
ジョルジュ・サンドは、『コンシュエロ』の中で、18世紀のイタリア音楽を3つの角度から取り上げている。
宗教音楽としては、マルチェロの賛美歌、第18番。
世俗音楽の中で、テクニックが優先される例としては、ガルッピの「悪魔のような女」のアリア。
主人公コンシュエロの音楽的才能を発揮させる例としては、ヨンメッリの「捨てられたディド」。
youtubeでそれらの曲をたどっていくと、サンドの案内で18世紀イタリア音楽に入門するような感じがする。
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ジョルジュ・サンドは、『コンシュエロ』の中で、18世紀のイタリア音楽を3つの角度から取り上げている。
宗教音楽としては、マルチェロの賛美歌、第18番。
世俗音楽の中で、テクニックが優先される例としては、ガルッピの「悪魔のような女」のアリア。
主人公コンシュエロの音楽的才能を発揮させる例としては、ヨンメッリの「捨てられたディド」。
youtubeでそれらの曲をたどっていくと、サンドの案内で18世紀イタリア音楽に入門するような感じがする。
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ポール・クローデルは、1923年、日光で、日本の学生達に向けた講演を行った。その記録が、「日本の魂を一瞥する(Un regard sur l’âme japonaise. Discours aux étudiants de Nikkô)」として、『朝日の中の黒い鳥(L’Oiseau noir dans la soleil levant)』に収められている。
彼の日本に対する観察眼は大変に優れたもので、日本人として教えられることが多い。その中でも、日本的な美として二つの流れを感じ取り、ヨーロッパ人にはわかりにくい美を具体的に解説している部分はとりわけ興味深い。
一つの流れは、浮世絵に代表されるもの。
もう一つは、高価な掛け軸としてクローデルが分析の対象としているもの。


ポール・クローデルは、優れた日本文学論「日本文学散歩(Une promenade à travers la littérature japonaise)」の冒頭で、2つのフランス詩を、極東精神の精髄を感知するための序曲として引用している。
一つがステファン・マラルメの「苦い休息にうんざり(Las de l’amer repos)」。
https://bohemegalante.com/2019/08/27/mallarme-las-de-lamer-repos/
もう一つがポール・ヴェルレーヌの「カエルのように重く、鳥のように軽い(Lourd comme un crapaud, léger comme un oiseau)」。
この二つの詩を比較して、クローデルは、マラルメの詩は古典的で完璧な手さばきを示している一方、ヴェルレーヌは走り書きで、より大きな自由が感じられると言う。
「カエルのように重く、鳥のように軽い」では、奇数の音節が詩句から重さを取り除いている。奇数の音節と軽さは、「詩法」の中でヴェルレーヌ自身によって主張されていた。
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/
その上で、最後の詩句が17音節と特別に長く、それが詩人のサインの役目を果たしていると、クローデルは考える。
ポール・クローデルが、優れた日本文学論「日本文学散歩(Une promenade à travers la littérature japonaise)」の冒頭で、2つのフランス詩を、極東精神の精髄を感知するための序曲として引用している。
一つがステファン・マラルメの「苦い休息にうんざり(・・・)」。
もう一つがポール・ヴェルレーヌの「カエルのように重く、鳥のように軽い(Lourd comme un crapaud, léger comme un oiseau)」。
https://bohemegalante.com/2019/08/28/verlaine-ourd-comme-un-crapaud-leger-comme-un-oiseau/
ここでは、マラルメの「苦い休息にうんざり」を読んでみよう。
この詩は最初1866年に『高踏派詩集(Le Parnasse contempoarin)』に出版され、それまでの詩から、彼が目指す新しい詩への転換点を示していた。
クローデルは、その新しい詩を宣言する詩句だけを引用し、東洋精神、日本文学の序章として相応しいと考えた。
従って、19世紀後半のフランス詩と東洋的精神の間に何らかに関係を読み取ることもできるだろう。
1820年代、ヨーロッパでは、オスマン帝国からの独立を宣言したギリシアへの関心が高まり、多くの芸術家の関心をかき立てた。
その代表の一つが、ドラクロワの1824年の作品「キオス島の虐殺」や、1826年の「ミソソンギの廃墟に立つギリシア」である。


1828年には、ヴィクトル・ユゴーも『東方詩集(Les Orientals)』を出版する。「夢想(Rêverie)」は、その詩集に収められている。
ユゴーは一度もオリエントを訪れたことはなく、詩集の中では知識と想像力によって作り挙げられたイメージが繰り広げられる。
「夢想」はその原理を読者に明かし、現実とイマジネーションの関係を垣間見させてくれる。
ヴィクトル・ユゴーは降霊術に凝っていて、回るテーブルを囲み、霊とモールス信号のような交信をしていたことが知られている。
「影の口が言ったこと」 の影の口(la bouche d’ombre)というのは、その霊の口だろう。
ユゴー自身のイメージでは、ドルメンなのかもしれない。彼が描いた絵が残っている。


「この花をあなたのために摘みました」(« J’ai cueilli cette fleur pour toi… »)は、ヴィクトル・ユゴーが愛人のジュリエット・ドルエに捧げた詩。
詩の最後に、「サーク島、1855年」と記されているが、原稿は1852年の日付があり、詩の背景となったのは、ユゴー一家が亡命したばかりのジャージー島だと思われる。
ユゴーは、その島の中を散策し、海に突き出た岬で見つけた花を詩の中心に据え、ジュリエットへの愛を歌った。
その詩の中で描かれる自然は、ユゴーの世界観を密かに垣間見させてくれる。
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1802年に生まれ、1885年に死んだヴィクトル・ユゴーは、19世紀の大半を生き、『ノートルダム・ド・パリ』や『レ・ミゼラブル』といった小説だけではなく、数多くの芝居や詩を書き、フランスの国民的作家・詩人と考えられている。
「若い時の古いシャンソン(Vieille chanson du jeune temps)」は、1856年に出版された『瞑想詩集』に収められ、1820年代に始まったフランス・ロマン主義に基づきながら、その終焉を告げ、新しい時代の感性を示している。
また、その詩の中では自然が恋愛と関連して重要な役割を果たしているが、その感性は、日本的な自然に対する感性とはかなり違っている。自然を巡る二つの感性を知る上でも、「若い時の古いシャンソン」は興味深い詩である。
続きを読む1887年に出版された「純粋なその爪が」(«Ses purs ongles»)には、それ以前に書かれた原形の存在が知られている。
1868年7月、友人のアンリ・カザリスに宛てて送られた、「それ自身の寓意的ソネ」(« Sonnet allégorique de lui-même »)である。
実際、二つの詩の間では共通の単語が用いられ、構文が類似している詩句もある。しかし、その一方で、違いも大きい。
マラルメの初期の時代の詩法を知り、後期の詩法との違いを知ることは、19世紀後半のフランス詩全体の動きを知る上でも興味深い。
幸い、1867年の詩に関しては、マラルメのいくつかの証言が残されている。それに基づきながら、彼が何を考え、どのように表現したのか、探っていこう。
続きを読むマラルメの詩は難しくて、何を意味しているのかわからないことが多くある。
その一方で、声に出して読むと、大変に美しい。
この特色は、一つの視点から見ると、日本の書道に似ている。
しばしば書いてある文字が何を意味しているのか分からない。
しかし、文字の映像としては、とても美しい。

例えば、平安時代に流行した和歌集冊子「西本願寺本三十六人家集、源重之集」の一部を見てみよう。
四季の草花や風景を繊細に描いた文様を施された料紙に、仮名文字で和歌が綴れている。
えだわかぬ はるにあへども むもれ木は
もえもまさらで としへぬるかな
現代の私たちはこの仮名文字をほぼ読むことができないが、とても美しいと感じる。意味でははく、文字の造形性が、美を生み出している。
マラルメの詩句では、文字の映像ではなく、音楽性が美を生み出す主要な要素として機能する。
こうした美のあり方を前提にして、マラルメが自己の詩法を表現したと見做される、YX(イクス)のソネ「純粋なその爪が」の読解にトライしてみよう。
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