マラルメ YXのソネ 「純粋なその爪が・・・」  Mallarmé, Sonnet en YX  « Ses purs ongles … » マラルメの詩法(1/2)

マラルメの詩は難しくて、何を意味しているのかわからないことが多くある。
その一方で、声に出して読むと、大変に美しい。

この特色は、一つの視点から見ると、日本の書道に似ている。
しばしば書いてある文字が何を意味しているのか分からない。
しかし、文字の映像としては、とても美しい。

西本願寺本三十六人家集、源重之集

例えば、平安時代に流行した和歌集冊子「西本願寺本三十六人家集、源重之集」の一部を見てみよう。
四季の草花や風景を繊細に描いた文様を施された料紙に、仮名文字で和歌が綴れている。

えだわかぬ はるにあへども むもれ木は
もえもまさらで としへぬるかな

現代の私たちはこの仮名文字をほぼ読むことができないが、とても美しいと感じる。意味でははく、文字の造形性が、美を生み出している。

マラルメの詩句では、文字の映像ではなく、音楽性が美を生み出す主要な要素として機能する。

こうした美のあり方を前提にして、マラルメが自己の詩法を表現したと見做される、YX(イクス)のソネ「純粋なその爪が」の読解にトライしてみよう。

続きを読む →

Chûya Nakahara « Os »

De « Os », Kobayashi Hidéo, meilleur et pire ami de Chûya Nahahara, a fait un éloge et a affirmé que ce poème se compose uniquement de paroles de chant, dépouillé des artifices de la poésie moderne : combinaison compliquée d’images mentales, adjectifs de haute couleur, habile utilisation de mots particuliers et sensitifs, efforts pour saisir l’insaisissable, etc.

Ailleurs, Kobayashi disait que c’était un poème de la jeunesse, et non pas celui de l’enfance. 

続きを読む →

ランボー 「永遠」 Rimbaud « L’Éternité »

誰もが望みながら、どうやっても到達できない永遠。ランボーはその永遠を容易に見つけてしまう。
彼はいとも簡単に言う。「永遠がまた見つかった!」と。

1872年、彼はヴェルレーヌと一緒にあちこち放浪していた。
そして、腹が減ったとか(「飢餓のコメディ」)、我慢しよう(「忍耐祭り」)といった気持ちを、歌うようにして詩にした。

「永遠」もそうした詩の一つ。
その後、『地獄の季節』(1873)の中で、「言葉の錬金術」によって生み出された詩として歌われることになる。

Elle est retrouvée !
Quoi ? l’éternité.
C’est la mer mêlée
   Au soleil.

続きを読む →

となりのトトロ 夢だけど夢じゃない世界 トトロのいる自然

「となりのトトロ」は、ジブリ作品の中で最も平和で、戦うシーンは一つもなく、何も特別な事件は起こらない。

父と二人の娘が田舎の一軒家に引っ越してきて、入院している母の帰りを待ちわびているだけの物語。

唯一大きな出来事は、4歳の妹が、遠くにある病院にトウモロコシを届けたくて、迷子になってしまうことだけ。

映画の大半は、トトロというお化けとの出会いを空想するメイとさつき姉妹の日常生活の描写に費やされる。

そんな単純で単調なはずのアニメのどこに、これほど観客を虜にする魅力があるのだろうか。

続きを読む →

象徴主義絵画 不可視を可視化する芸術

19世紀後半のヨーロッパでは芸術観が大きく転換し、理想的な美を理想的な姿で描き出す伝統が下火になる。
その動きと対応するように、現実そのものを対象とする芸術観が生まれ始め、戸外で自然の風景を描く、印象派の画家達の活動が活発になった。
しかし、他方では、印象派とは対極に位置する流派も生まれた。その一つが象徴主義的絵画である。

日本で最もよく知られているのは、オーストリアの画家、ギュスターブ・クリムトだろう。

Gustav Klimt, Le Baiser

フランスの画家では、ギュスターブ・モローがよく知られている。

Gustave Moreau, Salomé Tatouée

こうした象徴主義絵画は何を対象し、どのような絵画表現を目指したのだろうか。

続きを読む →

Kenji MIYAZAWA, Préface du Restaurant qui commande beaucoup.

Kenji MIYAZAWA (1896-1933) est un poète et conteur, profondément enraciné dans la région nordique du Japon. 

À 13 ans, il a commencé à s’intéresser à la géologie et a fait une collection de minéraux. D’autre part, il a composé des tankas, chants traditionnels en 31 syllabes (5/7/5 7/7). Ces intérêts scientifiques et littéraires marqueront les poèmes et les contes qu’il rédigera dans sa maturité.

Il s’est également intéressé aux problèmes sociaux de la paysannerie et a intégré une école supérieure d’agronomie dans l’espoir de pouvoir être utile pour la communauté agricole de sa région. 

続きを読む →

Chūya Nakahara « Romance sans paroles » – C’est l’extase sensitive

Le titre de ce petit poème, « Romance sans paroles » vient sans aucun doute de celui du recueil de Paul Verlaine, Romances sans parles. Celui-ci se calque de son côté sur « Lieder ohne Worte (songs without words) » de Mendelssohn.

Chūya, tout en reconnaissant sa dette poétique envers Verlaine, chante un poème de Ça sur la trace de « C’est l’extase langoureuse », premier vers de « Ariettes oubliées I ».
https://bohemegalante.com/2019/07/10/verlaine-ariettes-oubliees-i/

Romance sans paroles

Ça se trouve au loin
Je dois attendre ici
Ici l’air est rare et pâle
Clair et faible comme racine de ciboule

続きを読む →

中原中也 「夜更の雨」 ヴェルレーヌの影を追って

中原中也の「夜更の雨」。
ヴェルレーヌの面影に寄せたエピグラフが付けられ、ヴェルレーヌが都市の中を放浪する姿が描かれている。

第一連は、掘口大學の訳でよく知られた、「巷に雨の降る如く」を参照している。
https://bohemegalante.com/2019/07/26/verlaine-ariettes-oubliees-iii/

夜更の雨
          ―― ヱ゛ルレーヌの面影 ――


雨は 今宵も 昔 ながらに、
  昔 ながらの 唄を うたつてる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
  と、見るヱ゛ル氏の あの図体(づうたい)が、
倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。

続きを読む →