ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 4/7

第4部では、驚くべき旅行者たちが航海で見た光景が次々に語られていく。

IV
« Nous avons vu des astres
Et des flots ; nous avons vu des sables aussi ;
Et, malgré bien des chocs et d’imprévus désastres,
Nous nous sommes souvent ennuyés, comme ici.

                「私たちは見た、星を、
波を。私たちは見た、砂も。
数多くの衝突と予見できない災難に出会ったのに、
私たちは何度も退屈した。ここでと同じように。

現実は退屈だ。だから、幻影的な国や輝く楽園を目指して旅立つ。
従って、星や波や砂に出会う素晴らしい旅であり、予期しないアクシデントがある旅だとしても、退屈する。

Gustave Courbet, Le Bord de mer à Palavas ou L’Artiste devant la mer
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ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 3/7

第3部には、驚くべき旅行者と私たちという二つの系列の旅行者が現れる。その区別は、すでに旅をした人々と、これから旅を志す人間(私たち)の違いである。

III

Etonnants voyageurs ! quelles nobles histoires
Nous lisons dans vos yeux profonds comme les mers !
Montrez-nous les écrins de vos riches mémoires,
Ces bijoux merveilleux, faits d’astres et d’éthers.

驚くべき旅人たちよ! どんなに高貴な物語を、
私たちは君たちの目の中に読み取ることだろう。海のように深い目の中に!
見せてくれ、君たちの豊かな記憶の宝石箱を、
星と天空のエーテルでできた、素晴らしい宝石を。

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日本における自然観と美意識 もののあわれ

日本的な感性は自然の移り変わりに敏感であり、春は桜を楽しみ、秋は紅葉に感嘆する。その際、桜や紅葉がいつまでも咲き続けることを望むのではなく、それらが束の間の美であることに強く心を動かされる。

ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ 

『古今和歌集』に収録された紀貫之のこの和歌は、桜の花と人の心の対応、過ぎ去る時間に対する意識、和歌全体を貫くしみじみとした抒情性など、日本的な美意識の一つの型を見事に表現している。

まず最初に、平安時代までに成立したと考えられるこうした美意識の基底には、どのような自然観があるのか考えてみよう。

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ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 2/7

第二部では、目的のない旅が、現実と理想の狭間にあり、深淵に呑み込まれる危険を含んだものであることが示される。

II

Nous imitons, horreur ! la toupie et la boule
Dans leur valse et leurs bonds ; même dans nos sommeils
La Curiosité nous tourmente et nous roule,
Comme un Ange cruel qui fouette des soleils.

Fernand Léger, Composition à la toupie

私たちは模倣する、なんと恐ろしいことか! 独楽や鞠が
ワルツを踊り、飛び跳ねるのを。夢の中でさえ、
「好奇心」が私たちを苦しめ、転がす、
残酷な天使が、太陽たちをむち打つように。

どこといって向かう先があるわけではなく、ただ出発することだけが目的であるとき、旅はたとえ先に進むように見えても、同じ輪の中を回転しているだけになる。独楽や鞠がその場で回転し、跳ねているように。

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ボードレール 「旅」 Baudelaire « Le Voyage » 新しい詩への旅立ち 1/7

「旅(Le Voyage)」は、1861年に出版された『悪の華(Les Fleurs du mal)』第二版の最後を飾る詩であり、詩集の最終的な帰結を示している。
ちなみに、最初に発表されたのは、1859年4月10日の『フランス・レヴユー(Revue française)』誌。

4行詩36詩節で構成され、全部で144行。『悪の華』の中で、最も長い詩になっている。

幸いyoutubeには、ファブリス・ルキーニの朗読がアップされているので、(最初は2分20秒くらいから。)、素晴らしい朗読を耳にすることができる。

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中世における日本文学の輝き

フランス文学と比較して、日本の中世文学がいかに優れたものだったか、年代を追って見ていくと驚くしかない。

日本の最初の歴史書である『古事記』が成立したのは、712年と言われている。天武天皇の命令で、稗田阿礼が誦習したものを、太 安万侶が書き記したと、序に記されている。

720年には『日本書紀』が編纂され、759年になると、『万葉集』が成立する。

その時代、フランスはまだ国として存在していなかった。そのことに気づくだけでも驚くのではないだろうか。

800年に戴冠したカール大帝の死後、フランク王国が3分割され、その中の西フランク王国がフランスの国土の基本的な部分を形成することになる。
987年に西フランク王国が断絶し、パリ伯ユーグ・カペーがフランス王となり、フランス王国が成立する。

フランス語が成立するのもその間であり、842年、西フランク王国のシャルル2世と東フランク王国ルートヴィヒ2世が締結した「ストラスブールの誓い」の中で初めて、現在のフランス語のベースとなる古フランス語が確認されてると言われている。
従って、当時、フランス語で書かれた文学など考えようもなかった。

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詩は世界を美しくする  ネルヴァル ボードレール 村上春樹 ビリー・ホリデー

詩は世界を美しくする。

芸術家、詩人は、自分の世界観(ボードレールの言葉では「気質」tempérament)に従って、作品を生み出す。
私たちは、その作品に触れることで、芸術家の世界観に触れ、感性を磨いたり、彼等のものの見方、感じ方を身につけることができる。

詩においても、そのことを具体的に体験することができる。

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ボードレール 「腐った屍」 Baudelaire « Une Charogne » 奇妙な恋愛詩

ボードレールの「腐った屍(Une Charogne)」は、とても奇妙な恋愛詩。

恋人と二人で道を歩いているとき、一匹の動物の腐った死骸を見る。蛆がたかり、肉体は崩れかけている。
そのおぞましい光景を描きながら、愛の歌にする。

どうしてそんなことが可能なのだろう?

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ボードレール 「秋の歌」 Baudelaire « Chant d’automne » 中間の時としての秋

Sisley, Vue de Louveciennes en automne

ボードレールが歌う秋は、夏と冬の間にある中間の時。

夏の厳しい光の名残りに別れを告げながら、それと同時に、暗い冬が迫ってくる予感がする。

皮肉屋で繊細な詩人ボードレールは、そんなどっちつかずの時の不思議な感覚を綴り、愛する女性への愛の言葉とする。

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ヴェルレーヌ 落葉 「秋の歌」 Verlaine  « Chanson d’automne » 物憂い悲しみ

日本におけるヴェルレーヌのイメージは、上田敏による「落葉(らくよう)」の翻訳によって決定付けられているといってもいいだろう。その翻訳は、上田敏作の詩と言っていいほどの出来栄えを示している。

秋の日の/ヰ゛オロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し。
鐘のおとに/胸ふたぎ/色かへて/涙ぐむ/過ぎし日の/おもひでや。
げにわれは/うらぶれて/ここかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉かな。

この翻訳の素晴らしさが、日本における「秋の歌」の人気の秘密であることは間違いない。しかしそれと同時に、ヴェルレーヌの詩が、『古今和歌集』の詠人知らずの和歌のように、「もののあわれ」を感じさせることも、人気の理由の一つではないだろうか。

秋風に  あへず散りぬる  もみぢ葉の  ゆくへさだめぬ  我ぞかなしき 

フランス語を少しでもかじったことがあると、これほど素晴らしい詩がフランス語ではどうなっているのだろうと興味を持つことだろう。
もちろん、ヴェルレーヌの詩も素晴らしい。

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