念を発展させた。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

フロベールは、『ボヴァリー夫人』の中で、エンマの少女時代がロマン主義一色だったことを示し、その中に皮肉な視線を溶け込ませる。そのことによって、ロマン主義文学の概略を素描し、その上でほころびを作り出し、エンマの運命がロマン主義の行き着く先と重なり合う前兆とする。

注意しておきたいのは、フロベールの小説家としての姿勢。
彼は、語り手として物語の中に介入し、登場人物の心の中や様々な状況を説明することをほとんどしない。ただ淡々と出来事を物語っていく。
出来事の意味を読み取るのは読者の役割なのだ。
ただし、時に、こっそりと彼の視点を示し、読者の読み方に対して指針を示すことがある。

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サン=テグジュペリ 星の王子さま Saint-Exupéry Le Petit Prince apprivoiserの実践練習

「星の王子さま」の中で、王子さまがキツネから教えてもらう最も大切な秘密は、apprivoiserという言葉で表される。
日本語にピッタリする言葉がなく、「飼い慣らす」「手なずける」「仲良しになる」「なじみになる」「なつく、なつかせる」等々、様々な訳語が使われてきた。

日本語を母語とする私たちと同じように、王子さまもapprivoiserがどういうことかわからず、キツネに質問する。
キツネの答えは、「絆を作ること(créer des liens)」。
そして、意味を説明するだけではなく、王子さまに次のように言い、apprivoiserの実践練習をしてくれる。

– S’il te plaît… apprivoise-moi ! dit-il.

「お願い・・・、ぼくをapprivoiserして!」 とキツネが言った。

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フロベール 純な心 Gustave Flaubert Un cœur simple 卓越した散文

フランス語を勉強したら、フランス語で会話をするだけではなく、文学作品を原文で読んでみたいという気持ちが自然に湧いてくる。
そんな時、質が高く、しかも読みやすい作品として最初に推薦できるのが、ギュスターブ・フロベールの「純な心(Un cœur simple)」。

小説としての素晴らしさは言うまでもないが、フロベールの散文は、端切れのいい言葉の塊が、リズム感よく続く。
フランス語を前から順番に読んでいくと、単語さえ知っていれば、自然に意味が頭に入ってくる。

他にも数多くの優れた小説家がいるが、フロベールほどクリアーでありながら工夫に富み、言葉によってもう一つの現実世界を作り上げた作家はいないと思われるほど、卓越した散文を紡ぎ出した。

「純な心」は中編小説であり、一つの作品をフランス語で最初から最後まで読み通すためにも、最適な長さ。
しかも、内容が素晴らしい。
事件らしい事件は何も起こらないのだが、オバン夫人(Mme Aubain)の女中フェリシテ(Félicité)の姿を通して、人間の心の持つ素直さ、単純さ、純粋さ、そして神秘性が描き出されていく。

まず、冒頭の一節(Incipit)を読んでみよう。

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