パリから電車で約2時間のところに、ランボーの故郷シャルルヴィルがある。
現在はシャルルヴィル=メジエール市。
電車を降りると、詩人の胸像がすぐに見えてくる。

ポール・ヴェルレーヌとのスキャンダルもあり、生前や死の直後はシャルルヴィルの恥だと考えられていた「呪われた詩人」が、今ではフランス最高の詩人の一人として、市の誇りなのだ。
続きを読むパリから電車で約2時間のところに、ランボーの故郷シャルルヴィルがある。
現在はシャルルヴィル=メジエール市。
電車を降りると、詩人の胸像がすぐに見えてくる。

ポール・ヴェルレーヌとのスキャンダルもあり、生前や死の直後はシャルルヴィルの恥だと考えられていた「呪われた詩人」が、今ではフランス最高の詩人の一人として、市の誇りなのだ。
続きを読む
ネルヴァルは、「オーレリア」の冒頭で、夢の世界を、象牙あるいは角の扉によって現実世界から隔てられたもう一つの世界として描き出している。
闇の中で新しい光に照らされて浮かび上がるその世界は、劇場の舞台の上で芝居が始まる時のようでもある。
日本語に訳すのではなく、フランス語を前から辿っていくと、ネルヴァルの描く映像が目の前に展開するような印象を受ける。
Le Rêve est une seconde vie. Je n’ai pu percer sans frémir ces portes d’ivoire ou de corne qui nous séparent du monde invisible. Les premiers instants du sommeil sont l’image de la mort ; un engourdissement nébuleux saisit notre pensée, et nous ne pouvons déterminer l’instant précis où le moi, sous une autre forme, continue l’œuvre de l’existence. C’est un souterrain vague qui s’éclaire peu à peu, et où se dégagent de l’ombre et de la nuit les pâles figures gravement immobiles qui habitent le séjour des limbes. Puis le tableau se forme, une clarté nouvelle illumine et fait jouer ces apparitions bizarres : – le monde des Esprits s’ouvre pour nous.
朗読
http://www.litteratureaudio.net/mp3/Gerard_de_Nerval_-_Aurelia_Partie_1.mp3

第二段落では、舞台上の女優の姿が描き出されるが、それは決して客観的な描写ではなく、心の目で見た彼女の姿。
とりわけ、「夜のように青白い」に続く長い描写は、古代の遺跡に残された壁画を思わせ、ネルヴァルの筆が絵画を描いているように感じられる。
Je me sentais vivre en elle, et elle vivait pour moi seul. Son sourire me remplissait d’une béatitude infinie ; la vibration de sa voix si douce et cependant fortement timbrée me faisait tressaillir de joie et d’amour. Elle avait pour moi toutes les perfections, elle répondait à tous mes enthousiasmes, à tous mes caprices, — belle comme le jour aux feux de la rampe qui l’éclairait d’en bas, pâle comme la nuit, quand la rampe baissée la laissait éclairée d’en haut sous les rayons du lustre et la montrait plus naturelle, brillant dans l’ombre de sa seule beauté, comme les Heures divines qui se découpent, avec une étoile au front, sur les fonds bruns des fresques d’Herculanum !
朗読(1分09秒から)

ジェラール・ド・ネルヴァルの「シルヴィ」は、とても美しく音楽的な散文で綴られている。
とりわけ、冒頭の一節で描き出される劇場の様子は、21世紀のフランス語の文章構造と比較するとずいぶんと複雑で、わかりにくいと思われるかもしれない。
しかし、前から読み、ブロック毎に意味を理解していくと、情景が自然に心の中に浮かび、主人公の「私」と同じ感覚を味わっているような気持ちになる。
文章が複雑だと感じられる原因を探りながら、それが難しさではなく、文体上の工夫だとわかると、フランス語で文学作品を読む楽しみを感じることができるようになる。
Je sortais d’un théâtre où tous les soirs je paraissais aux avant-scènes en grande tenue de soupirant. Quelquefois tout était plein, quelquefois tout était vide. Peu m’importait d’arrêter mes regards sur un parterre peuplé seulement d’une trentaine d’amateurs forcés, sur des loges garnies de bonnets ou de toilettes surannées, — ou bien de faire partie d’une salle animée et frémissante couronnée à tous ses étages de toilettes fleuries, de bijoux étincelants et de visages radieux. Indifférent au spectacle de la salle, celui du théâtre ne m’arrêtait guère, — excepté lorsqu’à la seconde ou à la troisième scène d’un maussade chef-d’œuvre d’alors, une apparition bien connue illuminait l’espace vide, rendant la vie d’un souffle et d’un mot à ces vaines figures qui m’entouraient.
普段私たちは言葉を使ってコミュニケーションをしている。
その時に大切なことは、相手にこちらの意図が伝わること。その場その場で、最も状況に則した言葉を使い、できるだけクリアーに、誤解のないように話すことが求められる。
同じ言葉を使いながら、文学の言語は、違う役割を果たす。
作家が読者に意図を伝えるという構図は同じように見える。しかし、話し手と聞き手が共有している「状況」は存在しない。
コミュニケーション言語では、発話者と受信者が共有する場を前提にしているのに対して、文学言語では、その場が存在しない。
そのことが、芸術としての言葉のあり方と大きくかかわっている。

ラ・フォンテーヌの寓話は、素晴らしく効果的な韻文で書かれている。
音節数と韻の効果の他に、音色やリズムの変化が物語を効果的に盛り上げる。
その巧妙な技法を知ると、フランス語の詩の面白さを実感することができる。
日本でもよく知られている寓話「カラスとキツネ」(Le Corbeau et le Renard)を読みながら、韻文の面白さと素晴らしさを感じてみよう。
続きを読む神秘主義は、現実と超越的実在世界(「雌猫アカの世界」あるいは「生」そのもの)との特別な接触に由来するといってもいいだろう。
https://bohemegalante.com/2020/01/21/monde-selon-la-chatte-aka-mysticisme/
その体験が神話として語られる場合がある。
1)死と再生の神話。
2)陶酔とオルギア

2)陶酔とオルギア
陶酔状態においては、酒、薬物、愛欲などにより忘我(exase)の状態に入り、世界(他者)と私(自己)の自立性が消滅する。
宗教的な体験における、目に見えない超越的な存在と「私」との接触は、別の側面から見れば、「私」の存在を忘却することであり、自己からの解脱とも考えられる。
続きを読む神秘主義は、現実と超越的実在世界(「雌猫アカの世界」あるいは「生」そのもの)との特別な接触に由来するといってもいいだろう。
https://bohemegalante.com/2020/01/21/monde-selon-la-chatte-aka-mysticisme/
その体験が神話として語られる場合がある。
1)死と再生の神話。
2)陶酔とオルギアの神話。
この二系列の神話は、現実法則(時間の不可逆性、主体と客体の分離)を超越した出来事を、物語として言語化したものだといえる。
古代宗教の中には、それらの物語に基づいた儀礼を定式化したものもある。

1)死と再生
現実世界では、時間は時計によって計られ、決して後戻りはしないと見なされる。
それに対して、「アカの時間」あるいは、生そのものである今においては、時間を時間として感じることはない。それは瞬間でもあり、永遠でもある。
死と再生のつながりは、時間は決して戻らないという現実法則を超越する。
その意味で、時計の針の影が投影されていない生の時間(今=永遠)を思わせる。

アカは街角に住む雌の猫。
1月1日、「明けましておめでとう。」と新年の挨拶をする。すると、アカも「ニャア」と答えてくれる。
彼女も人間と同じように、元日の朝は普段より清々しく感じるのだろうか。
でも、アカにとっては、初日の出も、普段の日の出も特別な違いはないだろうなと、考え直す。
猫にカレンダーはないし、もしかしたら朝も昼も夜もないかもしれない。
あるのは、太陽の光の温かさ、空気の冷たさ、空腹等といった体感。近づいてくる人間や、一緒に街角にいる猫仲間に対する好き嫌いの感情。アカはとりわけ嫉妬深い。他の猫が撫でられていると、ひどく嫉妬し、猫パンチを繰り出す。
そんなアカの世界はどのようなものだろう。
続きを読むパリから50分ほど電車に乗ると、シャトーチエリ(Château Thierry)に着く。
そこはジャン・ド・ラ・フォンテーヌの生まれ故郷。
彼の生家は、今、博物館として開放されている。
https://www.museejeandelafontaine.fr/?lang=fr

博物館の中に入ると、寓話の世界にどっぷりと浸ることができる。
続きを読む