ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その6 自省の時

第18詩節から第21詩節までの4つの詩節では、「ぼく=酔いどれ船」がどのような存在であるのかが、”moi”という言葉を先頭にして示される。

第18詩節

Or moi, bateau perdu sous les cheveux des anses,
Jeté par l’ouragan dans l’éther sans oiseau,
Moi dont les Monitors et les voiliers des Hanses
N’auraient pas repêché la carcasse ivre d’eau ;

続きを読む

ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その5 言葉で遊ぶ

幸福感

難破は悲劇だけれど、しかし、束縛から逃れ、自由になることでもある。疲れ果てることもあるが、美と遭遇し、癒やしを感じることもある。
第15詩節では、ランボーの筆から、肯定的な雰囲気を持つ言葉が数多く繰り出される。

J’aurais voulu montrer aux enfants ces dorades
Du flot bleu, ces poissons d’or, ces poissons chantants.
Des écumes de fleurs ont bercé mes dérades
Et d’ineffables vents m’ont ailé par instants.

続きを読む

ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 読み方の提案 その1

「酔いどれ船」の第1−14詩節、56行の詩句を読み、瑞々しさや素晴らしさを感じるだけではなく、難しさを感じているかもしれない。分からない、という感覚。
そこで、旅の中間地点で一度船を止め、この詩の読み方について、いくつかの提案をしておきたい。

続きを読む

ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その4 疾走する言葉たち 

大海原の牛の群れとマリア

第10節が幸福感を漂わせていたとすると、第11詩節では岩礁が現れ、大海原も喘ぎ、航海の困難が感じられる。

第11詩節

J’ai suivi, des mois pleins, pareille aux vacheries
Hystériques, la houle à l’assaut des récifs,
Sans songer que les pieds lumineux des Maries
Pussent forcer le mufle aux Océans poussifs !

続きを読む

ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その3 見者のヴィジョン

第6−7詩節において、「ぼく=酔いどれ船」は「海という詩」を航海していることが明かされた。そこで示されたのは、新しいポエジーの定義。錯乱とリズムを中心に、青を基調として赤茶色が配色された。

第8詩節から第10詩節になると、「見る」という言葉を中心に、「ぼく=酔いどれ船」が航海する間に見たと思われるものが描かれる。

続きを読む

ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その2 詩の大海原

「詩は絵画のように」から詩の大海原へ

Willam Turner, Calais Pier

第1−2詩節では、酔いどれ船(私)が、「大河」を自由に下ることになったいきさつが明らかにされた。

第3−5詩節になると、船は河から海に出、海岸近くから沖へと流されていく。

ランボーはその様子をナレーションで語るのではなく、イメージを連ね描いていく。

その手法は、ut pictura poesis(詩は絵画のように、絵画は詩のように)と言われる、詩に関するローマ時代からの考え方を思わせる。

続きを読む

ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » その1 自由への旅立ち

ランボーの「酔いどれ船」は傑作と言われ、パリのサン・シュルピス教会のすぐ横にある壁には、100行の詩句全部が書かれている。

しかし、意気込んで読んでみても、難しくて理解できないところが多い。
この詩のどこに、多くの読者を惹きつける魅力があるのだろう。

今から、4行詩が25節続く詩の大海原に、船を漕ぎだしてみよう。

続きを読む