シャルル・ペロー 「赤ずきんちゃん」 Charles Perrault « Le Petit chaperon rouge » 子ども用の昔話 2/3

Le Nain, Christ enfant méditant sur la croix de Rouillac

赤ずきんちゃんは狼と話をするのが危険だとは知らず、素直な受け答えをする。

La pauvre enfant, qui ne savait pas qu’il était dangereux de s’arrêter à écouter un Loup, lui dit :
« Je vais voir ma mère-grand, et lui porter une galette avec un petit pot de beurre, que ma mère lui envoie.

可哀想な子供は、足を止めて狼の言葉に耳を傾けるのが危険だと知らなかったので、こう答えた。
「おばあちゃんに会いに行くの。ガレットをバターの小さな壺と一緒に届けるの。母さんが持っていけって。」

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チャップリン 「街の灯」 Charlie Chaplin City lights 映画を名作にするもの 

チャーリー・チャップリンの「街の灯(City Lights)」は、1931年の初演以来、名作中の名作として90年近くの間、人々を楽しませ続けている。

白黒で無声。それだけで、古いとか、分かり難いと思ってしまうかかもしれないが、全くそんなことはない。
むしろ、カラー作品ではなく、無声だからこそ、映画の最も基本的な要素を浮かび上がらせる。そして、それぞれの要素の質の高さが名作映画を作るのだ、ということを教えてくれる。

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シャルル・ペロー 「赤ずきんちゃん」 Charles Perrault « Le Petit chaperon rouge » 子ども用の昔話 1/3

赤ずきんちゃんの物語は誰でも知っている。
しかし、その話が世界で最初に活字になったのはルイ14世の時代のフランスだった、ということはあまり知られていない。

フランスに古くから伝わる民話を、パリのサロンやヴェルサイユ宮殿の貴族の娘たち向けに語り直したのは、シャルル・ペロー(Charles Perrault)。

ペローの「赤ずきんちゃん(Le Petit chaperon rouge)」では、物語は、狼が赤ずきんを食べたところで終わる。
狩人が現れ、狼のお腹の中から赤ずきんちゃんを助け出される結末は、19世紀前半にドイツのグリム兄弟が付け足したもの。

結末の違いは、物語が伝えるメッセージに関係する。
ペローでは、最後に教訓(moralité)が付けられ、読者として対象にするのは誰か、物語から何を学ぶできかが、明らかにされている。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「10月の夜」ユーモアと皮肉 Gérard de Nerval « Les Nuits d’Octobre » humour et ironie 4/5

「10月の夜」の第4回目の記事。
「イリュストラシオン」誌の1852年11月6日に掲載された。

語り手は、場末のパリを離れ、郊外の町モー(Meaux)に向かう。そして、その夜、奇妙な出し物を見たおかげで、とても変な夢を見る。
回廊を歩き回ったり、モーの市長が出てきたり、ドイツ風の土の精霊達が彼の頭蓋骨をハンマーで叩いて、分解したり・・・。つじつまが合わない夢が続く。
翌朝5時に目を覚まし、ホテルを出て、マルヌ川沿いの景色を眺めながら、前夜のことを考えたりする。

「10月の夜」は、レアリスムを標榜し、目に入るものをそのまま描くだけで、結末のある物語を語らないというのが、最初の原則だった。
ネルヴァルは、ユーモアと皮肉を込めながら、その実践をしていく。

夢はもともと脈絡がなく、何が起こってもいいし、意味がわからない。
実は、現実も本来は夢と同じようにただ出来事が続いていくだけなのだが、私たちは無意識のうちに脈絡や整合性を作り挙げて、何となく理解している。
ネルヴァルの実験は、そうした現実や夢を、あるがままに記述していくことにあった。
従って、読んでいて、何を意味しているのかわからなくなることがある。しかし、それがネルヴァルの「10月の夜」における戦略。
読者は、彼の言葉遊びやユーモアを持った語りに、にやっと笑ったり、多少困惑しながら、ついていくしかない。

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ラシーヌ 『フェードル』 Racine Phèdre 理性と情念の間で 3/3

イポリットは、フェードルの言葉を誤解したふりをして、その場を立ち去ろうとする。

      HIPPOLYTE.

Madame, pardonnez : // j’avoue, en rougissant,
Que j’accusais à tort // un discours innocent.
Ma honte ne peut plus // soutenir votre vue ;
Et je vais…/

      イポリット

奥様、申し訳ございません。告白いたします、赤面しながら。
私は、間違えて、罪のないお言葉を非難してしまいました。
恥ずかしく、もう、あなた様の眼差しを耐えることができません。
私はこれから・・・。

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ラシーヌ 『フェードル』 Racine Phèdre 理性と情念の間で 2/3

第2幕、第5場は、フェードルがイポリットに自分の愛を明かす場面。
義理の親子の関係にあるために、直接愛を告げることはできない。そこで、フェードルは、夫テーセウス(thésée)に対する愛を語りながら、そこにイポリットへの想いを重ね合わせていく。

幸い、パロリック・シェロー演出の上演がyoutubeにアップされている。
そこでは、フェードルの苦しみが激しく、しかも美しく描かれている。
素晴らしい芝居なので、何度見ても飽きることがない。

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ネルヴァル 「監獄の中庭」 Gérard de Nerval « Cour de prison » 監禁の中で自然を感じる感受性

ジェラール・ド・ネルヴァルは19世紀前半のパリの詩人だが、豊かな自然に満ちたヴァロワ地方を愛し、都会の喧噪で疲れた心を田舎の自然で癒すこともあった。

そんな詩人の若い頃の詩に、「監獄の中庭(Cour de prison)」がある。
1830年の7月革命のすぐ後、サント・ペラジー(Sainte-Pélagie)という監獄の中に閉じ込められた時のことを歌った詩。
ネルヴァルという詩人の繊細な感受性がとてもよく感じられる。

現実世界の政治に対しては皮肉な眼差しを投げかける。肉体は閉鎖空間に閉じこもることを強いられることもある。
そんな中でも、精神は自由に動き、僅かな自然の気配を心で感じる。
それがネルヴァルなのだ。

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ラシーヌ 『フェードル』 Racine Phèdre 理性と情念の間で 1/3

ジャン・ラシーヌ(Jean Racine)の『フェードル(Phèdre)』は、17世紀フランス演劇の最高傑作の一つ。
この上もなく美しいフランス語の詩句によって、理性と情念の葛藤が描き出される。

そこで、『フェードル』を読む場合には、2つの軸からアプローチしたい。
1)17世紀のおける理性(raison)vs 情念(passion)のドラマ。
2)ラシーヌの韻文詩の美。

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パリの北 エルムノンヴィルの森とシャーリの僧院 Ermenonville et l’abbaye de Chaalis

2020年5月20日、France 2の20時のニュースで、エルムノンヴィルの広大な緑の森や、シャーリの僧院が紹介されていました。ジャン・ジャック・ルソーが最後の時を迎えた小さな小屋も見ることができます。

France : le charme de la forêt d’Ermenonville

https://www.francetvinfo.fr/sante/maladie/coronavirus/france-le-charme-de-la-foret-dermenonville_3971965.html

950 amendes ont été infligées à ceux qui s’étaient éloignés à plus de 100km de leurs domiciles, mardi 19 mai. Le 20 Heures fait le pari de faire découvrir des destinations et ballades près des grandes villes.

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ラ・フォンテーヌ 狼と小羊 La Fontaine  Le Loup et l’Agneau 長いものには巻かれろ?

ラ・フォンテーヌの「狼と小羊」の冒頭の一句 « La raison du plus fort est toujours la meilleure.»(最も強いものの理屈が常に最もいいもの。)は、フランス語の諺として定着している。

日本の諺では、「長いものには巻かれろ」と言われることが多いが、「勝てば官軍、負ければ賊軍」、「弱肉強食」等とも対応する。
相撲界であれば、「無理へんにげんこつ」。
会社などでは、上司に「黒いものを白」と言われたら、「白」と言わないといけない等々。
間違っていることでも、自分よりも強かったり、上の立場にいる人間の言うことには従わないといけないということは、誰もが経験する。

17世紀であれば、狼はルイ14世で、子羊は宮廷人と考えると、私たちにはわかりやすいかもしれない。(ただし、ラ・フォンテーヌは、すぐに王に対する批判だとわかる寓話を書くようなそれほど単純な作家ではない。)

そうした状況の中で、ラ・フォンテーヌは、とても面白い試みをする。
一般的に寓話の教訓は、物語の最後に置かれる。
それに対して、「狼と小羊」では、寓話の最初に教訓を明記した。

Le Loup et l’Agneau

La raison du plus fort est toujours la meilleure :
            Nous l’allons montrer tout à l’heure.

狼と子羊

最も強いものの理屈が、常に最もいいものだ。
これからそのことを証明することにする。

それほど、この教訓は絶対的なものという意味だろうか。
それとも、何か繊細な仕組みがほどこされているだろうか。

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