小林秀雄 「無常という事」 1/2 美はいかに経験されるのか

小林秀雄を読むのは、なかなか骨が折れる。高度な考察が書かれているらしいのだが、すっと理解できる文章ではないし、思考の流れも入り組んでいるように思われる。わからないまま、途中で投げ出してしまうこともあるだろう。

「無常という事」も、日本文化を理解するうえでキーワードとなる「無常」という言葉が題名に掲げられ、しかも2200字程度の短い批評なので、なんとか最後まで読もうと思うのだが、飛ばし読みしたり、途中で挫折してしまう読者も少なくない。

そこで、ここではまず、論理の組み立てをたどることから始めてみたい。
読み解くための第一歩は、「二つの対立する要素」が積み重ねられながら論が展開されている点に注目すること。語られている具体的な内容が、その二つのうちのどちらに分類されるのかを丁寧に区別していくのである。

その二項対立を意識したアプローチで読み進めていくと、小林の批評において中心的な意味を持つ「美」という言葉の本質が見えてくる。単なる字面にとらわれることなく、彼が言葉にどんな思想を託して読者に伝えようとしているのかが、徐々に理解できるようになるはずだ。

そして、「無常という事」という短い文章を理解することができれば、小林秀雄という日本を代表する批評家の思想の中核にも近づくことができるだろう。

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柄谷行人「場所と経験」からプラトン『国家』へ — AI・SNS時代の民主主義を考える

柄谷行人の「場所と経験」(『意味という病』所収)は、1972年(昭和47年)に発表された評論である。しかし、この作品は、21世紀に入って加速度的に進行しているさまざまな社会問題がどこから生じているのかを考えるうえで、多くの示唆を与えてくれる。

そして、その問題の本質を理解することは、現在の世界的な政治状況が今後どこへ向かうのかを考える手がかりにもなる。その際、紀元前4〜5世紀のギリシアの哲学者プラトンが『国家』で展開した政治論は、約2500年の時を経た今日においても、私たちに有益な視点を提供してくれる。

人間の本質は古今東西それほど変わるものではない。だからこそ、過去に書かれた書物であっても、私たちが「読む」ことによって常に「今」という時代に甦り、進むべき道を照らし出してくれるのだ。

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丸山真男 「思想のあり方について」 — 『日本の思想』を読み解く

丸山真男の『日本の思想』に収録されている「思想のあり方について」を読んでいる。1957年に行われた講演の原稿を元にした評論だが、21世紀に入り、SNSによって変容してしまった現代の日本、さらには世界のあり方を驚くほど鮮やかに先取りしている。

一言で言えばこういうことだ。人々はSNSによって広く繋がっているように見えて、その内実は思考のコミュニティが「タコツボ化」し、仲間内だけで通用する言葉や考え方に閉じこもっている。その結果、他者への差別的な意識と言語が強化され、その反作用として被害者意識が生まれるという悪循環が形成されてしまう。そうした社会構造が、いまや完全に出来上がっているのが現状だ。

丸山がここで描いたのは、明治維新を契機に伝統的な日本の価値観へと西欧思想が急激に入り込み、そのために起こった弊害が第二次世界大戦後も地続きで残っている状況だった。しかし、そこで指摘された「タコツボ化」という構図が、いまや21世紀の世界全体にまで広がっている事実には、深い驚きと切なさを禁じ得ない。

それでも、これが私たちの生きるリアルなのだ。まずはこの現実を冷徹に認識することこそが、次の一歩を踏み出すための確かな足場になるに違いない。

(参照:丸山真男 「である」ことと「する」こと — 『日本の思想』を読み解く)

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丸山真男 「である」ことと「する」こと — 『日本の思想』を読み解く

丸山真男の「『である』ことと『する』こと」は、1958年(昭和33年)の講演を下敷きに執筆され、『日本の思想』(岩波新書、1961年)に収録された評論であるが、21世紀の現在でも、日本社会や日本人の心理構造を理解する上で重要な示唆を与えてくれる。

その理由は、政治学者である丸山の関心が、明治維新以降の近代化のプロセスにおいて、「飛鳥時代に本格的な形をとった日本の伝統」と「開国を契機とした西欧文物の急速な移入」という、二つの大きな潮流の複雑な絡み合いを探ることにあったからだと考えられる。

このことは、丸山の思索が「自然と作為」「成ると為す」「『である』と『する』」といった二項対立の概念を軸に展開されていることからも窺える。「伝統と近代」という問題もまた、この対比と深く関わっている。

現代の日本は、海外から「超近代的な側面を持ちながらも、他方で伝統文化を色濃く残す国」として知られ、時に驚きをもって語られる。「『である』ことと『する』こと」を読み解いていくと、まさに「である」の伝統と「する」の近代との葛藤が、今の日本でも地続きで存在していることに気づかされる。

60年以上も前に書かれた評論でありながら、丸山のまなざしは1000年以上の歴史を射程に収めており、現代社会の分析にとどまらず、「日本」という国や日本人の心のあり方を根底から知るための貴重な考察となっている。

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清岡卓行  ミロのヴィーナス 解読からリテラシーへ 

清岡卓行の『手の変幻』(美術出版、1966年)に収められた「腕失われた両腕――ミロのヴィーナス」が高校の国語教科書にしばしば採用されていることから、「1/2」では、その文章に書かれている内容をできるかぎり綿密に読み解く過程を示してきた。それは、高校生だけでなく、一般の読者にとっても読解の出発点となるものだからである。
清岡卓行  ミロのヴィーナス 基礎的な理解

しかし、読解はそこで終わるわけではない。
文章の内容を理解したうえで、その考え方や前提そのものを問い直してみることもまた、読解の重要な営みだからである。ここでは、そのような批判的な読みの力を「リテラシー」と呼ぶことにする。

現代社会では、さまざまな情報が絶えず流れ続けている。その中で、リテラシーを身に付け、言葉の背後にある前提や価値観を吟味し、一人ひとりが主体的に考える力を養っていくことが求められている。

リテラシーの第一歩となるのは、「疑う力」である。

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清岡卓行  ミロのヴィーナス 基礎的な理解

古代ギリシャのヴィーナス像、頭部と腕が欠けた白い大理石の彫刻。

清岡卓行(きよおか たかゆき、1922年 – 2006年)の『手の変幻』(美術出版、1966年)に収められた「失われた両腕 —— ミロのヴィーナス」と題するエッセイは、高校の国語教科書にしばしば採用されている。その理由の一つは、冒頭の一節がきわめて謎めいた文章で綴られているからではないかと思われる。

ミロのヴィーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、僕はふと不思議な思いにとらわれたことがある。

通常であれば、完全なものが美しく、そこから何かが欠ければ美しさは損なわれると考えられる。ミロのヴィーナスについて、「欠損があるにもかかわらず美しい」と言うのであればまだ理解できる。しかし清岡は、「両腕を失っていなければならなかった」と、むしろその欠損を積極的に肯定する。腕がないからこそ、彼女はこれほどまでに魅力的なのだ、と。腕がないにもかかわらず美しいのではない。腕がないからこそ美しいのである。

その「逆説」を不思議に思うのは清岡だけではない。この一節を読む私たち読者もまた同じである。そして、その違和感ゆえに、私たちは一気にこのエッセイへと引き込まれる。

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泉鏡花 峰茶屋心中 作家の想像力 摩耶山をめぐって

泉鏡花が友人から贈られた摩耶山の絵はがきを目にしたとき、その風景は、幼くして失った母への思いと、摩耶山山頂の天上寺に祀られる釈迦の生母・摩耶夫人(まやぶにん)のイメージと重ね合わさって、いかにも鏡花らしい幻想の世界を生み出していった。それが、『峰茶屋心中』(『新小説』大正6年4月号)の冒頭に描かれた摩耶山にほかならない。

ここでの目的は、作家の想像力の働きを辿ることにある。そこで、まずは大正期の古い文体ではなく、現代語訳によってその世界に触れ、その後、『峰茶屋心中』に関しては、時代の息遣いを感じさせる鏡花の文章を読んでみることにしよう。

『一景話題』(明治44年)に収められた「夫人堂」の冒頭には、摩耶山の絵はがきを受け取ったときの思い出が綴られている。

神戸にいる親しい友人の西本氏が、先日、摂津国の摩耶山の絵葉書を送ってくれた。その便りには、次のように書き記されていた。

「亡くなった母が恋しくてたまらなくなり、二里(約8キロ)の山道を一気に駆け登りました。たなびくかすみの向こうに、慈愛に満ちた光を放つ(摩耶夫人の)尊いお姿を拝むことができました。」

これを行間から読み取るだけで、言葉にできないほどの懐かしさが胸に込み上げてくる。実は、私もまったく同じ思いを抱えている身なのだ。はるか遠くから摩耶山のあたりに思いを馳せるだけでも、あの端正で美しい(お母様の、そして仏様の)お姿が、ちょうど芽吹いたばかりの若葉の梢に包まれて、まるで紫色の薄い衣をまとっていらっしゃるかのように目に浮かんでくる。

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摩耶山 楽生神社 観音寺堰堤

摩耶山・五鬼城展望公園のさらに先には、かつて「楽生神社(らくしょうじんじゃ)」があった。
六甲山・摩耶山の豊かな「水」への信仰を背景に、「水神(みずのかみ)」を祀る社として創建されたと伝えられている。山からの恵みへの感謝と水害防止を祈る場所であり、古くから地域の人々に守られてきた。

旧社地付近には、現在「観音寺堰堤(かんのんじえんてい)」が築かれており、古い石積みの土留めや、どこか厳かな雰囲気が今なお漂っている。

この堰堤は、昭和42年(1967年)7月の六甲豪雨による大水害の後、本格的な改築・整備が行われた。
コンクリート壁の表面に施された美しい石張りは、昭和中期の六甲山系における砂防工事の大きな特徴である。明治から大正期にかけて築かれた古い石造り堰堤の技術と美観を受け継ぎつつ、昭和の高度経済成長期以降のコンクリート技術を融合させて造られた。

地名の由来となった「観音寺」は、観音寺川(観音寺谷)を登った、現在の楽生公園跡や観音寺堰堤がある鬱蒼とした森の周辺にあった。

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アルフレッド・ド・ミュッセ 「悲しみ」 Alfred de Musset  « Tristesse »

アルフレッド・ド・ミュッセ(Alfred de Musset : 1810-1857)の「悲しみ(Tristesse)」は、現在の言葉で言えば、自分の価値を疑い、自己肯定感を持てない自分の存在を嘆いた詩と言ってもいいだろう。「今の私に残された慰めは、時どき涙を流せたことだけ」といった最後の言葉は、どうしようもないやりきれなさを告白しているようでもある。

しかし、そうした幻滅感(désenchantement)を表している詩句は、大変に簡潔でありながら、音楽的で、美しい。また、母音や子音の反復が非常に巧みに配置され、意味を際立たせている。その音楽性を感じることで、悲しみがいつしか慰めに変わっていくことになるだろう。

いくつかの単語の意味を確認した上で、まず«Tristesse»の朗読に耳を傾けてみよう。
fierté――誇り、プライド
génie――才能
Vérité――真実
dégoûté――うんざりする
éternel――永遠の
se passer de――……なしで済ませる

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ヴェルレーヌ 「白い月」 Verlaine « La lune blanche »

ヴェルレーヌは、一言で言えば「職人的な詩人」といえる。
ヴィクトル・ユゴーのようにあらゆるジャンルで最高の業績を残したわけではなく、ボードレールのように理論に基づいて詩作を展開したのでもない。また、ランボーのように一瞬の煌めきを放って詩の世界を駆け抜けるのでもなかった。

ヴェルレーヌは、ただ己の感性の赴くままに詩句を書き綴る。すると、そこから静かな悲しみを感じさせる音楽が流れ出し、私たちの心を日本的な「あはれ」を思わせる情緒で満たしていく。彼の詩が、不思議なほど日本人の感性に響くのはそのためだろう。

«La lune blanche»は、1行が4音節、1詩節が6行、それが3詩節だけの小さなの詩。
第6行(各詩節の最後の行)は手前の5行から一拍置くように配置され、読者への語りかけの役割を果たしている。
脚韻の型は、 ABABCC。 第3詩節は、AAAABB。

ちなみに、日本では月は黄色だが、フランスでは白色が普通。だから、題名の「白い月」は、私たちにとっての「黄色い月」と同じだといえる。

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